第45話 ありふれた日常
「おはよ〜」
少女は頭をポリポリかきながら朝食の支度をする母親に挨拶をする。
「お兄ちゃんは?」
「朝練があるからもうでちゃったわよ」
ご飯、漬物、味噌汁、ポテトサラダ、厚焼き玉子にウィンナー2本。自分が食べる量のご飯とポテトサラダを分ければ、朝ご飯をもくもくと口に放り込み水で流し込む。
「月姫、最近学校はどう?」
月姫
「学校? 別に? 特に変わったことないかな。お昼休みにお兄ちゃんがクラスの様子見に来るのが嫌なくらい」
「あの子そんなことしてるの? 全く妹想いねぇ」
月姫
「恥ずかしいからお母さんからやめるように伝えてよ…。私が言っても聞いちゃくれないんだから」
「そうは言ってもねー。昔っから面倒見がいい子だから、そういった面を無下に指摘しちゃうのも考えものよねぇ。何か言い伝え方がないか考えておくわ」
母親は苦笑いしながらそう答えた。月姫はご飯を食べ終わり、歯ブラシを咥えながら髪をツインテールに括り、登校の準備を整える。
月姫
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃーい。気をつけてねー」
学校までの道のりはバスに乗って20分程だ。携帯で天気予報をチェックする。午後から雨が降るらしい。折り畳み傘は…ある。バスから降り10分程歩けば学校に着く。バスが来れば乗り込み、吊革を掴みながら外の景色を眺める。
席は空いてるものの、対面座席ばかりなので座ってしまうと外が見えないので敢えて立っている。座っている20分より、立っている20分の方があっという間に過ぎてしまう。外の景色を見ながら兄の事を考える。兄はハッキリ言ってかなり過保護で昔から自分の事を大切にしてくれていた。お菓子は自分の分を分けてくれるし、お小遣いを貯めて化粧台まで買ってくれた。家に帰ると学校であったことを逐一確認しに来る。更には待受画面に自分とのツーショット写真を入れている。初めて見た時はたまげて声も出なかった。ちょっと度が過ぎるのでは無いかと思いながらも、相手の事を思えば強く否定出来ず日頃の悩みの種になっている。正直なところ早く彼女でも作って妹離れしてほしい。
そうこうしているうちに目的のバス停に到着した。落し物がないかチラッと確認した後下車する。他の学生達もチラホラ見受けられる。その中にクラスメイトがいないかキョロキョロと探りを入れながら歩みを進める。と、目の前に何かが落ちている。なんだこれは?
月姫
「うん? なんだろうこれ…」
月姫はそれを拾い、調べてみる。どうやら学生証のようだ。大変だ。学生証を無くすなんてとても困るだろう。相手はどうやら高校生のようだ。名前は水鳥憲助。学校方面に交番はないため、帰りに届けよう。ふと顔写真が気になり見てみる。なかなかハンサムな顔つきだ。これはモテるだろう。交番に届けるという目的が頭からスポッと抜ければ、その顔写真を凝視して立ち止まってしまっていた。
「すいません」
背後から話しかけられた。
月姫
「あ、はい?」
「その学生証、もしかしたら僕のかもしれません…」
顔写真の高校生が自分に話しかけてきた。
月姫
「ああ、そうですね。これ、どうぞ。ここに落ちてました」
「はは、ありがとうございます。いやー助かりました…」
月姫
「いえいえ、気づいて良かったですね」
ハンサムは照れながら学生証を受け取れば一礼して去っていく。取り留めのないことだ。早めに気付いて良かったな、ハンサム。月姫の中で水鳥憲助という高校生はハンサムと命名され、少しの間記憶の中に残れば、徐々にピンボケして薄れていく。暫く歩けば学校に着く。
「月姫!」
兄が現れた。月姫は目を細める。兄の名前は梵款太郎。空手部の主将で、全国大会にも出ている。中学の部門ではそこそこの成績を残した優秀な生徒である。きっと先生達からの評価も高いだろう。
款太郎
「今日雨降るみたいだぞ? 傘、ちゃんと持ってきたか?」
月姫
「おはよーお兄ちゃん。あるよー。心配しないで大丈夫だから」
月姫はぷいっと素っ気ない態度を取る。これも兄の為に仕方ないことなのだ。
款太郎
「今日もご機嫌ななめだな。ちゃんと朝ごはん食べてきたのかー? 何か困ったことでもあるのか?」
月姫
「毎朝食べてるよ。うん。今お兄ちゃんに話し掛けられて困ってるの」
款太郎
「そう冷たくするなって〜。今度の休み、一緒に映画を見に行こう。月姫、見たい映画あるって言ってただろ?」
月姫
「お兄ちゃんとは行きたくない〜。もう、私のクラスまで着いてくる気?」
款太郎は1年生の廊下まで着いてきてしまった。
款太郎
「あ、うっかりしてた。じゃあな月姫。しっかり勉強するんだぞ」
月姫はふん、と鼻を鳴らせば教室に入っていく。授業が始まれば今朝あったハンサムの事を思い出す。一瞬であったが、朧気に記憶の中から牽引して何とか映像を現像しようとする。ノートに描いてみる。違うな。こんなんじゃない。やたらキラキラした目のハンサムが出来上がった。なかなかにニクイ面構えをしている。
月姫
「ふふふ」
月姫は絵をじっと見つめればニヤニヤしてしまう。取り留めのない、有り触れた出来事だったが、月姫にとって授業に割く集中力が持っていかれるほどの出来事だった。また会えるかな。また会えたらいいな。なんて思いながらノートのハンサムを凝視し続ける。
授業が終わり放課後になる。雨に降られる前にバス停へ着けばいいのだが…。ゴロゴロと雷がなればシトシトと雨が降り出す。折り畳み傘を取り出そうとカバンを探るも、【無い。】
月姫
「あ、え? 傘が無い…」
今朝確認した時はあったはずなのだが。雨は徐々に雨足を早める。月姫は慌ててコンビニで雨宿りをする。
月姫
「学校に置いてきちゃったのかな…」
月姫は財布の中身を確認する。使い捨て傘は400円程する。痛い。自分にとって400円は痛過ぎる…。雨が弱まるのを待つしかないのか…?
「あ、今朝の」
月姫
「え?」
ハンサムが現れた。今朝のハンサムが目の前にいる。目を大きく見開けばハンサムの顔を脳裏に焼き付けるよう努力をする。
憲助
「もしかして、雨宿り?」
月姫
「はい、そうなんです。学校に傘忘れてきちゃったみたいで…」
憲助
「そうなんだ…。相合い傘になるけど、バス停まで送って行ってあげようか?」
月姫
「え…?」
憲助
「今朝学生証拾ってくれたし、良かったらどうかなって思って。嫌ならいいんだけど」
月姫
「え、ええ〜」
どうしようか迷った。自分の中では勿論YESなのだが、今朝あったばかりのハンサムと相合い傘をしてしまうのは流石に尻が軽すぎるのでは無いか。
月姫
「魅力的な提案なんですけど、少し恥ずかしいかな…? なんちゃって…。えへへ」
憲助
「そっか。ふふ、まぁ恥ずかしいよね。どうしよう、なら雨が止むまで一緒に暇潰しするのはどう?」
月姫
「お話ですか…」
月姫は少し考えた。まぁ、暇を潰すくらいならいいだろう。コンビニのイートインで少しくらい喋るくらいなら別に。ありふれた日常にささやか変化があってもいいんじゃないか。月姫はそう思った。
月姫
「そうですね。雨が弱まるまでお話、してもいいかも」
憲助
「そうしようか」
憲助は月姫にコーヒーを奢る。
憲助
「月姫ちゃんは中学生なんだ」
月姫
「ええ、中学1年生です。憲助さんは高校生ですよね」
憲助
「ああ、よくわかったね」
月姫
「学生証に載ってたので」
憲助
「あはは、見られてた訳か。月姫ちゃんは中学1の割に大人びて見えるね」
月姫
「そうですか? 兄にはまだ子供扱いされっぱなしなんですけどね」
憲助
「へぇ、お兄ちゃんがいるんだ。どんなお兄ちゃんなの?」
月姫
「うーん…大分過保護なお兄ちゃんなんです。昼休みになると私の様子を見に来るんです。変な虫がついてないかって」
憲助
「変な虫? 男の子と一緒にいないか気が気じゃないんだね」
月姫
「そうですね。ふふふ、今憲助さんと一緒にいることがバレたらどうなることやら」
憲助
「はは、それは怖いね。お兄ちゃんがボディーガードって訳か。僕にも弟がいるんだけど、あまり好かれてなくてね…。昔から大事に想ってたんだけど、結構すれ違っちゃって」
月姫
「そうなんですか…」
月姫は兄を想う。兄も自分に冷たくされればこんな風に落ち込んでたのだろうか。
月姫
「きっと弟さんは憲助さんのことを嫌いじゃないですよ。兄弟って距離を置きたがるじゃないですか。きっと自然なことなんですって」
憲助
「ああ、僕もそう思ってなるべく干渉せず見守っていたんだよ。なかなか思うようにいかないもんだね」
月姫
「そうですね〜」
月姫と憲助は取り留めのない話をした。何気ないありふれた話をしていたが、心は暖かで安らかな気持ちになる。暫く話し込めば雨が止んだ。
憲助
「ん。雨が止んだみたいだね」
月姫
「そうですね」
憲助
「それじゃあ、僕は帰るとするよ」
月姫
「ええ、私も帰ります。コーヒー、ご馳走様でした」
憲助
「また会えるといいね」
月姫
「そうですね。えへへ」
月姫は憲助と別れた。バスに乗り自宅に帰る。自分の机に座れば先程のありふれた一時を思い返す。あんな時間がずっと続けば、あんな安らかな気持ちがずっと続けば幸せなんだろうなぁ。と授業中に描いたハンサムを見つめる。
先程の記憶の中から憲助の顔を牽引して何とか映像を現像しようとする。ノートのハンサムを手直しすればより憲助の顔に近付けた。また、会えるといいな。そう願いつつ月姫は一日を終える。




