第五話 やまひろのおにぎり
庄司エンタープライズを出た頃には、13時を回っていた。
六堂は自分の事務所のある港区へと向かった。
15分ほど走ると、車が絶えず行き交う大通りにあるビルのすぐ横に、細い道が見えた。その道に入ると、そこは古びた閑静な住宅街だ。殆どが住宅だが、時折、小さな書店や花屋、文房具屋などが目についた。そしてその中に“やまひろ食堂”があった。
「ここはもう俺の家の近くでね」
車が走るには少し狭い道。遠くには東京タワーが小さく見える。
更に二、三分ほど真っ直ぐ走ると、暖簾の出ている古い2階建のビルが見えた。
「Old-fashioned」
呟くジーナは、味のある暖簾を見て少しわくわくしていた。
「ここは美味しいぞ」
車を横の狭い駐車場に止め、店の中に入ると、昼時のピークも過ぎでいて他にお客はいなかった。ここは六堂の馴染みの店で、こんな目立たない場所だが昼のピーク時は表通りの会社員やOLたちがやってくる隠れた人気店だ。
「こんちは、まだいい?」
六堂が声を掛けると、お冷を入れるコップを棚に並べていた店主が、明るい笑顔で叫んだ。
「リクちゃん!?リクちゃんじゃないか!!なんだ、家近いのに顔も出さないで」
「ごめん、忙しくてさ。奥さんは?」
「今、食器回収に行っているよ」
この食堂を営んでいるのは、山藤 広太は、六堂の小中学時代の同級生。昔はよく遊んだ仲だ。
「あっれ!!リクちゃん、誰そのハリウッドの女優さんみたいな人!?」
店主にそんなこと言われ、ジーナはわかりやすく喜んだ。
「Good compliment ね」
ご機嫌なジーナは、鼻歌交じりでメニューを見ながら楽しそうにしていた。
実際、ここは何を食べても美味しい。そして惜しみないボリューム。
やまひろ食堂は広太が開いた店だが、父が経営していた食堂があり、そこで子供の頃から手伝っていた思い出と経験が彼にはあった。
後に調理師免許を取ったが、父の店は借りてたテナントが飲食店を出すのに必要な下水工事を施していないことが発覚し、営業停止に。父はオーナーとかけあったが、オーナーも実にやる気のない人物で、結局は閉店せざるを得ず、やむなくビルを出たのだった。
店を再開させるほどの気持ちはなかった父はそのまま、友人のツテである会社の社内食堂に勤務をすることに。
そして広太はどうしても自力で店を出したくてて、若くしてこの店を開いた。
「ただいまぁ」
外から車のエンジンが聞こえたかと思えば、食器や重箱を入れた段ボールを抱えて広太の妻が帰ってきた。
「あらぁ、リクちゃん久しぶり」
広太の妻、千鶴だ。同じく六堂とは小中学時代の同級生だ。
子供の頃の話だが、千鶴は美人で成績もよく、クラスでも、男子生徒に人気だった。大学に出ていい会社にでも入ってるのだろうと六堂は思っていたので、まさか食堂経営の広太と結婚してたとは、六堂はただ驚くだけの出来事だった。
千鶴曰く、“勉強はできても好きなわけじゃない”とのこと。親の期待に応えるのに疲れたと言っていた。
だが彼女のその頭の良さは、やまひろ食堂の繁盛にも繋がっているようで、明るさと美人もあいまって評判の良さに貢献していた。
「あれぇ、素敵なお客様」
ジーナを見た千鶴は笑顔で感激する。
「褒め過ぎ、奥さん」
同性である千鶴にまでよく言われ、ジーナは少し照れ臭そうに言った。
そんなジーナが決めたメニューは唐揚げ定食。六堂もよく頼む、ここの人気メニューだ。
「リクちゃんはどうする?何食べる?」
「いや、俺はいい。食欲あまりなくって」
疲れた顔の六堂を見て、広太は心配した。
「どっか悪いのかい?」
六堂は、簡単にだが、恵が亡くなったことを広太と千鶴に話した。恵は2歳下なので、二人は近い関係ではなかったが、同じ小中学なので顔は知っていた。放課後に六堂といつも一緒にいる、そんな記憶があった。
ジーナがあまりに明るく、その雰囲気に乗せられてはいたが、内心は食欲が旺盛でいられる感じではなかった六堂。
「まだ言わないでね、ニュースではこれからやると思うけど」
人差し指をを口元に、六堂はそう言うと、広太は親指を立てて(了解)と頷いた。
「ともあれ、何か口にしないとさ。そうだ、おにぎりでも作ろうか」
「それじゃ…頼む」
しばらくして出てきた唐揚げ定食に、ジーナは大満足。
そして梅干しの入った暖かいおにぎりと、熱い味噌汁を出してもらった六堂は、それを食べた。
――ああ、美味い。腹、空いてたんだな。
やまひろ食堂での食事を終えた後、六堂はジーナを連れて、すぐ近くの自分の事務所に寄った。
事務所といっても、ここは住宅街。中古の住宅をリフォームした建物で、二階は居住用に改装していて自宅を兼ねている。
「こっちあがって」
六堂はジーナの荷物を持って二階に上がった。
“六堂の事件捜査を手伝う”、ということなので宿泊は涼子のマンションではなく、自分の家にさせることにした。ちょうどよく、ジーナの寝泊まりできる部屋もあり、困ることはないだろうと思ったのだが、その部屋こそ、年明けからここに来るはずだった恵のために用意していたものだった。
当然、複雑な思いはあった。
しかし恵が実際にそこを使っていたわけではない。ジーナに使ってもらって、“ばちが当たることも”ないだろうと思った。
それに正直、そこにもう恵が来ることはないと考えながら、一人でしばらく過ごすのはきついと感じていた。利用するようで申し訳ないが、事件が解決するか、休暇が終わって帰国するまでジーナに使ってもらうことを選んだのだ。
一方でジーナは本当に泊まらせてもらっていいのか、驚いていた。もちろん嬉しいが、会って初日、涼子の親友とはいえ好意に甘えるのは図々しいのは?という思いがあった。
「ジーナ、ちょっといい?」
リビングから六堂の呼び声がする。部屋を見渡していたジーナは、イエスイエスと顔を出した。
「こっち、入って」
六堂は手招きをし、ジーナを自分の部屋に入れた。
部屋壁や机には、学生服を着た六堂と、二人の少女と写っている写真が飾ってあった。それにふと目が行くジーナ。
――High school時代かな??
そしてもう一つ目が行ったのは、神棚。刀が飾ってある。御神刀かと思ったが、鍔がついてることに気づき、不思議に思った。
「ちょっと待ってね」
そう言うと、六堂は机の横にある電子ロック式の金庫の数字のボタンを押した。
ガチャッとロックが解除されると、中には何丁かの拳銃と、マガジン、パッケージから出していない弾丸の箱がいくつかあった。
六堂は中から腰に装着するタイプのホルスター、そして拳銃とマガジンをジーナに渡した。
「これは?」
「念のためだよ、持っててくれ」
「No!私この国で銃持つ権限ない」
返そうとするジーナだが、六堂は彼女の手を抑えた。
「大丈夫、もしジーナが発砲することになっても、何とかなる。俺と同じグロック17、俺が撃ったことにすればいい。それにこの一件は少し恐ろしい予感があするんだ。だから身を守るために持っててくれないか?」
少し考えるジーナ。迷ったが、六堂の目を見て言うことを信じた。
「OK、リクドウを信じるわ。まったく、その優しい笑顔、何とかならないの」
ジーナは六堂を指差し、苦笑した。