第二話 捜査
1999.12.2 -THURSDAY-
朝から雨。事件発生から一晩明けた。
ニュースはセントホークタワービルの襲撃事件のことばかり放送していた。報道管制で、まだ“SAT全滅”の件は伏せられているようだが、人質が殆ど殺されている以上、発表は時間の問題だろう。
テレビの影響は強い。
マスコミが言ったことがそのまま事実になってしまうことが多い。歪曲した情報や、印象操作を与える言い方、これで又、現場で一生懸命働いている警察官も含めて、世間の目は警察組織に厳しくなるのだろうと六堂は思っていた。
セントホークは現在、厳重に確保、閉鎖されていた。各階に機動隊を警備に配備し、そして現場捜査官が捜査に入っている。
事件現場の地区は、アパレルショップやカフェなどが並ぶショッピング街。セントホークはその地区の象徴的存在である。
しかし事件以降、臨時休業の店も見受けられ、出歩く人々の数も明らかに減っていた。
クリスマスシーズンで、本来ならもっと賑やかになっているであろうこの時期には、ありえない人気の少なさだ。
「ご苦労様です、警部補」
現場確保のためにテープの前に立っている警官が、涼子に敬礼をした。そして隣にいる六堂に目をやる。
「ああ、気にするな。彼は私立探偵だ」
六堂はジャケットを捲り、ベルトに取り付けている探偵バッジを見せた。
警官は(へえ)と頷き、二人をテープの中に通した。
ビルの中には多くの警官がいた。背中に“MPD”と記された上着と帽子をかぶった刑事課の鑑識係が、総出で指紋採取やら、破片や薬莢集めなどを行っている。
六堂は、涼子から借りた報告書を頼りに、事件現場を順に見てまわることにした。
テログループは業者になりすましたコンテナトラックで搬入口から入り、そこからビル占拠までの手並みは鮮やかなものだったようだ。
しかしテログループの行動は、調べなくてはならない謎に対してそう重要ではない。装備の良さ、ビル内を知り尽くしたかのような手早さと、気になる点はもちろんあるが…。
15階。遺体が山のようにあった現場。爆発の跡が二ヶ所。床はスプリンクラーの影響で水浸しだ。
ーーこれは…何があった?
壁、天井、あちこちに弾痕がある。スプリンクラーは爆発の影響で作動したかと思ったが、銃で破壊されて放水したようだった。
報告書に記載されていた通り、“何に”向けて発砲したのかわからない。弾痕がまるでデタラメだ。SATとテログループが一戦交えたとしても、このようにはならないだろう。
「テログループは武装警備員を射殺し、警備室システムを抑えた…と。ビルの中央15階で銃を発砲、爆弾一発を爆破させて人質28人を取りつつ制圧、そして建物そのものを占拠…か」
武装警備員も、最初の通報でかけつけた警察官も、テログループにやられたことは、死因とされる弾丸と装備している武器が一致しているのでわかっている。だがそのあと“何が”あったのか…、SATが来た時にはテログループも人質たちも、至近距離から頭を撃ち抜かれて殺されたという状況は、実に不気味だ。
そして被害者たちの頭を撃ち抜くのに発砲された武器は、すべて“ごく一般的なオートマチック式の拳銃”であることは、検死結果でわかっているが、それでは手がかりとは言えない。
「なぁ、爆発はもう一つ跡あるよな?あそこ…」
「ああ、でも、そっちのは普通の手榴弾だ。今回のテログループは装備が良くってね、新型のデジタル式の爆弾なんだよ。未使用のものが何個も出てきている」
報告書と現場とを交互に何度も見合わせ、難しい顔をしている六堂を見て、涼子は(恵の死を考えているよりはマシか)と思った。きっと今は頭をフル回転させているのだろう。それをしてなかったら今の彼は落ち込む以外にない。
「警部補、ちょっといいですか?」
若い男の刑事が、六堂に付いている涼子に声をかけた。部下の川島だ。
「何だ?川島」
「聞きましたよ。探偵の世話だとか」
川島は六堂をチラッと見ながら言った。
彼は涼子のことを上司として慕っている。また女性としての魅力も感じていた。六堂とは親しいと思われることを雰囲気で察したのだ。
「現場の指揮はあなたなのですよ。探偵の世話係なら他の者でも…」
涼子は眉根を寄せて、少し厳しい顔を見せた。
「私がいなきゃ何も出来ないのか?各フロアの責任者には指示は出しているし、逐一報告は受けている」
涼子の反応に、川島は困惑しつつ、苦笑した。
そして面白くない顔で目の前を去る彼に、六堂は困った顔で首を振った。
「すまないな、あの子にはちょっと困っていてね」
涼子は苦笑いをしながら謝った。
「いいよ」
六堂は気にせず、捜査の続きに取り掛かった。
二人の前から去った川島は、中年の刑事に呼び止められた。ベテランの佐久間だ。
「おい、お前さんよ」
渋いガラついた声で呼ばれると、川島は左右を見回した。
「お前だよ、お前」
川島が佐久間を視界に入れると、(なんだろう?)ときょとんとした顔をした。
「何ですか?佐久間さん」
「間抜けな顔してんじゃねえよ川島」
佐久間はコートのポケットに手を入れたまま、六堂をちらりと見た。
「お前が坂崎警部補にご執心のは知ってるがな、あの男にケチつけるのはやめとけ…」
深刻そうにそう言う佐久間に、川島は訝し気な顔で訊いた。
「佐久間さん、あの探偵のことご存じなんですか?」
「…少しな」
「何者ですか?」
複雑な顔で、そして微かに笑みえを浮かべて佐久間は頭をかいてみせた。
「何者か、それは俺も知りたいところだがな」
そう言い、不敵な笑みを浮かべながら佐久間は川島の前から立ち去った。
佐久間の背中を見ながら川島は(何を言ってんだ)と苦笑した。
天井のダクトの格子が落ちているのに気づき、近づいて上を見る六堂。口の空いたダクト、ライフルバッグはこの下に落ちていた。
六堂は近くにいた警官から脚立を貸してもらい、ダクトの中を覗き見た。すると、汚れの跡に人がいたと思われる形跡を発見した。
――スナイパーライフルか。ダクトの中で、待ち伏せ、か。
「おーい、何かあったか?」
下から見上げていて涼子は、煙草を口から外し、呼びかけた。
頷いた六堂は、何段か降りると脚立から飛び降りた。
「あの中にもライフルの薬莢落ちてるって、鑑識に言っておいて」
誰が待ち伏せていたにしても、ライフルで死んだ人間は一人も出ていない。六堂は思わず苦笑した。
――謎ばかりだな。
最後は、恵と、彼女の上司の新船の遺体があった非常階段の現場を見に行った。この二人の行動だけは理解できるものがあった。負傷し、“何か”から逃げたのだろう。だが結局追いつかれ、ここで殺されたのだ。
六堂は片膝をついて、恵の遺体が倒れていた場所をじっと見つめた。
「大丈夫か?」
涼子がそっと肩に手を乗せた。
「大丈夫だよ」
「そう…。で、どう?」
立ち上がり、持っていた報告書のファイルを涼子に返す六堂は、ため息とともに首を横に振った。
「現場を見れば何か得られるかと思ったんだけどなぁ」
「だよな」
六堂もこれまで随分と変わったものや、恐ろしいものを目にしてきたが、この現場で“何が”恵たちの命を奪ったのか、まったくといって想像ができないでいた。
「テログループに関しては?」
「“クァ・ヴァーキ教団”?もう捜査しているが、例によって隠れて姿を現さない。潜伏していたとされる建物にも行ったが、もぬけの空だった」
首を傾げながら、六堂は腕組みをした。どうしたものか悩む。
「これからどうするんだい?」
「そうだなぁ…、ここのことも、テログループのことも、とりあえず警察にお任せするとして、俺は“庄司エンタープライズ”へ行こうかな」
庄司エンタープライズ、セントホークタワービルのを所有経営している大企業だ。
「“庄司”へ?」
「そう。ここの総責任者に話を聞きに行く。確か…江、江、」
「江村 重夫よ」
六堂がファイルで見たその名を思い出そうとすると、先に涼子が煙草の煙を吐いて答えた。
「そう、そいつだ」
「江村か、もう刑事も行っていると思うが」
「いや、それはそれでいい。俺が直接会って話をしてみたいんだ」
資料によれば江村がこのビルの総責任者になったのは半年前。それまでは本社の“研究開発部門企画六課”の課長補佐だ。そんなポストの男がショッピングモールの責任者に就くのは妙だと考えていた。
“六課”は国からの受注もある兵器関係を主としている部門だ。
セントホークの総責任者の元いたところが、国を後ろ盾にあらゆることを“企業秘密”で行える場所であることを考えれば、今回の件に何か絡んでいる可能性は否定できない。六堂はそう考えた。
「そうね。私は生存者の親子の方を当たってみるわ。昨夜はまったく話のできる状態じゃなかったんだけど…」
話の途中で、涼子のポケットの中の携帯電話が鳴り出した。涼子は(ちょっとすまない)と画面に出ている着信者の名前を見た。
――あ!
驚きの表情を見せ(しまった)という顔で苦笑いをすると、目を瞑って一瞬スウッと息吸った。
そして間を空け、ケータイの通話ボタンを押す…。
「もしもし…」
『Hello、Long time no see、リョウコぉ』
電話の向こうの相手は外国人だ。
額に手をやり、申し訳なさそうな顔で電話している涼子を見て、六堂は(何をしたのだろう)と思った。
「やあ久しぶりだな、ジーナ」
電話の相手はジーナ・フォスター。ロサンゼルス市警察の刑事である。涼子が視察研修でロサンゼルスに行った時の世話係の担当だった。
『そっちの事件、機内で知ったんだ。乗ってから知ったもので、来ちゃったんだよね。リョウコひょっとして…』
「ああ、実は、そう。すまない、捜査担当に入ってしまっている」
『Oh、そっか…だよね、困ったなぁ』
「来ること忘れていたわけではないんだ…」
視察研修で会って以来、涼子とジーナはとても仲良くなった。以来、メールや電話のやりとりは続いていた。
そんなジーナ、今年のクリスマス休暇を日本で過ごすことを決めていたのだが、そのことを話したら、涼子が自分のマンションをホテル代わりに使っていいと申し出てくれたのだった。だから当然、ホテルの予約をしていないジーナ。
「申し訳ないが、今は迎えにも行けないんだ」
そういう涼子の肩を六堂はトトンと叩いた。そして小声で(どうしたの?)と尋ねた。
涼子がケータイを離し、事情を簡潔に話すと、
「それなら、俺が空港まで迎えに行くよ」
と言った。
「いいのか?」
「いいよ。色々借りがあるからね、涼子さんちに送ればいいんでしょ?」
ちょうどここを離れようとしていたところ、空港までもそう遠くはない。
六堂は涼子の肩をポンッと叩くと、現場を立ち去っていった。
そして車でセントホークを後にした。
しかし意外な友人がいたものだと思った六堂。
涼子との関係は6年になるが、“ジーナ”という名前は初め聞いた六堂。そういえばロスに視察研修に行っていた期間はあったけなと、ぼんやりと思い出していた。
――ま、あまり自分のこと進んで喋る人じゃないもんな、“あのこと”を除いては。