第一話 想い人の死
恵が運ばれた“針寸総合病院”、は新東京にある。事件現場のセントホークからほど近い。事務所のある港区からは、この時間なら車で一時間もかからずに着くだろう。
六堂の運転する車は、新東京に向かう高速道路へ上がった。走っている車は少ない。一定に繰り返される震動とタイヤの音。過ぎ去っていく夜景が嫌に美しく見えた。
先月、恵と二人、夜景を見ながらこの道をドライブした。六堂はそのことを思い出していた。恵から食事に誘われ、レストランで夕飯を済ませたあとのことだった。
「ところで、話があるって」
「あー、ごめんごめん」
電話ではなく、“直接話したいことがある”と誘ってきたのに、レストランではその本題が出てこなかった。いつになく緊張しているようで、恵は間を空けて息を吸った。
「…あのね」
「うん」
「私、合格したの」
「合格?」
バッグから一枚の紙を取り出し、六堂に向けた。薄暗い車内でよく見えない六堂は目を細めてそれを見た。
「前!」
(おっと!)姿勢を戻す六堂。
「現職の警察官乗せてるんだからさ、運転はちゃんとして」
六堂は(いや、お前がそれ見せたんだろ)とちょっとムッとした顔を見せた。
「で、それ何?」
恵はその紙を自分で見つめた。
「“ディテクティブ・ライセンス”の合格通知書」
銃の携行を許可された“探偵の国家資格”のことだ。
「え?マジ!?」
六堂は驚いた。現職の警察官は探偵の資格を得られないことにだが、それより(何で?)という疑問だ。
「警官は受験できないだろ」
「そ。だから探偵のバッジはお預け。これは合格通知と資格保留書。辞職願は受理されているから、受験はできたよ。ただ正式に辞職するまでは本通知とばバッジはもらえないの」
受験については理解した。しかし警察を辞めることがよくわからない。彼女はSATの隊員。狭き門を通って隊員になった。そのキャリアを踏んでまだ二年ちょっと。わざわざ捨てる意味がわからなかった。
「気になるんでしょ?」
喜色を浮かべる恵。
「何が?」
「警察辞めちゃう理由」
「…それは、そうだろう」
横の窓に映る夜景を見ながら、恵は少し間を空けた。
「…某探偵事務所の所長さんが雇ってくれなかったら、私、来年年明けから無職だよ」
「え?」
「はい、それが理由、わかった?」
最後に恵とちゃんと会ったのは、その晩が最後だった。
ーー死んだらバッジ受け取れないだろ…
車はスピードをゆるめることなく、新東京に向かう大きなカーブを走り抜けていった。
高速を降りて十分ほど走ると、針寸総合病院に着いた。
セントホークの事件のためだろう、病院の敷地内は車や人でごった返していた。
カーラジオで聴いていた限り、ニュースで詳細は報道されていなかった。報道管制ってやつだろう。だが病院の様子を見る感じ、思っているより状況は大ごとになっていそうだ。救急車も複数台止まっていて、報道関係も道を塞いでいる。
ようやく見つけた一番遠い駐車場に車を止め、病院の中へと入ると、病院スタッフや警察関係者らが騒がしく動き回っていた。
ーーなんだこりゃ、野戦病院か。
恵のことをスタッフに聞こうにも、その余裕のありそうな人間がいない。受付に声をかけると、お待ちいただけますか、とあしらわれた。
「伊乃さん…!」
かけられた声で振り返ると、人混みの中に美雪がいた。疲れた顔で六堂の側に歩み寄る。
「…伊乃さん」
目の前まで来ると、美雪は涙声でもう一度彼のことを呼んだ。その目は赤く腫れぼったい。
六堂は片手で泣き出しそうな彼女を優しく抱きしめた。美雪は六堂の胸の中で涙を堪える。
「恵は?霊安室…?」
美雪は頭を横に振った。
「この先の病室何部屋も使ってる…いっぱい、犠牲者、お姉ちゃんだけじゃないの」
一体何人の犠牲者が出たというのだろうか?
六堂は歩を進めながら、目に入る他の病室もちらりちらりと除き見た。そして美雪と一緒に、恵の遺体があるという病室へ足を踏み入れた。
そこでも、父か兄か、恐らく家族であろう遺体を前に泣いている者達が目に入り、重苦しい空気に何とも言えないものを感じた。
検死の済んだ遺体から順次、家族に引き合わせて、本人か確認をしているようだ。
美雪が連れてきた六堂の姿に気付き、少し驚きながらほっとした表情を見せたのは、彼女の母親だった。顔色が良くないようだが、六堂の姿を見ると力なく微笑んだ。
「伊乃君、来てくれたの…ごめんなさいね」
母親は口元を押さえ、涙を堪えようとした。
「美雪が、連絡を」
美雪の母は、(そうですか)と頷いた。
彼女は六堂のことを小学生の頃から知っていて、自分の子の友達の中では特別親しみを持っていた。女だけの母子家庭、六堂は娘二人を守ってくれる頼れる息子のようにすら思っていた。
今も顔を見て押しつぶされていた気持ちが少し楽になった。
「ありがとう、来てくれて」
母親は、血の染みた白い布でかぶせられた恵であろう遺体に目をやった。母親の視線を追うように六堂はその遺体を見た。
「…恵ですか」
母親は静かに頷く。
「直接顔を見ても?」
六堂がそう尋ねると、母親は黙って数回頷いた。そして美雪の目を手で覆った。
そっと顔に掛けられいてる布を取った六堂は、眉間にしわを寄せ、険しい顔でその死に顔を見つめた。
額に銃弾を受けていて、至近距離のため射出口ひどいものだ。そして口元が痛々しく変型している。ぶつけでもしたのだろうか?
その様を見て、母親は泣き出しそうになった。
その様子を察し、布をかぶせ、六堂は会釈をして廊下に出た。
ーー正面、至近距離から頭部…
悲しみ、ショックより、恵の死因を考える。感情を抑える意味もあるが、どうも解せなかった。正面から一発。やられた状況が想像できない。
廊下で泣きくずれる者や、暗い顔をしている者たちを見渡す。犠牲者の数は十人や二十人ではなさそうだ。
「伊乃!」
自分を呼ぶ声に、六堂が振り返ると、ファイルを片手に持ったスーツ姿の女性がいた。
「涼子さん」
長い髪のその女性は坂崎 涼子。六堂のよき理解者で、そして六堂にとっては“師匠”にあたる人物だ。
彼女がここにいることに、六堂が驚くことはなかった。涼子は警視庁捜査部の刑事。きっと仕事でここいたのだろうと察した。
二人は、人でごった返したその廊下を離れ、自販機のある休憩スペースに移動した。
涼子は、自販機でホット缶コーヒーを二本買い、彼の座っている隣に腰を掛けると、一本を手渡した。
「で、大丈夫?」
彼女は、六堂と恵の関係についてはよく知っていた。恵の死を知った彼の心境は“まともではない”だろうと心配した。
「…ああ、大丈夫だ」
六堂は頷きながら小さな声で返答した。
蓋を開け、一口コーヒーを飲んだ涼子はため息をしながら、六堂の横顔を見つめた。
「そう、か。無理はしないでね」
力なく微笑む六堂。
「ところで、かなりの遺体が運ばれているようだけど何があった?」
難しい顔の涼子を見ながら、六堂は尋ねた。
「“何があったか”を調べるのがお仕事なんだよ」
「え?」
「普通じゃないんだ」
ある宗教団体からなる武装テログループ十五人が、二十八人の人質を取ってセントホークを占拠。そこにSATが派遣された…、そこまではニュースで知っていた。そのあとの話は理解し難いものだった。報道管制でまだ詳細な情報は表にはあがっていないが…。
「殉職者は恵ちゃんだけじゃない。ビルに突入したSAT二個小隊が全滅だ」
驚く六堂だが、話には続きがあった。ビルの中にいたテログループも人質もほぼ全員が既に死んでいたということだ。突入したSATからの最後の連絡がそれであった。
「ほぼ?」
「ああ、母親とその子供二人が助かった。生存者はその三人だけ」
そう言い、飲み切った缶をゴミ箱に入れる涼子の頭の中は、いろいろなことが渦巻いていた。
「いや、今回の事件、最初から引っかかってはいたんだ。テログループの豊富な装備、手際の良さにね」
「でも全員死んだんだろ、グループは」
「ああ。声明と要求はあったけど、SATが到着した時には全員、死んでいた。最初に投入された恵ちゃんたちからの連絡が途絶え、人数は倍で第二班を投入。サーモグラフ探知機、動体探知機でスキャンしながら調べたが、何者も発見できず。とにかく、親子三人以外、生存者はいなかった」
涼子は、手元にあった報告書を六堂に手渡した。もちろん普通なら警察以外が見せてはいけないものだが、彼女の六堂への信頼は厚い。
それによると、被害者の多くが頭を撃ち抜かれたことが死因ということ。それも至近距離でだ。テログループも、SATも応戦した形跡はあったが、そのターゲットの痕跡がなく、四方八方に弾痕が見つかっているらしかった。
だが、武装警備員と、最初の通報で駆けつけた警察官、それに恵と“その上司”の新船はだけは違っていた。特に恵は腕を撃たれたあとに頭部を撃たれたようで、何があったのか歯が二本欠損している。新船は脚を撃たれたあとにナイフで背後から頭を刺されていると記されていた。
「ライフルバッグ?」
報告書に、テログループの装備にも、SATの装備にもない、スナイパーライフルが入っていたと思われるバッグを発見したと記されている部分が目に入る。
「ああ、それか。そのライフルの薬莢も何発か見つかっている。真犯人の、手がかりかって思っている捜査官もいるが、仮にこの件をやった奴のものだとして、そんな物残すかね?」
六堂が目を通した報告書を返すと「見に行くか?現場」と、窓から見えるセントホークを指差して涼子は言った。
「気になるんでしょ?案内するよ」
六堂は窓からセントホークを見つめ、(ぜひ頼む)と頷いたのだった。