中編
ただし、これらは一般的なウイルスの話であり、こんな俺でも擁護したくないのが、レトロウイルスだった。
レトロウイルスは、上述のような『ウイルスの生態』を示さない。もちろん普通のウイルスのように子孫を作るのだが、それだけではなく、レトロウイルス自身の遺伝子を宿主の遺伝子に組み込んで、一体化させてしまう。細胞の外へ出ていくウイルスとは異なり、細胞どころか遺伝子の中に留まり続けるのだ。大事な大事な、人間の遺伝子の中に!
なんとタチが悪い話だろう!
俺は専門家ではないから、余計にそう感じるのかもしれないが……。
レトロウイルスにだけは、絶対に感染したくない。どんなに致死率が高いウイルスであっても、普通のウイルスならば、感染してから発症するまでの間にウイルスを排除すれば死ぬことはない。発症前に排除ということは、症状すら出ないのだから。
つまりウイルスの保有者になったとしても、発症前の排除が可能であるならば、そこまで怖い話ではない。大騒ぎするような話ではない。
だが、レトロウイルスの場合は違う。感染者自身の遺伝子に、レトロウイルスの遺伝子が組み込まれてしまうのだから……。感染したが最後、もう一生、保有者であり続けるのだ! ああ、恐ろしい!
そんな『俺の専門ではない』レトロウイルスについて、何故わざわざ説明したかというと……。
今の職場で、俺も少しだけ、レトロウイルスに関わるようになったからだった。
そもそも学生時代からの俺の専門は、Cウイルスといって、重い風邪を引き起こす病原体だ。風邪というと軽く聞こえるかもしれないが、あくまでも『重い風邪』であり、死に至ることもある。というより、風邪で死んでしまう場合、ほとんどはCウイルスが原因だろう。
とはいえ、普通に健康だったならば、人間自身が持つ免疫力のおかげで、感染しても発症以前に――あるいは重篤化の前に――Cウイルスを排除できるから、大騒ぎする必要はないのだが……。
ここで、レトロウイルスの話が絡んでくる。Hウイルスという有名なレトロウイルスがあるのだが、こいつの症状は、人間の免疫力を低下させる、という厄介なもの。おかげで、Hウイルス患者が最終的にCウイルスを併発させて死ぬ、というケースも非常に多くなっていた。
そして。
この『併発』という点に着目したのが、俺の与えられた研究テーマだ。
Hウイルス患者は、Cウイルスにも感染する。二つのウイルスは感染者の体内で、全く同じ細胞内に存在し得るのだから、Cウイルスを利用してHウイルスを治療できるのではないか、という考え方だった。