彷徨える『忌み人』達の記憶①
思い出したくもないはずの記憶が、頭の中でもやもやと再生され始める。ずいぶん久しぶりにヒトと長く話したせいか、いつもよりずっと鮮明だ。あの頃―――……
ごく普通の獣人だったコルルが、目や爪の色が変わり、まるで別人のようになってしまったのは、たぶん今のウゲンと同じくらいの年頃、つまりまだほんの子供だった頃だ。
だが、そんなことは関係なく、世間の目は冷たく厳しいもので。
コルルのように突然、姿の変わった者たちは、今と違って『魔族』として恐れられるのではなく『忌み人』と呼ばれて嫌悪され、罵詈雑言を浴び、石を投げられ追い払われるか、あまりにも醜い姿に変貌してしまったばかりに殺される者も多かった。
誰も、好きでこんな姿になった訳ではなかったのに……
この恐ろしい現象の原因が何なのか、当時はまだ解明されていなかったが、三カ月ほど前にあった小さな地震のせいだという噂がまことしやかに流れていた。
揺れ自体は大したものではなく、棚の物が落ちたくらいで死人はおろか怪我人すら出なかった。
しかしこの地震によって、コルルの故郷の村近くにある小さな山で、大きな崖崩れがあったという。
幸い、山の深い所で起こったから誰か巻き込まれた者が居たりはしなかったのだが、そこで何かが起きたのだそうだ。
土中深く封じ込められていた魔物が目を覚まし飛び立ったとか、
太古の神々が厳重に蓋をし埋めていた伝説の箱が開き、未知の災厄が漏れ出したのだとか、
とうてい信じられないような話がそこかしこで飛び交っていたものだが、確かに人々の体に異変が起こり始めたのは、その地震のすぐ後だった。
崖崩れの起きた山近くに住む者達から順に姿かたちが変わり、水や火を呼ぶ妙な力を発する人もいるという。
コルル自身も、何もないところに白い霧や灰色の靄を発生させ、その中に色々な映像を映す幻術のようなものを使えるようになっているのだが、そんな能力があるからといって何だというのか。
叶うことなら、持って生まれた元の体に戻りたい。
どこにでもいるような片田舎の農民の娘で、裕福な暮らし向きではなかったが、当たり前に過ごしていた普通の暮らしをまた出来るなら、他に何も望みはしないのに。
記憶の中にいる幼い自分は、こんな体になってしまったばかりに村を追われ、疲れた足を引きずって夕暮れの平原を歩いているところ。
独りではなく、同じように容貌が変わり、それまでの人生を失った人々も一緒だ。
コルルのような子供の他に、大人の男女や、年寄りもいる。
変貌の度合いは様々で、普通のヒトや獣人だった頃とそれほど変わらない者もいれば、角が生えたり体格が巨大化して、元の姿から変わり果てたであろう者も多い。
ただ、みな一様に目は爛々と黄緑色に光り、鋭く尖った爪は銀色。測らずも同じ原因で体が変化したであろうということは一目瞭然だ。
ヒトでも獣人でもない、何かになってしまった集団は、身を寄せ合って夕暮れの草原をのろのろと歩く。
傍から見たら、どれだけ恐ろしげな光景であるだろう。
「はあ……お腹すいた」
コルルのすぐ近くにいるモルモット型獣人の少女が、消え入りそうな声で呟いた。
「だめよ、そんなこと言っちゃ。みんなお腹は減ってるんだから」
答えたのは、やはりモルモット型の獣人少女で、空腹を訴えた娘と顔も声もソックリ。
それどころか毛並みも背丈もまったく一緒で、外見から二人の見分けるのはかなり難しい。双子の姉妹だというから当然か。
名前は確か、リアラとリエラ。
二人ともまだこの集団に入ってから日が浅く、年が近いからコルルとは少しずつ仲良くなれている。
どっちがリアラでどっちがリエラかっていうのは、全然わからないけれど。
「最後に何か食べたのいつだっけ、覚えてる?」
「ううん、わかんない……やめましょ、食べ物のこと考えるのは。ますますお腹が減っちゃう」
「ごめんね、でも考えちゃうの……はあ、いつまでこうやって歩かないといけないのかなぁ……」
互いに肩を抱いて、痩せ細った体を支え合いながら進む二人の姿は痛々しいが、それでも家族と言葉を交わせるのだから羨ましい。
コルルはこうなる前、両親と、弟と妹がそれぞれ一人ずついたが、異変が起きて間もなく、みんな死んでしまった。
別に珍しいことではない。
病人や虚弱体質な者はまずこの異変には耐えられないし、健康な人間でもだいたい三分の一くらいは保たないという話だ―――……
自分も家族が逝った時、一緒に死んでしまえば良かったのに。
愛する人達と一緒に永遠の眠りについていれば、どんなに楽だったか……
考えても仕方のないことをぐるぐる考えていると、先頭を歩いている人々の会話が聞こえてきた。
「……子供たちの体力が、限界のようだな」
「無理もありませんよ父上。もう三日も飲まず食わずで歩き通しだ」
先頭まではかなりの距離があるというのに、この忌々しい耳はその声を拾ってしまう。
「どこか休める場所が見つかるといいのだが」
恐らくリアラとリエラの会話を耳に入れ、心配してくれているのは、この集団を纏めているビクトリオ・フェレス公だ。
かつて外の大陸から侵略してきた軍隊との戦で八面六臂の活躍を見せ、エーヤン王立軍を勝利に導いた、『金獅子ビクトリオ』の異名を持つ猛将。
彼もまた原因不明の病によって変貌を遂げており、その名の由来になった波打つ黄褐色の髪はそのままだが顔の方はおよそ人間のものとはかけ離れている。
顔面を含め全身が淡い茶色の毛でびっしりと覆われ、鼻が引っ込んだかわりに口と顎は突き出て鋭い歯が並び、二つ名の通りに獅子そっくりな容貌だ。
こうなってしまう前はコルルの住んでいた村も含む広い地方の領主様で、領民の暮らしぶりを確認するため時折り村まで視察に訪れてくれていたりしたから、元の立派な姿も知っている。
だからお気の毒ではあるが、変わり果てたとはいえその瞳に宿る高貴な威厳は失われていない。
「丈高い草の城はもうすぐですよね?
城の中には入れてもらえないだろうけど、城壁の陰を借りて眠るぐらいはできるかもしれない」
フェレス公の隣につき、答えているのは、ご子息のエンリミオ様。
明るくハンサムな公子様で領民にも人気が高く、特に若い娘は身分をわきまえず憧れている者が多かった。
父親と違って大きく外見に変化したところはないが、それでもやはり両の目、肌、爪は変色してしまっている。
フェレス公には彼の他に二人の御子息と奥方が居たが、体の異変に耐えられず亡くなったそうだ……こと奥方に関しては、自身の変貌を受け入れられずに自ら命を絶ったというから惨い話である。
とはいえ、出来のいい嫡子だけでも生き残ったのは僥倖だったろう。
父子は互いに励まし合いながら、『忌み人』と呼ばれ蔑まれ故郷を追われた領民たちを集め纏め上げ、どこか安住の地を求めて先頭に立ち歩き続けてくれている。
そんな領主父子が率いるこの集団が出来てすぐの頃から付き従っているコルルは、いわば初期メンバーだ。
それ故、厳しい現実にも直面してきた。だからきっと次もダメだろうと、もう半ば諦めている。