そして僕は旅に出た②
どうする‥と言われても、自分は我が家の唯一の男手にして村の貴重な働き手。
明日も明後日も、来週、来月、来年だって働き続けないと……死んだ父に替わって家族を支える、責任があるから。
全部投げ出して村を出るなんて無責任なこと、自分にはできないから。
『お前の頭の中にあることは、何年経ったって消えも無くなりもしねえぞ』
ノブが考えていることなどお見通しのようで、その人は淡々と、しかし強い口調で、言った。
『もちろん、一つの場所に留まってそこでの暮らしを守る、そういう一生だって、決して悪いモンじゃねえ。
偉い奴が高い服着てふんぞり返ってたり、冒険者があっち行ってこっち行ってフラフラしながら好きなように生きてられんのは、自分の仕事を真面目にひた向きに続けてくれている人達が世の中を支えてくれてるからだ。
その道を選んで得られる幸福は、何物にも代えがたい、かけがえのないモンになるだろうよ。
ただ……お前が心から納得して、そっちに進むのならって前提の話だけどな』
納得……するだろうか。
このまま村に閉じ籠もり、毎日同じことを繰り返すだけの一生で。
もちろん、この人の言う通り、そういう暮らしだって尊いもののはずだ。
こんな不安定な時代だからこそ、安定した毎日の中にあるささやかな幸福が、何より大切で愛しいものなんだろうと思う。
だけど―――……それで満足か、と問われれば、絶対にハイとは言えない。頷けない。
見たいもの、行きたい場所、たくさんあるけれど、たった一つどうしても知りたいことがある。
それを見つけるためには、此処に居てはダメだ。
旅に出たい、出なきゃならない、どうしても。
『……今お前が、頭の中で何考えてるかなんてことはわからねえが―――』
多分、ほぼ、答えの出た頭の中に、その人の低くて渋い声は静かに響いた。
『一つだけハッキリしてることがある。
冒険に出るためには必要な資格も、誰かの許可もいらねえ。旅に出ると決めて、一歩踏み出せばもう、お前は冒険者だ。
だがな、その一歩を踏み出さなきゃ何も始まらねえ。
いつか旅に出たいって、心の中で願うばっかりで、いま抱えてるもの全て手放して歩き出す勇気が無いってんなら……お前には、いつかなんて日は来ねえよ』
言いたいことを全部言って、照れ隠しに『ちょっと喋りすぎたぁ』と呟いて剣を仕舞うと、その人は背中を向け、歩き出してしまった。
宿へ向かって去る、小さな後ろ姿。その灰色の背中は、今まで出会ったどんな大人よりも、広く見えた。
……いつか、は来たよ。先輩。
老剣士が村を発つその前日、ダメだと言うところを必死に頼み込んで、どうにか“冒険者見習い”という名目でギリギリで仲間にしてもらい、更に『アンタ一人じゃ危なっかしくて無理』と半ば無理矢理についてきた幼馴染みも巻き込むかたちで、ノブは旅に出た。
時間がなく大慌てで支度をしている間、ノブが冒険に出ると聞いて村の大人達からは随分と強く止められたが、意外にも姉と祖母は賛成してくれた。
畑は人に貸して、姉と祖母で協力して織り物とか針仕事の内職をすれば二人分の食い扶持くらい稼げる。
だから家族のことは気にせず思いっきり楽しんでおいで、と。
『今の内に冒険しておかないとさあ、お爺さんになってから後悔するに決まってるよ。
ちょうど、いつまでもグジグジ家に居ないで行って来いって、そろそろ発破かけるつもりだったの。
打倒魔王だか何だか知らないけど、悔いのないように好きなことやってきなよ!!』
と、姉サキは笑いながら送り出してくれたものだ。
あれから五年、故郷にはまだ一度も帰っていない。
今のところ大した結果を出した訳でもなく、まだまだノブの冒険は道半ばなのだから、帰れはしない。
そんな中途半端な身の上で、冒険者志望の未来ある少年に語って聞かせてやるような大それた者ではないと自覚はしているが―――
……尊敬する大先輩の言葉を借りて、アドバイスしてあげるくらいは大丈夫、かな?
「俺の言葉じゃなくて、申し訳ないんだけど」
少し緊張した面持ちでこちらを見つめているウゲンと正面から向き合い、あまり上から目線で偉そうにならないように気をつけながら、ノブはあの日の記憶を辿って語る。
「昔、ある人に言われたんだ……冒険に出るのに必要な資格も、誰の許可もいらない。旅に出ると決めて一歩踏み出せば、もう冒険者だって。
それと、いつか旅に出たいって願うだけで、自分がいま抱えているものを手放して歩き出す勇気が無いなら、いつかなんて日は来ないってね」
ここまでは、ノブにとって世界一カッコいい先輩剣士からもらった言葉。
そしてここからは、自分自身が伝えたいことだ。
「ちょっと厳しく聞こえるかもしれないけど、俺はその人に背中を押してもらえた。
その、抱えてたもの全部捨てられた訳じゃないけど、とりあえずいったん横に置いといてさ、一歩踏み出すことが出来たんだ。
だから君にもきっと、『いつか』は来るよ。
……ま、さすがにもう少し大人になってからじゃないと危険だけど、冒険に出たいって気持ちがあって、最初の一歩さえ踏み出すことができれば、誰だってもう立派な冒険者なんだから」
自分を見つめるウゲンの大きな瞳が、尊敬と憧れを湛えてキラキラと輝いていることに気づき、若輩が調子に乗って語り過ぎたかな、と急に恥ずかしくなる。
先輩もあの時、こんな気持ちだったんだろうか。
「あの……だから、日々の修行をたゆまず大切に、ね。
体を鍛えるだけじゃなく、お父さんやお婆さんの言うことをよく聞いて手伝うのも大事な修練の一つだから、面倒だと思わず頑張ってほしい。
年長者に敬意を払わずないがしろにする冒険者に、ろくな奴いないからね」
「……はい!!」
ついつい照れて保育園の先生みたいなことを言ってしまったが、少年の返事は素直で気持ちのいいものだった。
息子と冒険者のやりとりを近くで聞いていた父のサゲンは、複雑な表情でやれやれと肩を竦める。
「息子に余計なこと吹き込みやがって……」
「うわ、スミマセン!!」
そういえば冒険者って“親が子供に目指してほしくない職業”の上位だっけ。
慌てて謝るノブだが、どうやらサゲンはそんなに怒っていないようだ。静かな足取りで進み、入り口を塞いでいる大岩に手をかける。
「謝ることはねえさ。もう城から出ちまったんだから、俺達も新しい生き方ってのを見つけなきゃいけねえ。
正体隠して冒険者になるってのは、なかなかいい道かもしれん……
俺も、いつまでも城での仕事なんざ引きずってないで、変わらないとな」
魔王城の廊下を防衛していた頃にならって、山に入ってくる冒険者達を片っ端から倒す、という今のやり方は無謀に過ぎるということは、薄々勘付いてはいたが今日で思い知った。
魔法は不得手だが、どうやらそうも言ってられない。明日からはウゲンと一緒に、コルルから変化の術を習うことにしよう。
そして、うまく魔族の姿を誤魔化せるようになったら、街に下りて仕事というやつを探してみよう。
正体を隠して働くとなると苦労は多いだろうが、ウゲンとコルルと三人、安心して暮らしていく為なら、身も心も惜しまず削ってやる。
ほんの少し見えて来た希望の光に思いを馳せながら、腕に力を込めて、扉がわりの岩をずらす。
暗かった洞窟の中に、まばゆい昼の光がさあっと差し込んできた。