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そして僕は旅に出た①

「フェレス公?」


 聞き覚えのある名前を繰り返したアキナに、コルルはこっくりと頷く。


「ああ、そのビクトリオ・フェレス公こそ、魔王その人さ。

 自分達を虐げる人間どもを少しでも脅かす為に、『地獄の(ヘル)フェレス』を名乗るようになったけど、お姿が変わる前はそりゃあ立派なご領主様だったよ。


 そのご子息で、二代目魔王になったエンリミオ様はハンサムで陽気な方だったし、三代目を継いだフリック様だって、ちょいと神経の細いところはあったけど悪い人じゃなかった。


 四代目のサイゲールってのはフェレス公の縁者じゃないから全然知らないけどね、いま五代目をやってるジェレニアス様は、ビクトリオ様とエンリミオ様の親子二代、腹心の部下を務めた方で、アタシの知ってる限りじゃ厳しいところもあったけれど、誇り高く慈悲深い方だったよ。今は変わってしまったようだけどね」


 語るうちに昔を思い出して胸を締めつけられ、コルルはふっと顔を上げる。

 目に映るのは灰色の岩ばかりだが、脳裏をよぎるのは過ぎ去っていった日々のこと。


 魔族になってしまったことで辛く、苦しい経験もしてきたが、今となってはこういう人生もそう悪いものではないと思えるのだから不思議なものだ。


「もう気の遠くなるような昔のことだっていうのに、いろいろ覚えてるもんだねえ。

 忘れたほうが幸せなコトもあるっていうのに、そういう記憶に限って片時も頭から離れてくれない……

 なのに、時間が経てばそれも大切な思い出になるんだから、おかしなもんだよ」


 寂しげながら、感慨深そうな老人の呟きに、辺りはしんみりとした雰囲気になる。

 しばしの間流れた沈黙を破ったのは、ノブだった。


「片時もってことは、コルルさん……あなたはサゲンさんと違って魔族化した後も、人間だった頃の記憶が残っていた、ということですか?」


 いつになく真剣な表情で訊ねてきたノブに、コルルは答えなかった。

 天井を見つめて黙ったまま、頭の中でぐるぐる回る懐かしい情景を楽しみ、やがて虚しくなって顔を下ろした。


「やれやれ……長話したらちょっと疲れたね」


 よいしょ、と膝を伸ばしてゆっくり立ち上がると、老婆はくるりと体を反転させる。


「悪いけど、今日はもう休ませてもらうよ。

 アンタ達も、暗くなる前にお帰りな。それじゃサゲン、後は頼んだよ」


 一番の年長者にこう言われては、否とはいえない。

 誰とも目を合わせることなく、コルルが出て行くと、サゲンも立ち上がった。


「婆さんの言う通りだ、今ならまだ明るいうちに山を下りられるだろ。入り口まで送るぜ」


 どうやら今日はもう、これでお開きのようだ。

 最後のノブの問いにこそ答えてもらえなかったが、これだけたくさんの情報を仕入れることが出来たのだから、収穫は充分。


 そう判断して帰り支度を始めたリーダーに他のメンバーもならい、準備が整うと、明かり取りのランプを持ったサゲンの後について出口を目指し歩き出す。


 大事な隠れ家に招き入れてもらった礼を言いつつ、当たり障りのない会話を交わしながら進み、出入り口を塞ぐ岩のところまで来ると、サゲンはランプを足下に置いた。

 岩にぴったり耳をくっつけて外の様子を探り、特に怪しい気配はないと確かめると、入り口を開けるべく岩に手をかける。


「それじゃ、いろいろ世話になったな。久しぶりに客と話が出来て楽しかったぜ」


 こちらこそ、と返そうとしたノブだが、


「ノブさん!!」


 後ろから声がかかった。

 振り返ると、暗闇の中にウゲンがポツンと立っている。ノブ達が帰る気配を察知し、追いかけて来たのだろう。


「もう帰っちゃうの?」


 残念そうな顔をしているウゲンに、ノブは優しく笑いかける。


「ああ、今日のところは帰らせてもらうけど、君さえ良かったらまた来させてもらうよ。

 お父さんともまだまだ話したいことがあるしね」


 ウゲンは嬉しそうな笑顔を見せた後、父親に目を向け、なぜか困ったように額に皺を寄せた。

 何か迷っているような素振りで、父とノブを交互に見やった後、意を決した様子でキッと厳しい表情を作り、両手をこちらへ突き出した。


「あの……これ、ちょっと見てもらえませんか」


「ん?」


 その場に居る全員が見守るなか、少年の手が金色に光り出す。

 数秒経ったのち光が消えると、ウゲンの鈍い銀色の爪が、牛型獣人としてはごく自然な灰色がかった白に変わっていた。


「あ、変化の術……?」


「すごい」


「ほー、大したもんだな」


 冒険者達が口々に褒める一方で、父親であるサゲンはあんぐりと口を開けて驚いている。

 どうやら息子が魔法を使えることを、今初めて知ったようだ。


「ウゲン、お前いつの間に……」


「バアちゃんから習ったんだ。

 今は手しか変えられないけど、もうちょっと練習すれば普通の人間に見えるくらい、化けられるようになるって。だから……」


 自慢げに語った後、少年は少し声を抑え、それでもハッキリとした口調でこう言った。


「だから俺も、冒険者になれますか?

 いつかノブさんみたいに強くなって、仲間と一緒に旅に出られるでしょうか」


 背後でサゲンが大きな衝撃を受けているのが伝わってくるし、ノブ自身も非常に驚いたのだが、ひた向きに見つめてくる少年の目は、昔の自分を思い出させた。


 故郷の村で畑仕事に明け暮れ、いつか冒険に出たいと思っていたあの頃。

 アキナの父が営んでいる鍛冶屋に凄腕の剣士が来た、という噂を耳にして、仕事の合間を縫いわざわざ会いに行ったことで、その夢は動き出した。


 冒険の話を聞かせてほしい、と頼んだノブに、その人はなぜ自分自身で旅に出ようとしないのか、と逆に訊いてきた。


『それは、家のこともあるし……俺よりずっと強い人が旅に出ても生きて帰って来れない、なんてこともザラだっていうし……

 今はまだ覚悟が出来てなくて、無理かなって』


 ズラズラと情けない理由を並べる自分が惨めで堪らなかったが、その人は馬鹿にすることなく、ただ頷いた。


『なるほど、お前には冒険できない理由がたくさんあるらしいな。

 なら逆に訊くがよ……どうしてお前はそんな身の上で、旅に出たいなんて思ってんだ?』


『え?』


 まさかそんなことを訊ねられるとは思わず、すぐには答えられなかった。


 魔王を倒して名を挙げたいとか、城に隠された財宝を探し当てて一攫千金とか、そんな単純なことではない。

 ただノブはずっと、いつまでも故郷にしがみついていてはいけない、此処を出て、どこかで何かをしなくては、という使命感というか、焦燥感みたいなものを抱いていて、それが旅への憧れとして心の中にずっと存在しているのだ。


 そんな気持ちを言葉に表すのはなかなか難しく、黙ってしまったノブに、その人はニッと笑いかけてくれた。


『そうか、お前はこれっていうハッキリした理由がないのに、旅に出たい奴なんだな。

 それなら、いい冒険者になれるかもしれねえな』


『えっ?』


 確固たる目的もないくせに旅へ出ようなんていう冒険者もどきの、どこがいいというのか。

 理解できず戸惑っているノブの気持ちなどお見通しのようで、その人は静かな声で理由を語る。


『伝説のお宝を見つけるとか、親兄弟の仇を討つとか、デカい目標掲げて旅に出る連中が目立つけどよ、ただ故郷から出て広い世の中を見てみたいって理由で冒険者になった奴も大勢いるんだ。


 そんで俺の見たところ、旅そのものを楽しんでるのは後者だな。

 夢や悲願を抱えている者に比べりゃ“いつでも辞めていい”って気楽な立場だから余裕持って楽しめるんだ。

 もちろんそんな風だから、途中で辞めちまう比率は目標持って旅に出た者より理由なき旅してた奴のほうがずっと高い。


 ……でもな、大概はどいつも満足して辞めてるぞ。

 “山育ちで海を見られたからもういい”とか、

 “自分にぴったり合う仕事を見つけたから、冒険やめてそっちの道で働く”とかな。

 無意味な旅して時間を無駄にした奴なんか一人もいねえ。


 たぶん、自分で気づかなかっただけで、一回でいいから海を見てみたいとか、今やってる仕事が性に合わねえから他の職業コトに挑戦してみたいとか、そういう気持ちが心の奥底にあって、漠然と“旅に出たい”って気持ちに駆られちまってんだ。

 若い奴がよく言う、“冒険が俺を呼んでる”って状態だよ。


 無駄に年だけ取った頭の固てぇ大人とか、自分は賢いと思い込んでるただの意気地無しが、それ言う奴を馬鹿にするけどよ、俺は大いに結構だと思う。


 理由なき旅、いいじゃねえか。冒険に出た理由なんて、旅しながら探しゃいいのよ。


 ……長くなっちまったけど、要するにな坊主、お前は今まさに“冒険に呼ばれてる”状態だよ。それで……』


 その人の右手がぴくりと動いたと思ったら、次の瞬間、目の前に長剣の先が突きつけられていた。

 ノブのほうを振り返るついでに腰に提げた鞘から剣を抜き払ったのだろうが、まさしく目にも止まらぬ早業だ。


『お前、どうする』


『え』


 鋭く尖った剣の切っ先よりも、その眼に宿った鋭く厳しい光に気圧されて、ノブはすぐには答えられなかった。

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