こんなご時世に行楽ネタなんて
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魔王城に最も近い村として知られるモウグス村と、地方都市メイウォークを繋ぐ街道は、丈の高い草が生い茂った広い平原の真ん中を突っ切って敷かれている。
その平原を街道から外れて東へ進むと、やがて小さな山に行き着く。いかにも登りやすそうな、なだらかな山だ。
生えている木々も低く、周囲を緑豊かな草原に囲まれているので一見すると長閑に見えるが、魔王城に近いためそれなりに強い魔物や変異植物がウジャウジャ出るから、よほど腕に自信のあるパーティーでない限り、まずこの辺りには近寄らない。
危険な分、レアなモンスターが出る確率が高かったり、山内でしか採れない鉱石や薬草などもあるので見返りも大きいのだが、挑戦する時は己のレベルと装備をよく確認してからにしたほうがいいだろう。
山に分け入ったが最後、戻って来なかったパーティーも少なくないのだ。
そんな危険かつ恵み豊かな山の中腹に、切り立った崖がある。
勇敢な冒険者でも、上から覗きこめば足が竦むような恐るべき断崖絶壁……というような厳ついものではなく、せいぜい三階建ての家屋くらいの高さなので冒険者達の脅威になり得るような崖ではないが、落ちたら痛いし崖下は植物が生えておらず石ころだらけの堅い土なので注意は必要だ。
その崖下の一角に、大きな一枚岩がある。大きいといえど山の中なら普通にあるくらいのサイズで、見た目は何の変哲もない灰色の岩だから、まさかその裏に深く長い洞窟があろうとは、まず誰も気がつかないだろう。
奥へ奥へと真っ黒い闇が延々と続き、あちらこちらで枝分かれした横道が方向感覚を狂わせる、自然にできた広大な迷宮のような洞窟が。
正午を過ぎた今、その岩の奥にある悪夢のような洞窟の中に、不思議な光が灯っていた。
万物を照らし燦々と降り注ぐ外の世界の太陽とは異なる、夏の夜の蛍が放つような優しい色の光。
光源となっているのは大ぶりなランプだが、その内部にあるのは燃える炎ではなく、黄金色の球体だ。
近くに流れる小川から採取した雲母や、こことは別の洞窟に生えているヒカリゴケ、熱い夜に跳び回る夜光虫の羽などを集めて精製した、特別製の発光体である。
広い洞窟全体を満たすほどの強い光ではなくとも、小さな家の居間くらいの空間は充分に明るく照らすことが出来ている。
そのランプが置かれているのは洞窟の奥、それこそ一般的な家屋の一室くらいの広さがある横穴の中であった。
ランプがある時点でただの岩穴ではないが、内部は何とも生活感あふれる様相となっている。
足下の硬い岩盤の上にはフカフカとした深緑色のカーペットが敷かれており、周りの岩壁には数か所、浅く削って造った棚まである。
岩棚には乾燥した植物の葉や木の実を詰めた小さな蓋つきの壜がずらりと並び、古びた剪定バサミや木槌などの小道具もある。
一方、床の上には小さな箪笥や籐編みの籠が置かれているが、そちらもかなりの年代物だ。
童話の挿絵でよく見られる、ちょっと怖い魔法使いが棲んでいる家のような様相だが、ランプの袂にいるのは二人の獣人だった。
一人は、立派な角と灰色の肌を持つ牛型の少年。まだあどけない顔つきながら肩幅は広く胸板は厚く、逞しい体格をしている。
今はその分厚い体を丸めて胡座を掻き、縁の欠けたすり鉢を膝で抱えている。
もう一人は、年老いた垂れ耳ウサギ型の老女。こちらは部屋の雰囲気とよく合う魔女じみた老婆で、つい先日森で命を落としたモグラ型老人を追悼していたその人である。
年齢、性別、見た目。すべて正反対の二人は今、座りこんで正面から顔を突き合わせ、共同で何か作っているところ。
老女が手元に置いた壜の中から乾いた葉や木の実を取り出してすり鉢の中へ投げ入れ、少年がスリコギを動かしてそれを潰す。
ゴリゴリと重い音を立てて鉢の中身を挽きつぶし、ある程度細かくなったところで、少年が口を開いた。
「どうかな?バアちゃん」
「そうだねえ……」
老女はヒクヒクと鼻を動かし、鉢から漂う匂いを確かめると、こっくり頷いた。
「調合はこんなもんで良さそうだね。後はもう少し細かくすれば効き目ばっちり、言うことなしだ。さ、気合い入れて擂っとくれ」
「うん、わかった」
止まっていた少年の手が動き出し、再び鉢の中身を擂りつぶす音が岩屋の中に響き出す。
少し間を置いた後、その響きとは異なる、厚い布が擦れる音が聞こえた。何者かが横穴の入り口に掛けてあるカーテンをめくり上げ、中に入ってきたのだ。
続いて、ドシドシと恐ろしげな足音が洞窟内の空気を震わせるが、二人の住人にとっては聞き慣れているものだ。特に気にせず作業を続ける。
間もなく、足音の主は二人のもとへ辿り着いた。ランプの光に照らし出されたのは、少年と同様、大きな角を持つ牛型の獣人男性の姿だ。
ただし、その体は少年よりも二回りは大きく、筋骨隆々。肌の色もずっと濃い。
いかにも剛腕を誇る武人といった風貌だが、その盛り上がった肩に背負っているのは、ただの荷運び用の葛籠だ。
すりこぎを動かす手はそのままに、少年が顔を上げた。
「お帰り、父ちゃん」
呼びかけられた牛型の男性……少年の父親は、「おう」と短く答えながら葛籠を肩から外し、敷布の上に降ろして蓋を開けた。
中にはぎっしりと、キノコが入っている。白と黄色のマーブル模様の、派手なやつだ。
男はおもむろにそのキノコを一つ手に取り、老婆のほうへ掲げて見せる。
「ペリン茸ってのは、コレでいいんだよな?婆さん」
老婆はちらりと目をやって確かめると、小さく頷いた。
「そう、よく間違えずに見つけてきたじゃないか」
「フン、これだけ派手な色してりゃイヤでも目につくぜ。これも干すのか?」
「そうだね。この前教えた通りに、紐を通してくれるかい?サゲン」
サゲンと呼ばれた男は、岩棚の道具入れから紐と小型の錐を取り出すと、葛籠の横に腰を下ろして胡座をかいた。
以前、老婆から教わったことを思い出しながら、手に持っているキノコのカサの、一番分厚くなっているところを狙って斜めに錐を刺して穴を開け、そこに紐を通す。
紐が抜けないように穴の両端付近に玉結びを作り、次のキノコも同様に穴を開け紐をくぐらせて、後はその繰り返し。
手つきは荒っぽいが、まずまず出来ている。
老婆は顔の向きを戻し、少年がすり潰している鉢の中身へ意識を戻した。
それぞれの作業に没頭する三人は、獣種の違いはあれど、本物の家族のように見える。
どこの田舎にも居る、秋の収穫を喜び、地味な手仕事にいそしむ家族―――しかし、三人に共通した特徴、銀色に光る爪と爬虫類じみた黄緑色の目が、彼らの正体を物語っている。
三人は魔族であった。
牛型の親子は見るからに強そうだし、兎の老婆は知能が高そうで、人間にとっては充分すぎるくらい脅威になる存在だが、今はそんな風には見えない。
暗い洞窟の中、ひっそりと暮らす様は無害そのものだし、物悲しさすら漂ってくる。
黙々とそれぞれの仕事を続けていた魔族らしからぬ三人だが、ふとサゲンが手を止めた。
顔を上げて小ぶりな耳をヒクヒクと動かし、おもむろに立ち上がる。
たとえ分厚い岩の壁越しでも、上級魔族の耳は、武器を携えそぞろ歩く不快な足音を聞き逃しはしない。
どうやら、また命知らずの冒険者達が近くまで来ているらしい。
「ちょっと行ってくる……戻ったら続きをやるから、このままにしておいてくれ」
使っていた道具を葛籠の蓋の上に置き、出入り口に向かって歩き去る背中を、老婆と少年は共に手を止めて見送る。
「行ってらっしゃい、父ちゃん。気をつけてね」
「あんまり、無茶するんじゃないよ?」
心配する二人に向かって軽く右手を挙げて答え、振り返ることもなく、サゲンは暗闇の中へ消えた。
しばらくして、洞窟の入り口を塞いでいる岩を動かす鈍い音が聞こえてくると、老婆は小さく溜め息をついた。
あの大岩を易々と開閉できるような怪力の持ち主であれば、この辺をうろつくレベルの冒険者に負けるようなことはまず無いだろうが、万が一ということもある。
帰りを待つ身にもなってほしいものだ。
「まったく、冒険者なんか放っときゃいいのにねえ……」
「しょうがないよ、父ちゃんはお城に居た頃は警備隊長だったからさ。不法侵入してくる奴には厳しいんだ」
知ったような口を聞く少年に、山は誰のものでもないし、つまらない肩書きにいつまでも縋るのは良くないと言ってやっても良いが、やめておいた。
もう名乗れないとはいえ、立派な肩書きを持っていた父親を誇っての台詞だ。すべて失った今となっては大目に見てやらなくては。
「まあ危なくない程度にやってくれればいいさ」
「大丈夫だよ、父ちゃんはすっごく強いもん。オレも大きくなったら、あんな風になれるかなあ」
少年の弾む声を聞いていたら、自然と老婆の口元も綻ぶ。父親に比べれば大人しい性格の息子だと思っていたが、血は争えないようだ。
「アンタならきっと、もっと強い男になれるだろうさ。頭もいいから、うんと出世して、警備隊長よりも偉くなっちまうかもね」
老婆の褒め言葉を聞いた少年は、口を閉じ、ちょっと考え込むような素振りを見せた。もしや父親を馬鹿にされたと思って機嫌を損ねたか?そんなつもりはなかったが……
老婆の懸念をよそに、少年はソワソワと目を動かして辺りを確かめた後、少し顔を近づけて来た。子供が内緒話をする時の動きだ。
「……あのねバアちゃん、父ちゃんには秘密にしておいてほしいんだけど……」
他に誰が聞いているわけでもないというのに、少年は声を潜めて語る。
「オレさ、大人になったら、なりたいモノがあるんだ」
キラキラと無邪気に瞳を輝かせながら、少年が口にしたのは、ありきたりだけれど希望に満ちた夢。
もしここが魔王城で、誰かの耳に入ったとしたら恐らく、いや間違いなく、無事では居られないだろう―――そんな夢だった。