記憶の迷子が帰る場所⑥
「……抜け目ない奴」
下手な誤魔化しは通じないと見て、舌打ち混じりにアリオンが呟く。さすがにこれを聞き流すことは出来ず、ウィルは立ち上がった。
「グウェンの言ったことは本当か?アリオン」
「……まあ半分はな」
意外にも素直に認めたアリオンは、懐を探って手紙を取り出した。
「正確に言うと、魔族の文字と古代の象形文字を組み合わせた暗号文だ。上級黒魔導士が互いに内密の文書を送り合う時に使うんだが、良かったら誰か読んでみるか?
素人がイチから解読するには、二十種類の辞書を使って、早くとも三年かかるって話だがな」
アリオンが堂々と手紙を広げて見せても、手を挙げる者は誰も居ない。必然的に、魔族の文字を読めるセリーナに視線が集まってしまうが、困った顔で座っているだけだ。
この結果がわかっていたアリオンは、どうすることもできない一同を見渡して薄く笑う。
「頼みの綱の白魔導士もダメか、残念だったな。ま、無理もない……所詮は有益な攻撃魔法を、元は魔族のモノだから穢れてると忌み嫌って切り捨てて来た連中だ。
日々の研究と実践の上に成り立ってる魔法学の成果を、理解できる訳がない」
明からさまな嘲りを受け、セリーナは悲しげに目を伏せて俯いてしまう。さすがに腹が立ったウィルは言い返そうとするも、セルビーのほうが早かった。
「ちょっと黒魔導士さん、それ言い過ぎ!!攻撃魔法を邪法だってレッテル貼ったのは大昔の偉い人たちで、セリーナじゃないでしょ!?」
彼女の言う通りだ。教会が聖職者に闇魔法はもちろん、関連する学問の習得までも固く禁じたことはセリーナの責任ではない。責められる謂われはないはずだ。
「謝ってよ、セリーナに!!」
「謝る?」
目許を真っ赤にして激昂するセルビーだが、アリオンはやはり小馬鹿にした感じで笑うだけだ。
「ああ、そうしてやってもいい。
まずはこの大陸でのうのうと生きてる連中全員が、今まで迫害され殺されてきた黒魔導士たちに、膝ついて謝罪したらな」
今度こそ誰も、口を開くことができなかった。気まずい沈黙が続くなか、つまらなそうに顔を逸らし、アリオンは部屋から出て行ってしまう。
廊下を行く足音が遠ざかっていき、完全に聞こえなくなった後、セルビーはやり場のない怒りをグウェンに向かって爆発させた。
「もおーーーっ!!何なのあの人!?グウェン、もっと言ってやったらよかったのに!!」
このメンバーで、アリオンとまともに渡り合えるのはグウェンだけだろうし、そもそもこの揉め事の発端は彼がカラスの運んで来た手紙について追及したことなのだから当然の人選なのだが、当の本人はセルビーの怒声を気にとめる素振りもなく、閉められた扉を見つめている。
「確かにいけ好かねえ野郎だが、俺が無教養なのも、黒魔導士が未だに理不尽な差別を受けてるのも事実だしなあ……にしても、ちゃんと怒れるんじゃねえか、あいつ」
そう言ってなぜか安心したようにフッと笑うと、張っていた肩から力を抜いて、椅子の背に凭れかかる。
「ぜんぜん表情ってモンを出さねえから、ひょっとして魔族が化けてるんじゃないかと思って揺さぶってみたが……あの調子じゃ、そんなこともなさそうだな」
なるほど、やけに今日は突っかかると思ったら、意図的にアリオンを試していたのか。確かにあれだけ感情の起伏があったのだから、人間のふりをした魔族である可能性は低いだろう。
それがわかってグウェンは満足したのだろうが、セルビーはまだ不服そうだ。
「だからって、セリーナにひどいこと……」
「もういいわ、セルビー」
ゆるゆると首を横に振りながら、セリーナが少女の怒りを鎮めにかかる。
「あの人が言ってたのは、教会や白魔導士全般に対しての批判でしたから。私個人が責めを受けた訳じゃないので平気です。
それに、ぜんぶ真実でしたもの……きちんと受け止めないと」
気丈に振る舞ってみせるも、セリーナの微笑みはどこか悲しげだ。遥か昔から反目しあう教会と黒魔導士の関係を思えば、複雑な気分にもなるだろう。
さすがにセルビーも彼女の心中を察し、それ以上は何も言えず黙りこんでしまった。
「あの……」
重苦しい雰囲気が漂うなか、おずおずとケッジが発言する。
皆の視線が自分に集まると、緊張で目が回りそうになるのを必死にこらえ、意を決して話し始めた。
「僕は難しいコトよくわかんないし上手く言えないけど……あのヒト、アリオンは、そんなに悪い奴じゃないと思うんだ。
そりゃ、色々と怖いこと言って脅かしてくるけど、いつも本気じゃないし、さっきのカラスさんには優しかったでしょ?
僕らのことだって戦闘中にはばっちりフォローしてくれるし……何か秘密はあるみたいだけど、皆だって他人に言えない隠し事って多少は持ってるよね?
だから……あんまり、疑わないであげてほしいな」
ケッジのおかげで、張り詰めていた空気は随分と和らいだ。素直で嘘のつけない彼だからこそ、その優しさはまっすぐに伝わってくる。
「大丈夫だよ、ケッジ。誰も本気でアリオンのことを嫌ったり、追い出したりしようなんて思ってないから」
もらった優しさを返すべく、ウィルが温かい言葉をかけると、ケッジは縋るような目で見つめてきた。
「ほんと?」
「ああ、もちろん。セルビーは今だけちょっと怒ってるだけだし、グウェンももう疑ってないって言ってただろ?
なあ」
ウィルから話を振られ、まずはセルビーが渋々頷いた。
「うん、まあ……セリーナも平気だって言ってるし……ボクも怒鳴ったりして、大人気なかったよ」
えらい!と褒めてあげたいところだが、子供扱いするなとまた怒るだろうから、やめておく。
「……そうだな、チームワークが乱れて戦闘に響くのも面白くねえし……喧嘩売るのは控えるか」
続いてそう言ったグウェンは、煙草を取り出して立ち上がった。
たぶん外で一服しながら考えをまとめるつもりなのだろうが、ドアの前へ移動し取っ手を掴んだところで、ふと足を止めてケッジのほうを振り返った。
「向こうから売って来る喧嘩は買うつもりだからよ、その時は止めてくれよな、坊や」
からかわれていると解っていても、ケッジはつい反応してしまう。
「もお!!またそーゆー意地悪なこと言う!!良くないよ、オジサン!!!」
地団駄を踏むケッジに声を出して笑い、グウェンは出ていった。
細かい懸念は色々とあるものの、いつもの軽口を叩けるということは、彼もそれほど本気でアリオンを危険視してはいないのだろう。
ケッジのほうも気が済んだらしく、グウェンの姿が見えなくなると、だらっと背を丸めて舌を出した。
「ふはぁ~~……いっぱい喋ったらお腹空いちゃった」
これを聞いて、女性陣は小さく吹き出す。
「もお、ケッジはそればっかり」
「もう夕飯の後なんですから、あんまりたくさん食べちゃダメですよ?」
「わかってるよ~~」
テーブルについたケッジが、皿に残っているチーズや干し肉を食べ出すと、つられてセリーナとセルビーもお茶の用意を始める。
「ウィル、あなたもいかが?」
ティーポット片手に笑いかけてくるセリーナの誘いを断れるはずもない。ウィルも席に着き、年若いメンバー達はいつも通りの談笑を始めた。
夜の闇を弾き返すように、ウィルの部屋が温かいお茶の香りと、明るい笑い声に包まれる一方、鍵もカーテンも閉めて固く閉ざした暗い部屋の中で、アリオンはひとり手紙と向き合っている。
立派なテーブルと照明器具のあるウィルの部屋と違い、簡素な寝台と一人用の物書き机しかない狭い部屋。
光源は机の上の小さな燭台だけで、室内は外とさほど変わらないくらいに暗いが、闇に慣れた目にはこれくらいの明かりがあれば充分だ。
蝋燭の光を反射して、紅玉のごとく妖しく光る両の眸を動かし、もう何度も読み返した手紙の文章を、もう一度なぞってみる。
―――親愛なる友へ―――
まずは、君に相談もせず魔王城を出たことを謝らせてほしい。詳細は省くが、どうしても脱出しなくてはならない事情が有り、止むを得なかった。
また機会があったら詳しく話したいが、そういうわけでもう城についての情報を君に流すことはできなくなってしまった。
勝手な真似をして済まない。もし外でやれることがあれば、遠慮なく申しつけてくれ。君の期待にどこまで答えられるかわからないが、今まで通り尽力するつもりだ。
これからもどうか、よろしく頼む。
やっと城を出たか……
送り主である魔族の友人とはそれほど長い付き合いではないが、少し安心した。
彼は実力こそ申し分ないものの、一般の魔族とは大きなズレがあった。
愚かではなかったから表面上はそつなくやっていたが、いずれは取り返しのつかない事態を巻き起こして、粛清の憂き目に逢っていたことだろう。
そうなる前に、脱出できたのは良かった。城の中でもそこそこ上位の立場にあった彼から情報が得られなくなったのは惜しいが、他にも城内の協力者は複数いる。何とかなるだろう。
彼ほどの手練れなら、外に出たところで充分やっていけるだろうし、改めて頼みたいこともある。さっそく返事を書かなければ。
次の指示を簡潔にどう伝えたものか、文面を考えつつ、追伸も読み返す。そこにも、それなりに気になることが書いてあった。
―――追伸―――
以前から君が探していた“規格外のパーティー”というやつだが、当てはまりそうな者達を一組、見つけたかもしれない。
その連中は、とても一言では語れないのだが、とにかくその辺に居る冒険者たちとは一線を画している。君が望む通りの者であるかは正直わからないのだが、一応、記しておこう。
そのパーティーとは……
「戦士ノブのパーティー」
書かれていた文字を、そのまま声に出して呟いてみる。何だかパッとしない響きだが……一体、どんなパーティーなのだろう。
第六話・完