記憶の迷子が帰る場所⑤
これからの方針が決まり、覚悟も新たに立ち上がったフィーデルだが、
「師匠ーーーーーッッ!!!」
全力疾走からのタックルを腰に食らって、不様に倒れた。
顔面をもろに砂利に叩きつけてしまい、強烈な痛みに頭がぐわんぐわんと揺れるが、倒れ伏している余裕はない。
もしや敵襲か!?油断した!!と急いで跳ね起きたフィーデルの目に映ったのは。
「あ、スンマセン」
申し訳なさそうに立ち上がる、どっかで見た黒山羊少年だ……
「お、お前は……14歳の自称黒魔導士!!」
「ひどい覚え方ッスねえ~~。ただいま鋭意修業中、黒き闇魔法の申し子、デレクです!!」
少年は決めポーズのつもりか、二本の指を立てて額に当てつつ名乗りをあげる。
そういえばそんな名前だった気もするが、コイツについて覚えていることといったらこの、腹の底からイラッと来る感じだけだ。
二言三言交わしただけで、もうフィーデルがウンザリしていることなどまるで察していないデレクは、何かに気づいて首を傾げる。
「あれ?師匠、何かこの前とイメージ違うような……あっ、目の色、違いません?青くなかったっけ」
意外に、目敏い奴だ。
デレクの言う通りフィーデルの両目は、以前のような青でなく榛色をしている。
一応、正体を隠すために現在も変化の術は使っているため、青くすることもできるのだが、せっかく取り戻した自前の色だ。どうしても偽る気にはなれなかった。
そんな複雑な気持ちを、どう説明したものか……いや、そもそもコイツに説明する義理もないし……
フィーデルが逡巡しているうちに、デレクはハッと閃いてしまう。
「そうか、カラコンですね!?わかりますよ~~、たまには目の色って、変化させたくなりますよねえ」
ならねえよ!!どこまで痛いんだコイツは!!?
「俺の目なんかどうでもいいだろ!何でお前が此処にいるんだ!?」
聞いていられなくなって無理矢理に話題を変えると、デレクはウーンと唸りながら両腕を組む。
「何でって言われてもなあ……オレん家、この辺なんで」
ああそうか、野生の山羊って岩山に棲んでるもんな。別にこの山が出身地でもおかしくないか……って、そうじゃない。
せっかく目標ができて、本格的に行動に移ろうとしていたのに、何でこのタイミングでコイツに再会せねばならんのだ。
フィーデルの内なる苦悩になど気づくことはなく、デレク少年は感極まった様子で夕空を仰いでいる。
「いやぁ~~、いつもの日課で天から落雷を呼べないもんか、近くで練習してたんですけど」
どんな日課だ!?逆にコイツのスケジュール、気になってきたんだけど。
「急にスミャホの着信音が聞こえたから、こんな山奥で珍しいな、誰か居るのかな~~って見に来てみたら、何と師匠じゃないですか!
これはもう、運命ですよ!どうか私めにご指導ご鞭撻のほど……」
頼み込むために顔を戻したデレクの前にはもうフィーデルの姿はなく、麓へ向かって歩き去ろうとしている背中が遥か向こうに見えるだけだった。
「遠いなオイ!!!」
ビックリしてそう叫んだものの、山羊の健脚にはこれぐらいの距離、何でもない。ほんの少し走っただけで、フィーデルの前方に回りこめた。
「ひどいじゃないですか、師匠!!置いて行かないでくださいよ!!」
「うわビックリした!!足早っ!!」
「山羊ですから!!」
この際、ヤギでもヒツジでも、どうでもいいから関わりたくない。弟子にするにしても、コイツだけはお断りだ。
転送魔法を使えれば話は早いのだが、今はさっきのカラスを操作魔法で動かしているからそうもいかない。
移動・操作系の複雑な魔法というのは、それこそ魔王直属の幹部や黒魔導士の上位10人くらいの技量が無ければ二つ併せて使えないから、今のフィーデルの腕ではどうしようもない。
せいぜい、険しい顔を作って「ついてくるな!!」と凄むくらいしか出来ないが、そんな忠告を聞くようなデレク少年ではない。
「師匠~~お供しますよ~~」と繰り返しながらどこまでもついてくる。
こんな苦しい状況下でも、どうにか集中力を切らすことなくフィーデルが魔法を持続させているおかげで、例のカラスは問題なく、目的地へ向かって飛び続ける。
空を赤く染めていた太陽が西へ隠れ、夜の闇が空を覆い尽くした頃に、カラスはとある町の、小さな宿屋へ辿り着いた。
煌々と明かりが灯り、賑やかな話し声の漏れてくる二階の一室を選んで、まっすぐ窓辺へ舞い降りる。
羽を畳み、嘴でコツコツと硝子を叩くと、一拍置いて窓が開けられた。
フサフサした灰色の毛並みを持つ、狼型の獣人少年が顔を出し、不思議そうに夜の闇に目を凝らす。
窓枠に止まっているカラスを見つけると、いよいよ驚いて目を丸くした。
「あれぇ、カラスだよ?何でこんな夜中に飛んでるんだろ」
見た目と違い、おっとりした口調だが、カラスは本能で狼を警戒してしまう。
飛び上がってギャアギャアと喚き立てると、狼少年ケッジは、怖がって背を丸め頭を抱えた。大きな図体にそぐわぬ小心者なのだ。
「うひゃあ~~っ!!ゴメンナサイ、ゴメンナサイ~~」
「どうして謝るの???」
傍で見ていたゴーグルをかけた少女、機械技師のセルビーが首を傾げる。
「そのカラス、ケッジの知り合い?」
「ちがうよぉ~~、でも怒ってるみたいだからぁ」
部屋の中央にあるテーブルに片肘をつき、二人の不毛なやり取りを眺めていた若き剣士ウィルフリードは、向かいに座っている白魔導士セリーナに顔を向けた。
聡明な彼女なら、あのカラスがどんなものか解るかもしれない。
「何だろう、あれ?」
「操作魔法をかけられているんだと思います」
思った通り、明確な答えが返って来た。
「鳥を操って使者として飛ばす……上級の魔導士がよく使う手法ですね。
ただ、鳥にも相性があって、白魔導士は鳩やカモメをよく使うんですが、カラスや梟を操るのは―――」
セリーナはそこで言葉を止めて、ちらりと部屋の隅に目を遣る。その方向には、黒魔導士アリオンの姿があった。
さっきからいっさい会話には入ろうとせず、壁際のスツールに腰掛けて魔導書を読んでいたが、カラスが入って来たのを確かめると、本を閉じて億劫そうに立ち上がった。
騒いでいるケッジのほうへ進み、一歩離れた辺りで立ち止まる。彼がスッと片手を上げると、カラスはケッジを脅かすのをやめて、その手首に止まった。
「よしよし、手間かけさせたな」
いつもの不機嫌そうな表情をいくらか和らげ、アリオンが頭を撫でてやると、カラスも気持ち良さそうに目を細める。
端整な姿の黒衣を着た青年と、闇から湧き出たような昏黒の鳥。美しくも不吉この上なく、まるで絵画のような組み合わせだ。
労いのつもりだろうか、アリオンはテーブルに載っていた夜食の皿から干し肉を一枚摘むと、カラスの口許にあてがう。
行儀良くカラスが嘴で肉を挟み取る間に、アリオンは足に巻きついている紙片の結び目を片手で器用に解いた。
それが無事に彼のもとへ届いたことで、操作魔法は解除されたのだろう。
カラスはアリオンの手から離れると、開きっ放しだった窓から部屋の外へ飛び去った。
夜の闇へ溶けるようにしてカラスが見えなくなると、アリオンは窓を閉め、受け取った紙を少しだけ開く。サッと中身を確かめると、すぐに懐へ仕舞いこんだ。
別に取ってある個室で、ちゃんと読むつもりなのだろう。足早に部屋を横切るが、
「おい」
テーブルの端に座っていた傭兵グウェンが呼び止めた。
ドアの取っ手を掴んでいたアリオンは、さっきカラスに向けていたのとは打って変わって鋭い目つきで睨みつけるが、グウェンも怯まず睨み返す。
「そりゃあ、誰からの手紙だ?何が書いてある」
「そ、そういうの、良くないんじゃない?」
二人の間に漂う剣呑な気配に圧されながらも、ケッジが恐る恐る口を挟む。
「カラスが届けてきたからビックリしちゃったけど、アリオン宛ての私信でしょ?内容を教えろなんてのはちょっと……」
「ああ、別に俺もコイツの交友関係なんざ、さっぱり興味はないんだがな」
アリオンから目を離さずに、グウェンは答える。
「ちらっと魔族の使う文字が見えちまったもんでね。そうも言ってられねえ」
先ほどアリオンが手紙を広げた時、背後の窓硝子に映った文面の一部を、グウェンは目敏く捉えていた。
ほんの数秒のことだったが、書かれていた文字は、確かに魔族の使うそれだった。