いま公園にある危機②
いつも楽しそうに過ごしている仲間達が、背後に抱えているものを知り、フィーデルは静かな衝撃に襲われる。
ミアから目を逸らして俯くと、一つ大きく溜め息をついた。
「みんな、強いんだな……」
彼らしくもない、弱弱しい声で呟いたフィーデルに、ミアは優しく微笑む。
「そんなことないですよ。みんな本当は辛くて悲しくて、悔しくて……
けど、そればっかりじゃ詰まらないから、なるべく楽しくやってる雰囲気を出してるだけです」
「そう……なのか?」
「もちろん!!だって、単純に考えてみてください。
嫌いな人や、思い出したくない過去ばっかり考えているのって、時間の無駄、人生を損してると思いません?
せっかく、世の中には面白いコトや美味しいモノ、素敵な音楽や綺麗な場所なんかがたくさんあるんですもの。
楽しんだほうがお得ですよ」
目線を上げて確かめたミアの笑顔は、眩しく輝いて見えた。
もう百年以上、暗い記憶に囚われている自分が惨めに思えて、フィーデルはまた項垂れてしまう。
「やっぱり強いよ、お前達は。俺には……無理だ。もうずっと昔から憎んでる奴がいるけど……」
あの影、鎧兜を着込み、父の骸の傍らに佇んでいた巨大な影が脳裏にちらついた。
湧き上がった怒りを抑えるため、ぐっと拳を握る。力が入り過ぎて、皮膚が裂けそうなほど爪が食い込んだ。
「アイツだけは……殺してやりたい……っ」
咽喉から絞り出した声は決して大きくはないが、重苦しく響いた。
殺意、憎悪、憤怒……多くの負の感情が胸の裡に渦巻く。
ともすれば飲み込まれてしまいそうなその黒い感情の渦からフィーデルを救い出してくれたのは、
「それならそれで、いいじゃないですか」
やはりミアの言葉だった。
「え……」
思わず、顔を上げたフィーデルの目に飛び込んでくるのは、憎しみの言葉を聞いても変わらない、眩しい笑顔。
「大切な人の仇討ちを理由に冒険している人だって、たくさん居ますから。
旅の目的や人生の目標なんて、それぞれ違って当たり前でしょ?フィーデルさんが私たちに合わせる必要なんてないですよ」
彼女の言うことは昨夜、ノブが語っていたことと重なる。こうして二人で話していると、自分の中にあるドス黒いものが、薄まっていくのを感じる。
ひょっとしたらこのパーティーに居ればいつか、この怒りも憎しみも、フィーデルを内側から責め苛むものはすべて、消えてしまう日が来るのかもしれない。
それは少し恐ろしい気もするが……そう、悪い未来じゃないのかもしれない。今は不思議と、そんな風に思える。
すっかり毒気を抜かれてしまったフィーデルは、口元に微笑すら浮かべた穏やかな表情で、おもむろに立ち上がった。
「そろそろ戻るか。他の連中は?」
「あ、それが……」
はぐれたような、そうでもないような、微妙に訳のわからない状況だとミアは伝えようとしたのだが、どこからか響いてきた笑い声に遮られてしまう。
それはしゃがれて甲高く、実に不快な声で、聞く者の背筋を冷やす。
長く続いた笑い声が治まると、ベンチの前方から声の主が現れた。
「戻るって?お前に帰る場所があると思ってんのか?フィーデル……」
その姿を見て、ミアも素早く立ち上がる。
二人が警戒するのも無理はない。そいつの見た目ときたら、声と同じくらい酷いのだ。
尖った耳に、顔の半分ほどもある巨大な黄色く濁った目。
垂れ下がった鷲鼻の下には、平たい歯が並ぶ耳まで裂けた口。
皮膚は黒ずんだ土の色で頭には一本の頭髪もなく、魔術師用の杖を持つ手の指は人間のものより関節が多く異常に長い。
背丈は子供ほどしかないが、魔族に間違いない。
大きな口を三日月の形に歪め、ニタニタと笑いながら、ゆっくりとこちらへ近づいて来る。
「こんな形で裏切り者を見つけられるとは、まったくツイてるぜ……
陛下はお前の首を持ってきた者に、褒美と地位の向上を約束して下さったぞ、“兄弟子殺し”よ」
「……俺は殺してない」
一歩前に出てミアを庇う位置を取り反論するも、相手は馬鹿にしきって鼻を鳴らした。
「なんだぁ?ひょっとして知らねえのかぁ?お前に敗北した後、オルェン様はな……」
「自害したんだろ」
醜い魔族の言わんとすることを先取って、フィーデルは冷たく言い放つ。
「貴様なんぞに教えてもらわなくても、それぐらいわかる」
その名を聞けば、床に倒れ伏し、まともに動けなくなった兄弟子の姿が、嫌でも思い出された。
どうしても魔王城から出たかったフィーデルと、絶対に行かせる訳にはいかなかったオルェン。
双方の実力はほぼ互角だったが、どうにか脱走を思い留まらせ反逆の罪から庇いたいという甘い考えのオルェンと、もはや命を賭しても現状を変えたいフィーデルでは、覚悟の度合いが違い、結局は兄弟子が押し負けた。
行くなと叫ぶオルェンに、とどめを刺せなかったのはフィーデルの弱さだ。
もはや再起不能の深手を負った彼が、最後の力を振り絞って何をするか、知っていたというのに……
魔族ながら気品と誇り高さを併せ持ち、実の兄同然に敬愛していたオルェンのことは、今でも悔やまれる。
もっと早く、彼に悟られる前に動くべきだった。だがもう、取り返しのつかないこと。
悔やんだところで、過去は変えられない―――ここまで来てしまったからにはもう、引き返す道はない。
ごく危険で成功率の低い“計画”が見せてくれる、わずかな光明に縋り、前進するしかないフィーデルにとっては、目の前の小物など障害でも何でもない。だがこうなったら、消すしかないだろう。
ついさっきまで優しげな微笑が浮かんでいた口元に、今度は酷薄な笑みが浮かぶ。
そこから放たれた言葉もまた、辛辣なものだった。
「お前のことは名前も知らんが、まあ三下が気の毒なことだな。
偶然にしても俺を見つけなければ、ここで死なずに済んだのに」
後ろに居るミアのほうに敵意が向かないよう、わざと嘲る口調で挑発してみたのだが、敵はまんまと乗ってきた。
聞き苦しい音を立てて大きく舌打ちし、フィーデルに向かって貧相な杖を掲げて見せる。
「幹部直属の部下だったからって、調子に乗ってんじゃねえぞ若造が……
俺がお前を見つけたのは偶然でも何でもねえ、魔族なら誰でも見つけられるぜぇ?
お前からは裏切り者のニオイが、ぷんぷん漂ってくるからなあ!!」
杖の頂点に嵌まっているお粗末な魔石が、鈍く発光し始めた。
恐らく古典的な火炎魔法、数秒後には灼熱の火球がフィーデルに向かって飛んでくるのだろうが、取るに足らない攻撃だ。
鉄の鎧をも切り裂く疾風魔法を、カウンターで食らわせてやろうと思ったのだが。
「ニオイとかそういうこと言うなよお前ぇえ!!!」
近くの茂みから飛び出して来たノブのほうが速かった。
杖から火球が放たれる前に、名もなき魔族の側頭部へ強烈な膝蹴りが決まる。
かなりのダメージを食らったのだろう。蹴られた勢いのまま、仰向けに倒れた下級魔族に、ノブは矢継ぎ早に怒りの言葉を浴びせかける。
「体臭なんて若者にとって一番デリケートな問題だろうが!
伝えるにしてももう少し、オブラートに包んだ表現を使えよ!
身体に関連することについて注意する時は、相手が傷つかないよう慎重に考えた上で発言するのが最低限のエチケットってもんだろうが!!
だいたい、フィーデル君は臭くねえし!お前のほうがよっぽど臭うぞ!!蒸し暑い時期のドブみたいな臭いがするんだけど、ちゃんと風呂入ってんのかコラァ!!」
前半でエチケット云々を注意しているんだから、後半の直接的表現で相手を貶めるのはやめておいたほうが良かったんじゃないだろうか。
いくら先にマイナスな発言をしたのは向こうだからといって、ブーメランになってるぞ。
ともあれ、言いたいことを言って気が済んだらしい。ノブはくるりと体の向きを変えると、ミアとフィーデルのほうへ駆けて来た。