肩車の記憶①
***
フィーデルが機種を決めてからもう一時間余り経った頃、やっとノブ一行は店を出ることができた。
ショップの店員が料金プランやお得なサービスについて、あれやこれや語ってくるものだから契約するまでにかなり時間を費やしてしまったのだが、そこを乗り越えたフィーデルの手には、真新しい暗茶色の機械が握られている。
「いや~~、いいやつが買えて良かったなあ」
やっと外の空気を吸うことが出来たノブは、軽く腕を伸ばして柔軟した後、フィーデルに目を向けた。
「まずはドリャクヘウォーキングをダウンロードだな!!
フレンド登録しようぜ!!」
ほくほくと自分の青いスミャホを取り出したノブの後頭部を、「アホ」とアキナが軽くどつく。
「ライヌとか、連絡ツールが先でしょ」
真っ当な意見に、ノブは攻撃を受けた頭を擦りながらも、負けじと返す。
「ドリャクヘウォーキングだって、地図アプリとしてめっちゃ優秀ですぅ~~、なめんな!!」
本人達は喧嘩しているつもりのようだが、どうしてかこの二人は争っていても楽しそうに見える。
あと何かよくわかんないけど、イラッとする。
ギャーギャー言い合う二人を見ちゃいられなくなったフィーデルは目線を逸らし、隣にいるミアに向けた。
「悪かったな。店員との話、任せちゃって」
契約の話を進めている時、何を言われてもチンプンカンプンなフィーデルに代わって、店員と対話してくれたのは彼女だ。
ミアは顔の前でひらひらと手を振り、礼を言われるほどのことではない、と示す。
「いいんですよ。あちらもなかなか、お金のかかるプランを上乗せしようとしたり、要らないタブレット買わせようとしたりして、ズルい商売してますから。
多少の知識がある人が対応しないと―――あれっ?」
会話の途中で、ミアは何か見つけたらしい。どうしたのかとフィーデルが聞く前に、走り出してしまう。
彼女が向かった先には、子供がいた。
男の子で、年の頃は5歳くらいだろうか。不安そうな顔でキョロキョロ辺りを見回している。
ミアは腰を落として姿勢を低くし、子供と目線を合わせると、にこっと優しく笑いかけた。
「キミ、大丈夫?お父さんか、お母さんは?」
そういえば近くに親らしき大人の姿は見えず、子供は一人きりだ。
「ぼ……ぼく……おとうさん、おかあさん……」
震える声で、子供が答えられたのはそこまでだった。
信頼できそうな大人に声をかけられたことで安心したのだろうが、かえって我慢していた感情が抑えきれなくなったのだろう。
子供は堰を切ったように泣き出してしまった。
尋常ではないその声を聞きつけ、ノブたちが駆け寄ってくる。
「何だ何だ。どうした、その子?」
「たぶん迷子ですね」
ミアはわんわん泣く子供の背中を擦りながら、根気よく話しかけ、どうにか「お店の人」「ワゴン」という単語を聞き出した。
その二つの言葉を、いち早く結びつけたのは、アキナだ。
「うーん、屋台の物売りの人かな?ご両親」
「屋台か……そういえば今の時間なら、大通りの方で市場をやってるんじゃないか?」
ノブの思いつきを裏づけるように、道沿いに並んでいる建物の向こうから、物売りの賑やかな呼び込みや、集まって談笑する人々のざわめきが聞こえてくる。
見ず知らずの子供など放っておけばいいとフィーデルは考えてしまうが、ノブは案の定、
「よし、ちょっと行ってみるか」
と拳を握って気合いを入れ、市場の方へ行く気満々だ。
いまいち理解できないが、こういうのは損得とは関係ない、人間の“情”とかいうやつなんだろう、たぶん。
「ノブ、ちょっと待ってくれ」
子供の手を引き、大通りの方へ歩き出そうとしたノブを、テリーが止める。
「その子、肩車して連れて行ったらどうだ?親も探してるだろうし、目に付きやすいと思うんだ」
「ああ、それはいい考えだな」
テリーの案を採用と決め、さっそくノブは子供の前に屈んだ。
「君、高いところ平気?肩車、できるかな?」
子供はヒクヒクとしゃくり上げながらも、小さく頷いた。
ノブは力強く頷いて、くるりと体を反転させ子供に背を向ける。
「それじゃ、お父さんとお母さんを探す、冒険の旅へ出発だ!
お気をつけてご乗車くださ~~い」
どこかの遊園地のアトラクションを真似て明るく呼びかけるノブの背に、子供はおずおずと捕まる。
無事に肩までよじ登ると、「上がりまーす、ご注意くださーい」と言いながらノブはゆっくりと立ち上がった。
ノブの膝がピンと伸び、肩車が完成すると、泣き腫らした子供の顔に、ぱあっと笑顔が広がった。
「わあ~~、すごいや、お父さんより高い!!
ありがとう、おじちゃん!!」
「そ、そこはお兄ちゃんが良かったな~~」
子供が相手では怒るに怒れず、情けない顔をするしかないノブに、メンバー達は堪え切れず笑い出してしまう。
「何か、懐かしいな」
声を上げて笑う合間に、アキナが呟いた。
「うちの弟たちも肩車が好きでさ。何か嫌なことがあって落ち込んでたり、泣いてたりすると、今のノブみたいにお父さんが担いでやったのよね。
それはいいんだけど、そのまま家の前を走り回ったりするから、ちょっと恥ずかしくて」
その話にも笑い声を上げたテリーが、ふとどこか遠くを見るような目つきになる。
「俺も、娘や甥姪にせがまれて、さんざんやってやったもんだよ。
ノブみたいに身長がないから、そんなに高くしてやれなかったけど、喜んでくれたもんさ……
みんな、元気でやってるかな。今日は何して遊んでるんだろう」
「……アキナさんのお家も、テリーさんのお家も、すごく楽しそうですね。いいなあ」
思い出話を語る二人を見つめるミアの表情は、とても優しいが、どこか寂しげだ。
メンバーそれぞれがもう戻らない日々の記憶に、切なく胸を締めつけられている一方で、最後尾に居るフィーデルはというと、歩くのがやっとの状態に陥っていた。
ふらふらと覚束ない足取りで、前を行く一行の後を追うその目には、ノブと肩車されている子供が映っているものの、頭の中ではまったく別の映像が結ばれ、ぐるぐると回っている。
―――どこか、ちらほらと白い花の咲く野原で、背の高い男が幼い子供を肩車している。
そこまでは今見ている光景と同じだが、二人の姿かたちはそれぞれまったく違う。
子供は栗色の柔らかそうな髪に茶色の目、ぽちゃぽちゃした丸顔の男の子で、愛嬌たっぷりの笑顔をこちらに向けると、大きく手を振ってくれる。
「見て、お兄ちゃんより背が高いよ!すごいでしょ!」
それを聞いて笑った長身の男は、たぶん父親なのだろう。
担いでいる子供と同じ色合いの髪と目をしているが、顔はあまり似ていない。
切れ長の目に、鼻筋の通ったその顔は、そう……自分とよく似ている。
履いている短めのブーツの爪先に、十字型の傷がついているのが、どうしてか気になった。
「よかったわね、フューロム」
暖かな春の風のような声が、背後から聞こえた。
記憶の中のフィーデルが振り返ると、大きなバスケットを抱えた女が立っている。
「さあ、そろそろお父さんの両手を空けてちょうだい。
ここをパーティー会場にするんだから、みんな手伝ってね」
そう言って屈みこんだ女のもとへ、フィーデルは走り寄る。
草の上に置かれたバスケットからは、魔法みたいにたくさんの物が出てきた。
四人が余裕をもって座れるくらい、大きな敷布。
冷たいお茶が入った革製の水筒。
金色のバターが入った素焼きの壺に、ふかしたトウモロコシのパン。
途中からは肩車して遊んでいた二人も加わって、四人揃って昼食の準備をした。
昼食…………そうか、これはピクニックだ。
いつもの質素な食事が気にならないくらい、幸福な時間を過ごそうと、家族四人で花の咲く野原へ連れ立って来たのだ。
同じ敷布に座った二人の男女を間近で見ると、男のほうはやはり自分とよく似ている。
年の頃は三十代半ばほどで、こちらの外見年齢より老けてはいるが、顔立ちは瓜二つと言っていい。
一方で女は丸顔で肉付きがよく、フューロムと呼ばれた子供のほうに似ているが、その髪はフィーデルと同じ灰色がかった茶色、そして瞳は、優しい榛色……
そうだ、俺の目は青でも、ましてや不気味に光る黄緑色でもない。彼女から―――
この母から受け継いだ、榛色だったはずだ…………