崖っぷち受験生サトル、どうやら転生したらしい③
ばかばかしい思いつきだったが、ちょっと不安になった。ちゃんと足が地に着いているか確かめようと視線を落としてみて、驚く。
草地を踏む両の足が、見たこともないブーツを履いている。さっきまでは確かに学校指定の、ごく普通のローファーを履いていたはずなのに。
変わっているのはそれだけじゃない。
いまの服装はこのブーツに合うような、麻のシャツに粗織りの茶色いベストとズボンで、着ていた制服の面影はない。腕には革の籠手を填め、やはり革製の胴当てまで腰に巻いている。
川に流されているうちに、いったい何がどうなってしまったのか。さっぱりわからないが、この格好には何となく既視感があった。
これはまるで、RPGの初期装備だ……
うろたえるサトルのことを興味深く見守っていたリスが、ふいに耳をピクリと動かした。
「キキィッ」
警戒を露わにした声を上げ、素早く手近な木に登ってしまう。
どうしたんだろう、とリスを見送ったサトルの背後で、何かが動く気配がした。
ガサガサと草を踏む音、荒い息づかい。
嫌な予感に襲われながら振り向いたサトルの前に現れたのは、自分の服装以上に信じられないものだった。
青地に白い水玉模様のカサをもった、毒々しいキノコ。
サトルの身長と同じくらいの巨大な体もさることながら、一番驚くべきなのはカサの下に顔がついていることだ。
血走った二つの目、鼻は無いが、そのかわりに幅広い口がある。
半開きの口からは尖った小さな歯がずらりと並んでいるのが見え、呼吸するたびにシューシューと耳障りな音が漏れてくる。
「な……に、これ……」
呟いたサトルを見つめる目は危険な色を帯びて爛々と光り、口元からは大量のヨダレがこぼれて地面の草を濡らす。こちらに好意的な生き物でないことは明らかだ。
凶悪なその様子に気圧され、思わず一歩後ろへ下がると、
「ギシャアアアアッッ!!」
いかにもモンスターらしい、恐ろしげな鳴き声をあげて、躍りかかってきた。
「うわあっ、く……来るな!!」
捕食者を前にして本能的な恐怖に駆られ、反射的に両手を顔の前へ振り上げたその時、頭の中にひらめくものがあった。
燃え盛る炎のイメージ、そして呪文めいた言葉。
その現象に疑問を抱く余裕もなく、サトルはその言葉を叫ぶ。
「炎獄の熱波!!」
サトルの指先が赤く光り、真っ赤な炎が迸った。
それは空を裂き化け物キノコへ向かって突き進むと、その巨体に蛇のように絡みつく。
「ギャッ……」
瞬く間に焼き尽くされたキノコは、ごく短い叫びを残して、塵となって消えた。
キノコを倒すまでが役目だったようで、炎も消え去ってしまう。
倒したのか……?僕が……?
サトルが唱えたそれは、“呪文めいた言葉”などではなく、本物の呪文だったのだ。
夢でも見ているのかもしれないが、指先にまだ熱が残っている。
うっかり蝋燭の炎を触ってしまった時のような、チリチリとした痛みも。
立ち尽くし、開いた両手をじっと見つめながら、サトルは口角が上がって行くのを止められない。
「はは……これって……」
もう笑うしかない。多分、この状況は、そう……
とにかく、確認してみよう。サトルは姿勢を正すと、首を動かして周囲を見渡した。
見える範囲のなかで一番大きな木を選び、てっぺんに近い枝をキッと睨む。
少し集中しただけで、唱えるべき言葉が浮かんできた。
剣を握っているつもりで両手を構え、大きく振りかぶりながら叫ぶ。
「半月斬り!!」
ありもしない剣から、疾風が巻き起こった。
目に見えない刃は狙いをつけた枝へ向かって正確に飛んで行き、ばっさりと切り落とす。
幹から離れた枝が地面にぶつかると、サトルは拳を握りしめ、ガッツポーズを取った。
「転生したーーーーー!!!!」
これはもう間違いない。攻撃、回復、戦闘補助、あらゆる呪文がサトルの頭の中で駆け巡っている。
キノコを倒した魔法といい、遠くにある枝を切り払ったスキルといい、かなり強力な勇者に転生したと考えていいだろう。
ひょっとしたら、レベルMAXかも。
自分はもう、落ちこぼれた受験生じゃない。今日からは文字通り、生まれ変わった最強勇者だ。
セオリー通りなら、これから先はいいことしかないはず。
なるつもりなくても周りに担ぎあげられて英雄になってフーヤレヤレ、美少女や女神に惚れられてハーレム状態でフーヤレヤレ、どんなに強い魔族でもチートスキルで倒しちゃってフーヤレヤレだ!!(※個人のイメージです)
伝説の武器を振り回し、美少女たちにキャーキャー言われる自分を想像していると、かつて感じたことがないくらいの大きな興奮が湧きあがってくる。
これから始まる冒険の、タイトルはどうしよう?
“D判定だった受験生は転生して世界を救う”
悪くないけどありきたりかな。
“落ちこぼれ受験生が転生したら最強なんですけど?”
なかなかいい……でもD判定ってワードは残したいな。
“D判定受験生だった僕が転生したら最強だったからって、ハーレム展開はやめてくれませんか!?”
これだ!ちょっと長すぎかもだけど、わかりやすくていいじゃないか?
まあいい、タイトルは後でじっくり考えよう。
とにかく僕はもう、落ちこぼれD判定の壇ノ浦サトルじゃない。
最強の勇者サトル、爆誕だあ!!
希望に胸を膨らませるサトルの耳に、不可解な音が響いた。
岩が転がり落ちる時に立てるような、低くて重い音だ。遠雷かと思ったが、少し違う。もっと生命的な響きがある。
気になって耳を澄ますと、岩でも雷でもなく、獣の唸る声だとわかった。なにか巨大な獣が、遠くで吼えている。
その唸り声に混じって、緊張した複数の人の声も聞こえてきた。激しく動き回る足音に、金属がぶつかる音なども。
どうやら誰かが、大きな獣と戦っているらしい。
これはすぐにでも駆けつけて、速やかに片づける他あるまい。転生勇者サトル、伝説の幕開けだ!
「いいねいいね、ラノベっぽくなってきた!」
戦いの現場へ向かって、サトルは意気揚々と歩きだす。
悪い意味で想像を絶する世界が、その先に待っているとも知らずに……