パターン3:村に留まってしまったモブパーティーの末路(起)
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「……なんか、平和だね」
モウグスの村へ着いてから、ケッジが発した第一声がこれだった。
「そうだなあ」
答えたウィルも、同じ印象を抱いている。
魔王城にもっとも近い、最果ての村と聞いていたから、荒れて治安の悪そうな場所を想像していたが、ごく普通の村だ。
建物は小ぢんまりとしているが清潔で手入れが行き届いており、行き交う村人たちも明るく素朴で活気がある。
「不思議だ、魔王城がすぐ近くにあるとは思えない」
「魔王城が近いから、だな。見てみろよ」
グウェンに指摘され、一同は辺りを見回す。村人の他に、冒険者らしき男女がそこかしこに居た。
みな立派な防具に身を包み、強そうな武器を装備している。
「ここまで来れたってだけでも、腕は確かな連中だ。
俺たちも含め、こういう奴らが周りのモンスターどもを狩ってくれるし、盗賊なんかは魔物や下級魔族を恐れて寄りつかねえ。
無料で働いてくれる私設警備団がいるようなもんだ。その辺の村より、よっぽど安全だぜ」
なるほど、グウェンの説明は的を射ている。セリーナも思うところがあるようだ。
「そういえば、冒険者パーティーの半分以上は、ここに来る前に挫折してしまうって聞いたことがあります」
その話なら、ウィルも知っている。冒険に出ると決めた時、村の大人たちには随分と脅されたものだ。
「つまり、ここに居るのは、いずれ劣らぬ強者ばかりだってことか。俺たちも負けていられないな」
気持ちを引き締めるウィルと反対に、ケッジがへろっと舌を出す。疲れた時のサインだ。
「気合い入れる前に、宿屋さがそうよー。もうお腹ぺこぺこだよ」
「まあ、ケッジったら」
クスッと笑うセリーナの横で、セルビーがやけに真面目くさった顔をつくる。
「いや、大事なことだよ。昔の偉い人がこう言ったんだって……腹が減っては、戦ができぬ!」
「セルビーまで」
楽しそうなセリーナの笑顔には、温かな優しさが溢れている。
思わず見惚れていると、ケッジが急に声を上げた。
「あっっっ!!あの木の枝たくさん担いでる人、宿屋の人じゃない!?」
ケッジの視線を追うと、薪にするであろう木の枝を背負った人の良さそうな青年が歩いている。
「絶対そうだよ!!バターとベーコンのいいニオイがするよーーー」
「あ、こら!ケッジ!」
ウィルが止める間もなく、ケッジは走っていってしまう。
よほど腹が空いているのだろう、目にも止まらぬ速さで青年の前に回り込んだ。
「こんにちわすみません!!お兄さんは宿屋の人?」
珍妙な挨拶に面食らって目を丸くする青年だが、すぐにニコッと笑いかけてくれる。
人を安心させる、優しげな笑顔だ。
「ああ、そうだけど」
「宿屋はどこにあるのか教えて下さい!!」
「この道をまっすぐ行って、“サザンカ亭”って看板が出てる十字路を左に曲がったところだ」
わかりやすく道案内してもらい、ケッジはペコっと頭を下げた。
「どうもありがとう!!サザンカ亭にはベーコンあるかな?」
「もちろん。分厚く切って、カリカリに焼いたやつを出してくれるよ」
「本当!?」
ケッジの目がきらきらと輝く。追いかけてきたウィルのほうを振り返ると、しっぽをブンブン振ってみせた。
「今の聞いた?早く行ってベーコン焼いてもらおう!!」
素直なのはいいが、声が大きい。
ウィルが赤面しながら「スミマセン」と謝ると、青年はにこやかな顔のまま、いやいやと首を振った。
「いいですね、元気な方で。楽しそうで羨ましい」
たったこれだけの言葉で、ウィルもケッジもこの青年に好感を持った。
ケッジは見た目のせいで、怖がられたり侮られたりすることが多いが、この青年は違うようだ。
きっとこの村での逗留は、楽しいものになる。そう思った矢先、
「へっ、犬っころ相手に随分と丁寧なこったな。宿屋の下男が板についてきたじゃねーか、ノブ」
野太い声に水を差された。
見れば、人相の悪い二人の男がこちらを睨みつけている。
ひとりは赤茶色の蓬髪と顎髭をぼうぼうに伸ばした男で、もうひとりは牛の角を模した兜を被った大男。
問題なく村に入ってきているということは冒険者なのだろうが、盗賊といったほうがいい風体の男たちだ。
ケッジを犬扱いされたことと、事情はわからないがノブをバカにしきっている物言いに憤ったウィルは、非礼を謝罪しろと言い返すため口を開きかけたが、スッと前に歩み出たノブに先を越される。
「冒険者に敬意を払うのは当然のことですから」
ケッジとウィルを後ろにして庇いつつ、ノブは穏やかに答えた。
しかし顎髭の男は睨むのをやめない。先ほど突っかかってきたのもこの男のほうだ。
「敬意だあ?よく言うぜ、俺たちを出入り禁止にしやがったくせによう」
「それはあなた方が酔って騒いで、物を壊したりするから……」
真っ当な理由だが、これに怒ったのは角兜の男だ。本物の牛のように鼻息を荒くして、ノブの胸倉を掴む。
「何だと!?このヘナチョコが!!」
今にも殴りかかりそうな勢いに、止めようとしたウィルだが、また先を越された。
どこからか投げられた小石が男の兜に勢いよく当たったのだ。
小石は鋼にぶつかると、カーンと小気味よい音を立てた。
耳まですっぽり覆うかたちの兜だから、内側で反響して凄い音量になっただろう。
大男はうめいて、兜を抑えながらしゃがみ込んでしまう。
小石が飛んできたほうを振り返ると、少年が立っていた。
年の頃は十二か十三。茶色の髪を短く刈り込んだ健康そうな子で、小石を握っていたであろう右の拳が震えている。
その震えが恐怖でなくて怒りからくるものであることは、表情を見ればわかる。
横一文字に引き結んだ唇、縦筋がいくつも浮いた眉間、吊り上がった濃い眉の下の、燃えるような両目。
「この野郎、リド!!」
顎髭の男が吠えるように怒鳴ると、リドと呼ばれた少年は、さっと身を翻して逃げ出した。
すぐさま顎髭の男が追おうとするが、その足下にごろごろと転がって来た数十本の枝に足を取られ、派手に転倒した。
ノブの背負っていた枝だ。
「わわわ、スミマセン」
恐らくはわざと、背負い紐をほどいて男の足下に枝をぶちまけたのだろう。
慌てて枝を拾うふりをしながら、先に進もうとする髭男を邪魔する。
そのノブの動きを、髭男はただのドジだと捉えたらしい。
怒りで顔を真っ赤にしながら、拳を振り上げる。
「このノロマが!!目障りなんだよ!!」
ノブの頬に目掛けて振り下ろされた拳が、彼を打ち据えることはなかった。
そこまで届く前に、グウェンに手首を掴まれたのだ。
「もういいだろ、その辺にしとけ」
「何だとこの野郎」
背が高く多少ガタイはいいものの、分厚い筋肉を持っているわけではないグウェンは、パッと見てそれほど強い男には見えない。
だから顎髭男は悪態をつき振り払おうとするのだが、ぎりぎりと指が食い込むばかりで敵わない。
手首にかかる凄まじい痛みと、虚勢を張って睨むのではなく明確な殺意をもった目で見据えられた上、
「二度は言わねえぞ……?」
ドスの効いた声でそんなことを言われたものだから、髭男の顔がみるみる青くなっていく。
最初の勢いはどうしたものか、髭男から戦意が無くなったのを見計らって、グウェンは手を離した。
ノブに向かって舌打ちしつつ男たちは去っていく。
グウェンは汚いものを触ってしまったとばかりにブンブンと手を払い、ウィルは木の枝を拾っているノブに歩み寄る。
「どうして、あんな奴らに好きなようにさせているんですか?」
少なからず怒気を孕んだ声に、ノブは居心地悪そうに頬を掻いた。
「いやあ、俺が言ったところで、どうにも―――」
「なりますよ。あなたのほうが、アイツらよりずっと強いでしょう」
ノブは否定も肯定もせず、黙って枝を拾い続けるが、その実力は隠し通せるものではない。
ウィルが髭男に言い返そうとした際、それをさせまいと割って入った時に見せた反射神経の鋭さ、それにリドという少年を助けるため、瞬時に背負い紐を解き絶妙の位置に枝をばらまいた動きの機敏さと判断力。
少年を追おうとする男たちを制するやり方もごく自然で見事だった。
本気で立ち向かえば、あの見せかけばかりの二人など敵ではないだろう。
真の強さを持つ者が不当に扱われ、まっすぐな心根を持つウィルとしては憤らずにいられないのだが。
「……冒険者の心得にありますよね、無駄な争いは避けるべしって」
そう言って微笑むだけだ。
「さあ、早く宿屋に行かないと、いい部屋を取れなくなりますよ。
この時間なら焼きたてのパンを出してくれるだろうし、こんなところで時間を食っていても、いいことはない」
なおも言い募ろうとするウィルの肩を、グウェンがそっと叩く。
「お前も、もういいだろう。行くぞ」
グウェンの言う通り、これ以上、ノブに迷惑をかけても仕方ない。
モヤモヤした気持ちを残したまま、ウィルはその場を後にした。
***
サザンカ亭に着いた一行は、部屋を取って荷物を預けると、食堂へ行って遅い昼食を注文した。
ノブの言った通り、出されたパンはまだ温かく、付け合わせのベーコンは厚くてこんがりと焼いてあった。
具だくさんのスープも申し分ない味で、久しぶりのまともな食事だったが、一行の口数は少ない。
ムードメーカーで賑やかなケッジすらほとんど口を利かず、念願のベーコンにもあまり良い反応をしない。
いつもなら肉類を見ると目を輝かせてかぶりつくのに、お行儀よく黙々と口に運ぶだけだ。
無理もない、ウィルだってさっきのノブの態度が頭から離れず、浮かない気分が続いている。
こういう時は、やるべきことをやるしかない。
食事を終えたら周辺の店を見て武器やアイテムを確かめようと皆に伝えようとしたら、目の前に梨を持った皿が置かれた。
みずみずしい、真っ白な梨で、ちょうど五きれに切ってある。
「? 頼んでないけど……」
目を上げると、あのリドという少年がいた。エプロンをつけた給仕姿で、盆を持っている。
この宿屋の子だったのか。
「俺のおごりだよ、さっきは悪かったな」
どうやらそう悪い子供でもないようだ。ウィルはニッと笑いかけ、首を横に振った。
「いや、いいタイミングだったよ。でなきゃ、俺がアイツらを殴り倒してた」
ウィルのような優男が言ったところで説得力はない。
不審そうなリド少年に、グウェンがだるそうに声をかける。
「勝てない喧嘩は売るなよ、坊主。冗談抜きで死ぬぞ?」
リドの目の縁が赤くなり、顔全体に怒りが浮かぶ。カッとなりやすい性格のようだ。
「アイツらが悪いんだよ!!ノブを馬鹿にしやがって…
ノブはな、世界一強い剣士なんだ!アイツらなんか足元にも及ばねえっつうの!!」
握った拳がテーブルの端に振り下ろされ、ドンと大きな音を立てる。将来はなかなかいい格闘家になりそうだ。
「世界一?すごい!!」
真に受けて興奮するケッジだが、隣のセルビーの目つきは厳しい。
「世界一の剣士が、どうして宿屋で働いてるわけ?」
ウィルこそ世界の英雄になる剣士だと信じているからこその発言だろうが、それは禁句というものだ。
「リド、すまない。決してこの子はノブさんを馬鹿にしてるわけじゃ―――」
リドが更に怒り出すかと心配したウィルだが、そうはならなかった。
「……俺のせいなんだ」
うつむき、伏せられた目に、もう怒りはない。
「俺のせいなんだよ」
繰り返したリドの表情は、とても悲しげで、かける言葉も見つからない。
それ以上は何を言うこともなく、リドは厨房へ戻っていってしまった。
後に残った気まずい雰囲気に、セルビーがおろおろと皆を見回す。
「ボク、何か悪いこと言っちゃったかな」
「ええ、多分……」
セリーナは心配そうに厨房のほうを見つめているが、ウィルの視線は窓へ向いている。
ちょうど、話の中心であるノブが、薪を割っているのが見えたのだ。
どうやら少し、話をしてみる必要がありそうだ。