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其は微笑みの代価  作者: 千代田 定男
第三章 復讐者
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第二十話・あをの軌跡 後編(A)

 賑わいは一時(いつとき)のものだった。

 隔離地域の一つで起こった前代未聞の事件は、ほんの少しばかりの混乱を生んだだけに終わった。

 すべては些細だった。見た目ほどの影響は残らなかったし、残せなかった。

もう歌は聞こえない。あの瞬間、自分達のためだけに歌っていた、ガーダー達だけが知るあの鎮魂歌は。

 何も見つからなかったのだ。

 そこには何も残っていなかったのだ。

 あれほどの激戦があったにも関わらず、そこには誰かがいた痕跡さえもなかったのである。

 鉄ヶ山も朱塔も、そこには、いや、この地区のどこにもいなかったことになっていた。

 戦いの後、様々な者達がどんどん入り込んで、ひたすらに()()をしていったからだ。

 どこの誰ともわからないものが、略奪でもするかのように、情報を、物を、根こそぎ運び出していってしまったのである。

 死体や遺体に至っては、本当に肉片一つ残さず綺麗さっぱりなくなっていた。

 残ったのは、正体不明のガラクタと、それぞれが隠して持っていたわずかな品ばかり。それも、本当に意味をなさない物ばかりである。

 だが、意外にも、誰も略奪者の行動を気にはしなかった。横目で見るばかりで、詮索も、反抗もしなかった。

 疲れきっていたから、というだけではない。熱狂していたものに飽きてしまったかのように、ともかく、急撃に冷めていってしまったのである。

 もっと言えば、記憶。記憶だけで十分だったからだ。細歩で起こったすべてが、物でも、記録でもなく、()()で説明のつくものだったからだ。

 なにもない代わりに、残す必要のないもの。この戦いは、そういう終わり方をすべく整えられたものであるということを誰もが知っていた。

 そのように段取りをした、記憶だけに残る仮面の戦鬼のことを、みな、思っていた。

 思いだけが、心だけが、それだけが、この戦いの残り火。


「行ってくるね」

「花、持ったかい? ちゃんとエスコートしてくるんだよ。寄り道はしないこと」

 小さな家の玄関の先で、煙草をふかしながらクルミがフヂナに諭している。

 ここには三人ばかりが住んでいる。一人は外出中で、フヂナはその一人を迎えに行くのだ。

「わかってるよ」

 小言を言われて少し不機嫌なフヂナが、それでも元気に飛び出していく。

 クルミは靴箱の上に置いた灰皿に煙草を押し付けると、玄関から見える日差しに向かって体を伸ばした。

「あー……」

 光の中にボロボロのスクラップが見える。ルートエッジのなれの果てである。

 腰に手を当てて、クルミはスクラップに話しかけ始めた。

「あんたは後悔なんかしちゃいないんだろうね」

 歩きながら新しく煙草を一本取り出すと、鉄くずの上に座り、どことも言えない地面に目を落とした。

「付き合いは短いが、なぜだかわかるよ」

 煙が目の前を昇り、クルミの長い睫に絡もうとしてくる。

「常に前しか見ていなかった。後戻りなんて一度もない。最後の最後まで、突き進んでさ。いったいどこまで先に進んじまったのやら」

 手から伝わる感触が、鉄くずが錆びはじめていることを教えた。

「着いて来いなんてふうに誘っておいて置いていっちまうんだから、こっちはたまらないよ」

 残念そうにクルミはルートエッジを撫でた。

「フヂナさ、ありゃ強い子だね。悲しんで、泣いて、辛いのに、もうあんたが進もうとした道を探して、しかも自分の道にしようとしてるよ」

 フヂナの向かった先を見る。

 クルミは、このさんさんと照りつける太陽が、いまは皆を見守っていると想像した。

「あたいもさ……悪戯好きのカラスから、幸せを探すハンスになろうと思うよ。やれるだけ、やろうと思う。たとえ、賢い方法でなくても、ね」

 急に立ち上がり、クルミは敷地の隅の方に目をやった。そこでは、不在の一人がどこかから摘んできた紫の花が水に濡れていた。

「深いからかな。傷が、疼くよ……」

 クルミが自分の頬に手をやったのは、本当に傷をさするためだったのだろうか。

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