第十九話・あをの軌跡 前編(C)
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「呪いでもいい……呪われてもいい……」
後方にざわめく気配を感じて嘉島は足をとめた。
「身を焦がすほどに望んでいた……もう叶うことのない望みだが……決して許されないことだが……」
思考と直感とが入り混じって、それが指し示すものがあまりのことであったので、嘉島は、指の先まで、まるで時が止まったかのように動けなかったのだ。
「オレは……紡がれた希望の守り手でありたい!!」
ありえない。この気配はありえない。
人間を超えて、人間を捨てて、人間をやめてまで得た力と、そこにまで至らせた本能が、嘉島に警戒を発している。
「なぜだ……なぜ生きている!?」
自分を鼓舞するかのように叫びながらふりかえった嘉島の目に飛び込んできたのは、淡い、淡い光だった。
優しげで、儚げで、毒々しい、青い輝き。
バトルジャケットの大半を失い、露出した鉄ヶ山の全身を光が這っていた。骨や神経、血管や脈管が青く浮きあがっていたのである。
醜く腐り果てた鉄ヶ山の傷口に集う青はいっそう淡く、まるで全身で流す涙のようであった。
「向こうの、光……!」
後ずさる嘉島は、この体になってはじめて恐怖を感じた。いや、大人になってはじめてのことかもしれない。
それは、子供の頃に、空に、暗闇に、海に、山に、すべてのものに感じた畏敬と畏怖。
「いや、違う……アクセスラインに沈着した感応剤の残渣だ……劣化した微量物質が燃えているにすぎない! そのようなルミネセンスが、健全であるわけがない!」
嘉島の焦りは独り言として出てしまっていた。
「だが、しかし、これではまるでブーストレベル4……ラジアンテクスではないかぁ!!」
悲鳴にも似た嘉島の叫び。
死の淵を歩き回り、苦しみの鎖を自ら編み、腕に血と骨と罪とを抱き、身も心も人々に捧げ、そして、あるはずのない扉を鉄ヶ山は超えた。いや、超えてしまった。
ドラゴンを追い求め続ける者は、やがて自分自身がドラゴンとなり、その先、誰も名を知らない忘却の彼方へ赴くと、まつろわざる者、すなわち王となった。
見開かれる鉄ヶ山の目。青い瞳。開眼に反応して、色のない髪にも青い筋が走る。
光が、輝きが、閃きが、陽炎が……漏れて、溢れて、零れて、滲む!
鉄ヶ山の全身が拍動して、その心が燃え上がる!
プレ・ラジアンテクス。
鉄ヶ山慎之介が鉄ヶ山慎之介であることを示す構成要素の一片にいたるまでが、吐き出すように、まろび出るように、果実が弾けるように、絶頂に達したかのように、今、力に変わる!
願いが力になる。応援が力になる。精神的支柱が力になる。
祈りは届くのを待つばかりのものではない。相手から受け取るにくることもあるのだ。意味など問うべきものではない。そして、救済でもない。仮面の奥にまで運搬される、彷徨う道の標になるものだ。
運命、宿命、さだめ、そして起こる奇跡。過去、これらはみなもれなく祈りのもとにあった。祈りは予型なのだ。
「嘉島杉光……おまえの番がきた!」
力のないはずの腕が怪物の腹を穿つ。
「百……戦鬼ぃ!」
嘉島にとって、鉄ヶ山は恨んでもいない、憎んでもいない相手だ。なのに嘉島は鉄ヶ山を追い詰めた。
怪物の腕が鉄ヶ山の頭を撃ち抜く。
『敵』とは常に憎み合うばかりではなく、ただ互いが存在するだけで絡まりあってしまう場合もある。絆のように。
鉄ヶ山の肘と膝が怪物の頭を挟み潰す。
怪物が鉄ヶ山を締め上げる。
目には見えないマインド能力の奔流が、ありとあらゆる現象をひきおこして、肉という限界を持つ二人を砕いていく。
削ぐ。剥ぐ。刺す。斬る。裂く。落とす。
押す。穿つ。貫く。抉る。
絞る。潰す。砕く。抜く。伸ばす。取る。下げる。開く。
沈める。炙る。冷やす。漬ける。通す。茹でる。揚げる。
すさまじい破壊を自分にまで及ぼして、かつてはこの国で絶対の義であった者達は衝突する。
(暖かい……)
わずかな時間だった。だが、それは、短くも長い、無限の彼方へと及ぶ情念をそのまま凝縮したような時間だった。
瞬く間に燃え尽きていく時の中で、鉄ヶ山は少しずつ視界が消えていくのがわかった。
牡丹の鉄筋をむき出しにしてしまうほどの衝撃さえもさらりと流して、自分を吐き出していく。
終わりは唐突である。
ほんのわずかに眠気を感じた瞬間、鉄ヶ山の体から骨が抜けたように、世界が流体となった。
嘉島も同じであった。
迸るマインド能力が、逆らうことのできないルールとなって命を飲み込んでいったのだ。
だが、不幸にも嘉島は人を捨ててしまっていた。
ファントムの全固体が母体を補おうとしてもがき、逆流に逆流を重ねたマインド能力が嘉島自身を起き上がらせるのだ。
熱さと冷たさを併せ持つ終焉へのスタートは、嘉島の、人を超えた生命のその限界まで苦痛を与えるものだった。
残響し、木霊する声が、重力に吸い込まれていくかのように消えていく。
鉄ヶ山は怪物の断末魔さえ子守唄のように思えて、安らかに闇の淵を見つめていた。
これもあるいは、鉄ヶ山にとっては、思いも寄らない幸せな……
だが……
***
形をなさない枯れた肉だまりに蠢く者がいた。それはただの人だ。忌まわしくも美しい、一個の生命だ。
「……やった!」
澤本虎蔵は自分の結末に驚喜した。崩壊し、炎を纏う牡丹に残っているのは自分だけだ。
嘉島だったものが果てた破片。そして朱塔の惨めな死体。
「これでいい! これがいい! 俺は、ついにやったんだ!」
ファントムとの繋がり自体はまだある。死を追体験した生命達は、マインド能力の蓄積によって、今度こそ不死の兵となるだろう。
「はは! あははははは!」
黒い鷲の笑い声が響く。
嘉島と同じ笑い声。許されない者の自嘲だ。
祝福が雨のように降り注ぐように、終焉も、また、一気に芽吹くことがある。
歓喜に震える澤本の後ろに揺らぐ影があった。
すさまじい速さで動いたそれは、朱塔の落とした刃を拾って、澤本が気配を感じる間もなく、後ろから、澤本の首に向かってその刃を振りぬいたのだった。
『鷲』の、王冠を携えたかのような黒い面が、首ごと宙を舞った。
振りぬいた威力のままに刃を投げ捨てた鉄ヶ山の目には、もうなんの感情も宿ってはいなかった。
「おい、終わったぞ……なに寝てるんだよ、朱塔……全部、終わったぞ……」
鉄ヶ山が、手首から先がなくなった朱塔の腕を肩にかける。
「おまえが協力してくれたおかげで勝てたんだ……おまえのおかげだ……」
答えはない。朱塔の体は力なくだらりと垂れ下がったまま動かない。その代わりとでもいうように、大きく削げた脇腹が口を開いていった。
「帰るぞ、朱塔。帰るんだ……」
鉄ヶ山がひきずる朱塔の足先が、赤い赤い線をひいていく。
普通に歩いて数秒で辿り着く距離にある出口は、鉄ヶ山には遥か遠くにあるように思えた。
ほんの半歩。たった半歩が出ない。そのうちに、鉄ヶ山が出そうとした足は、少し爪先を滑らせることしかできなくなっていった。
長い時間をかけて、出口の近く、本当にすぐ近くまで来たとき、鉄ヶ山の足がついに崩れた。
「悪い、悪いなぁ、朱塔……ここまでだぁ……」
崩れた鉄ヶ山の足元に朱塔の残った方の手が落ちる。
力の抜けた体のはずなのに、朱塔のその手はいまだ固く握られたままで、まるで拳を突き出すかのように力強かった。
鉄ヶ山はなんとか手を握りこむと、朱塔の拳にそれを合わせた。
「オレ達、ちゃんと、やれたよな……?」
出口の先にわずかに瓦礫が見える。
おそらく、出口まで行けたとしても、その少しの段差を越えることは、鉄ヶ山にはもうできなかったであろう。
「あの子は……無事かなぁ……」
遠く音が聞こえる。
「オレが死んだら……あの子、志乃原さんは、どう思うかな……?」
空気が切り裂かれる音。
「オレの番がきたんだな……ムツ、いまそっちに行くよ……」
落ちてくる物体は、すべてを焼くだろう。
だから、きっと、これで終わりになる。ようやく、本当の終わりになる。
――なあ、ムツゥ? こわいよ…… あの子は、みんなは……オレを……許してくれる、かな……――
鉄ヶ山はもう安らぎを感じることはできなかった。
だが、まだマシだ。
もう感じ取ることのできない安らぎであっても、一度はその暖かさを知ることができたのだから。
「鉄ヶ山さん……! わたしは……わたしは……!」
遠くあっても、ヨモギはすべてを見ていた。
鉄ヶ山が見た、あの温かみのある幻覚との邂逅は、あるいは、わかりあえる最後のチャンスだったのかもしれない。
だが、鉄ヶ山はそれさえも力に溶かしてしまった。
あの強烈なまでの光は、覚悟が人生を融解させてしまった最後の明かりだったのだろう。
あの強烈なまでの降り注いだ力は、人のはらむ矛盾ごと霧散させて消し去るゴッド・ブレス。
ゴッド・ブレス・フォー・オール。




