第十六話・真実の色(A)
鉄ヶ山慎之介はとうの昔に死んでいた。
反王制運動が盛んだった時期より以前に、介入動乱期と呼ばれる時代があった。
王制設立のために紛争が起こってから数十年。国が一応の落ち着きを取り戻したのは、つい最近のことなのである。
鉄ヶ山は、動乱期最後の世代だった。
王立警務官育成校。新生ガーディアンプログラムのために集められた子供達の学校である。鉄ヶ山はそこの学生だった。
今でこそ警務官育成校はそこそこの名門、エリートの扱いであるが、鉄ヶ山が入校した頃はそうでもなかった。むしろ、広く窓口が開かれていた。
そこで数年過ごした鉄ヶ山だが、本来ならば、ガーダーになれるような才能はなかった。
成績も、肉体も、せいぜいが二流、下手をすれば三流で、得意とする部分でも、贔屓目に見て一流半にすぎなかった。家柄も良いわけではない。鉄ヶ山は、どうしようもなく平凡だったのだ。
学生としてそれなのだから、とてもではないが、王家直属の近衛兵など勤まるわけもない。
鉄ヶ山は、幼いころに、すでに一度、ガーダーとして失格と判断されていたのである。
そう、彼はガーダーとして失格だったはずなのだ。
変わる切っ掛けがあった。
動乱の最中、鉄ヶ山は、実習として、まだ王制反対派が多いとされている地域の監査に出かけた。
そこは隔離地域ではない。『隔離漏れ』はやはりあるのだ。
学生達はガーダーの任務に動向する形で現地入りしていた。比較的容易な訓練のはずだった。
意外なことに、彼らは鉄ヶ山達を歓迎した。
人のいい者ばかりだった。穏やかに監査は進み、それとは別に交流までも進んだ。
厳しいはずの監査の中にあって、彼らは同じ憩いの時間を過ごすこともあった。
反対派とは、本来『敵』ではないのだ。意見が違うからといって、『敵』というわけではないのだ。
だが、状況は一転する。敵性集団の発見。それらによる孤立。鉄ヶ山の属する一団は交戦することになった。
敵性の数、およそ百人。想定外の数であった。
そもそもガーディアンは軍隊ではない。戦闘行為も視野に入れているものの、基本的には警邏や査察が主任務なのである。戦力差は歴然だった。
敵性集団の正体は介入軍の残党である。紛争時代、反対派を支援する形で諸外国からの介入があった。それが介入軍。
彼らは根強く反対派を支援し続けており、非合法な手段でもって潜入を繰り返していた。介入期動乱という時代の名前は、紛争は終わったが、介入は続いていたという意味なのだ。
なぜ辺境と言える場所に、それだけの人数が潜めたのかという疑問はあったが、なにも難しい話ではない。そこが侵入しやすい場所だっただけだ。
現地での補給が不要な程度のバックアップ体制があり、土地の人間が手引きしていた。それだけのことだった。
これはもはや実質的な侵略である。
そして、たったそれだけのことで引き起こされた現状が、百という数字を前にしたガーダー達を、瞬く間に蹂躙させたのだった。
当時のバイオブースターはかなり貴重なもので、しかも、後年のものよりかなり性能が低かった。その場にいた適応者はわずかに数名である。対抗できるわけもない。
穴倉から出てきた残党はそれはひどいものだった。その土地は、鉄ヶ山達の目の前で食い物にされていった。
老若男女は関係なかった。人々は無差別に犯され、殺され、さらし者にされた。
それらは、ありとあらゆる方法で人体を破壊した。
削ぐ。剥ぐ。刺す。斬る。裂く。落とす。
押す。穿つ。貫く。抉る。
絞る。潰す。砕く。抜く。伸ばす。取る。下げる。開く。
沈める。炙る。冷やす。漬ける。通す。茹でる。揚げる。
見せる。させる。選ばせる。
あまりの暴行に、内臓が溶け、その日のうちに腸粘膜の脱落を起こした者もいた。
銃弾をこれでもかと撃ちこまれ、足の先からゆっくりとミンチにされた者もいた。
これらは、一部の反王制の人間が、王制の象徴とも言えるガーディアンへ迎合したことへの粛正だった。ガーディアンを受け入れたのは一部にすぎなかったのである。
ただそれだけの理由で、介入軍はすべて一纏めに虐殺をはじめたのだ。
恐怖による主張。倫理観の欠如。長期に渡る潜伏生活の反動。あらゆる点を考慮してもなお、その行為は地獄の鬼より甚だしかった。
当然それはガーディアンにも行われた。
鉄ヶ山は後方に下げられていたが、全滅も時間の問題である。いや、全滅と言うには、あまりに凄惨すぎる末路が待っているだけだった。そういう終わりを待つ以外に手段がなかった。
そんな中、鉄ヶ山の目の前で、仲間の一人が捕まった。その仲間とは、本条睦丸。
数人の、言葉にすることさえ怖気の走る者達の手によって、本条はその人格を踏みにじられようとしていた。
恐怖はあった。混乱もあった。だが、それ以上の憎しみが生まれた。鉄ヶ山は憎しみを自ら灯していた。
鉄ヶ山は、本条を助けようとして重傷を負ったガーダーのバイオブースターを使い、戦闘に挑んだ。そのとき負傷したガーダー、左文字剛志は、鉄ヶ山と本条の先輩である。
アクセスラインすら埋め込まれていない肉体で、決して恵まれていない体格で、恐怖すら麻痺して四散しそうな精神で、鉄ヶ山はその場にいた介入軍残党の排除に成功した。
感応剤高度適応者。それが鉄ヶ山の秘された才覚だった。
実際には適応などしていない。鉄ヶ山は、感応剤によってもたらされる苦痛に対する耐性を見せただけだ。しかし、それによって、高度適応者と同じだけの効果を発揮できた。
それで十分だった。
それに賭けるしかなかった。
鉄ヶ山は戦力として数えられた。そして、任務が与えられた。
単身での敵後方強襲。
その混乱に乗じて、孤立を解消するために残りのガーダーで包囲を突破、包囲外部で待機している王都からの増援を迎える。
それは、ガーディアンの敗北を意味し、また、この土地の人々を見捨てるということでもある。
それ以前に、鉄ヶ山の帰還は絶望的である。つまり、鉄ヶ山にとって、最初で最後の任務になるであろう。
鉄ヶ山は笑って受けた。
理由は、憎しみだった。憎悪だった。嫌悪だった。
それだけの理由で十分だった。
奇跡か、悪魔のめぐり合わせか、その任務は予想以上の結果を残すことになる。
後方のかく乱と包囲の突破。そして増援による形成逆転。
加えて、鉄ヶ山の生存。
増援による救助が到着するまで鉄ヶ山は戦い続け、殺し続け、生き延びていた。それどころか、気がついたときには、誰よりも多くの敵を屠っていた。
百体の鬼を降した鬼。
百戦鬼・鉄ヶ山慎之介。
このとき、齢にして、わずか十。
百戦鬼という名には誇張があったものの、その戦績と功績はまぎれもなく叙勲ものであった。
勲章の代わりに鉄ヶ山が得たのは、感応剤による後遺症と最新の訓練プログラム、そして、テクノクラスという役職だった。
それだけではない。
鉄ヶ山は義も得た。正確には、義らしきものを、だ。
〝罪なき者を救えぬは罪〟
ときに、鉄ヶ山はそうした言葉を吐くことがあった。
〝疑わしきは罰する〟
〝排他の肯定〟
〝生かすために殺す〟
こうした主張のどれをも、鉄ヶ山は実践した。
意見の合わない者は、相手が年上だろうと、スペシャルクラスであろうと、正面きってつっかかった。しかも、その大半は、暴力によって決着をつけようと申し出るものだった。
そこまでして鉄ヶ山が通そうとしたものはなんだったのか。
意地か。信念か。
おそらく違っただろう。
覆せないはずの状況を覆してしまったことが不幸のはじまりだった。力は力をもって抑えてやらなければならないと、自分に深く刻みこんでしまったのだ。
鉄ヶ山の心はとうに壊れてしまっていたのである。
鉄ヶ山の精神は、赤く腫れ上がったゼリー状の肉腫のようなものだ。そこに針金を通し、まるで自己を確立させたかのように見せかけていただけだった。
つまり、残忍な、ブルータルな思考に逃避していたのである。
鉄ヶ山もまた、弱さを植えつけられた人間だったのだ。
自分を誤魔化すことなどできはしない。嘘偽りの果てにあるのは虚無だけだからだ。
虚無に浸れるうちはまだいい。しかし、それは、自分を崩壊させることもある危険なものだ。
そして、鉄ヶ山を壊したのは、その、欺瞞による虚無だった。
それだけでは終わらなかった。数年後の動禅台、すなわちゼ号作戦で、すべてが瓦解した。
ゼ号作戦――細歩地区暁町動禅台反王制武装集団決起鎮圧作戦。
動禅台事件の真の姿。
鉄ヶ山は、生かすためと思い込んだ排他の結果、疑わしいというだけで罪なき人を殺していたことに気づいたのである。その事実に直面したのである。
立派で強固に見えた鉄ヶ山の仮面は脆くも剥がれ落ち、その下にある顔が、死者のものであることを白日の下に晒すことになる。
鉄ヶ山慎之介はとうの昔に死んでいた。




