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其は微笑みの代価  作者: 千代田 定男
第二章 暗殺者
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第八話・無名の名(C)

 校内に放送が響き渡る。学校に配置されたスピーカーから、町にまで声が届く。

 女の声だ。

「私は仲間達と道を駆けた。夕暮れが近かった。その赤い空は血でできていた。激しい怒りで私は立ち止まり、与えられた武器に寄りかかった。跳ね回る焼けた臓物と髪とが、碧い瞳と白い肌に覆い被さっていた。仲間は走り抜けたが、私はそこに立ったまま悲しみに震え、戦った。そして私は、地を貫く果てしない慟哭を聴いた」

 制圧が完了した会館で、壇上にいる黒ずくめの女の言葉がわかったのは数人。片桐ヒトミの描いた『次代への舵』からの引用だった。

 ほとんどの者がなんのことかはわかっていなかった。しかし、それが前口上にすぎないことはすぐにわかった。

「あたいはハンス。黒い鷲の妹さ。ここにいる全員が兄弟で、澤本だ」

 ざわめきが起こる。澤本虎蔵のことは知れ渡っているのだ。

「目的はフォールの首」

 黒い中折れ帽に黒いスーツのハンスは静かにそう話す。重要なのはこの一言だった。

 そして、生徒達の間にも、教師の間にも疑問がうまれる。

 フォールがこの学校と関係があるのか。

「目的のため、志乃原ヨモギを探している。差し出せ」

 数十人はいるであろう残党が銃を構えた。

 混乱と悲鳴の中、叫ぶ者がいた。

「そんなことできるわけないでしょ! 友達を売れっていうの!」

 シズであった。前にまで出てきて、ハンスを指差している。

「よせって、シズ」

 後ろから駆けてきた菊池がシズを捕まえた。

「どうしてよ!」

 ハンスが壇上から降りてくると、取り出した大きな銃をシズに向けた。

「これならどうだい? 生きるためだぞ」

 くっくっと喉を鳴らすハンスの前に菊池が出る。

「ち、ま、待ってくれ、知らないんだ! 教えようがない!」

「宗助!」

「本当か? そうならそうと言え」

 ハンスが満足そうに菊池の頭を小突く。帽子の下から見えるハンスの目は、ひどく充血していた。

「だが、知っていそうだな? 志乃原ヨモギのことを。校内にいることはわかっている。出入りを監視していたからな。呼びかけてもらおうか」

 銃で菊池をどけようとするが、菊池はどこうとしない。

「邪魔だぞ」

「いや、あの、俺が、やる」

「宗助! あんた最低!」

「ほう。間抜けばかりと思っていたけど」

 ハンスの目はどこか艶かしい。残虐な思考があって初めて宿るぎらつきがあるのだ。

「ではおまえに――」

「ねえ、おばちゃん」

 唐突に足元からした声に、ハンスは睨みをきかせた。

「おばちゃんだぁ!? なんだこいつ! おまえのガキか!」

「子供がいる年に見えるの! 知らないわよこんな子!」

「ちょっと話聞いてよね。僕はフヂナ。わざわざ呼びかける必要はないって教えてあげようとしてるのに」

 フヂナが言うとおり、会館の入り口が騒がしい。ヨモギが表からやって来たのだ。

「なにがあった! 報告しな!」

 ハンスが手元の通信機に声をあげる。


「わたしはここにいます」


 朱塔に連れられ、ヨモギがやってくる。まるで波を分かつように生徒達がどく。

 残党はすぐにでも捕獲したかったが、ヨモギを連れる朱塔の雰囲気に圧倒され、手が出せないでいた。

「同次郎さま! 全員います!」

 報告するフヂナの頭を撫で、労をねぎらってやると、朱塔が興味深そうに口を開く。

「全員が澤本だというのは、影の七星は、『澤本』によるコミュニティという意味でしょうか」

 ハンスが銃を朱塔に向け、避けた人々の間を抜けてくる。

「そうさ」

「では教えていただけますか? 澤本とは、影の七星とは、なんなのか」

「……あんたらのようにまともな教育を受けた人間は知らないだろう? 意思の疎通すら困難な世界があることを。獣の世界だよ。誰も、何も教えることができず、学ぶこともできない、しようともしない。そんな世界を知らないだろう? 兄さんだけが、そんな汚泥のような世界に手を差し伸べてくれたんだ。影の名前を連れてね」

 ハンスは忌々しそうに答える。

「わかります、と言っても信じてはもらえなさそうですね」

 朱塔はハンスの目を覗くと、少しばかり動揺した。その目はまともではなかったからだ。

「あたいの言葉が通じているか? あたいはうまく表現できているか? こんなふうに会話するのにどれほど苦労したか……まともな会話というものがこの世にあることさえ知らなかったのだからね」

「……」

「あたいらは文化というものを知らなかったんだ。技術も、文明も、ただあるものでしかなかった。それを理解するということがどういうことかわかるか? わかるまい。発見だよ。新たな概念の発見だ。あたいは、自分の体に値がつくことさえ知らなかったんだ」

「黒い鷲だけが、そんなあなた達にとっての教育者であり保護者だった。だから、どうやらあなたの方が年上であるにも関わらず、彼が兄であった、と?」

「あたいは、あたいらは、それほどまでに何も持っていなかったんだ! 静町(ここ)や、今の細歩の人間はまだいいさ。それなりの知識人が集まった結果、それなりの教育を受けられる環境まで整えてもらえたのだから!」

「だから奪う。静町を第二の故郷にするために。得られるはずだった充足を暴力で奪い取る、と?」

「そうとも。それが影の七星の結成理由だからね」

 ヨモギは朱塔の前に出て、ハンスの目を見つめた。その気丈さはヨモギらしくはあった。

「なぜわたしを?」

「フォールはあんたを二度救っている。いや、二度だけじゃない。あんたを狙って、あたい達は何度も何度も邪魔された。必ずここへ来る。いや、もう来てるかもなぁ」

(測り違えたか……)

 朱塔は困惑していた。

 先ほどの会話は時間稼ぎのためでもあるが、周囲を確認するためでもあった。しかし、思わぬ収穫があった。それも、よくない方のものだ。

 ハンスは統率者ではない。ここに頭などいないのだ。

 このままではまずい。ハンスのみを狙っても、ここの残党は独自の行動に出るだろう。

 この残党は手際の悪い間抜けな集団なのではない。もとから全員が単独行動だったのだ。この占拠自体が、単独行動の集合の結果にすぎない。

 だから、ハンスははじめからもっとも目立つ行動をとっているのだ。

 誰か一人が狙われてもなんら問題のない集団。それが影の七星の正体だ。

(だから百戦鬼はまだ来ないのか! 彼は知っていてこの作戦そのものを囮にした! 任せるしかないが……これは……!)

 今の状態に敵が不自然を感じるのは時間の問題だ。

 この地味だが注目を集める出頭劇は、どう考えても不自然なのである。

 気づかれるのはもう確定事項だ。しかし、もう少しだけ時間がほしいところだ。

 目配せすると、フヂナは小さな体を人ごみに紛れ込ませていった。

 朱塔は緊迫するその場から急に目を上へあげた。

 数人が釣られて朱塔の目を追う。釣られた者に釣られてさらに数人。視線の誘導だ。

 上にいたのは、鉄ヶ山から遅れた天野だった。

 朱塔は天野を囮に使った。

 近くにいたシズと菊池の目が見開かれた。シズの目には輝きが、菊池の目には失望が灯る。

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