第八話・無名の名(B)
ヨモギはどうどうとした足取りで廊下を進む。先ほどのことを考えるとどうしても力んでしまうのだ。
ヨモギが自分で気づいたときにはもう叫んでしまっていた。
(こんな気持ちがわたしにあるだなんて知らなかった)
大変なことをしてしまったのと、自分の気持ちの高揚でヨモギはまだ戸惑っていた。
鉄ヶ山達は今、旧校舎の中を歩いている。
少しずつだが、校内に人が入ってきているのが途中途中で確認されていた。
目立たぬように、自然に、しかし、間違いなく部外者が増えてきている。
「見ろ」
鉄ヶ山が窓の外を指差す。
旧校舎は新校舎と中ではつながっていない。『敵』はまだこちらに来る気配はない。
「いけそうですね」
二人の様子が気になった天野が遠目から窓の外を見る。学校の周囲にトラックらしきものが見えた。
「あれか、見てみろよ志乃原」
「あれに人が乗ってるの?」
遠巻きに見ていたヨモギもおずおずと近づいてきた。
「ええ。ああして人員を配置しています」
「露払いをしないのかよ?」
「周囲の人払い、ですか? したとしてもそんな前からはしません。時間的には侵入してくる少し前に、邪魔されないために行う程度でしょうね。そもそも自警団では手が回りませんから、仕掛けることができないことを知っていますよ、彼らは」
「……なにを見てるんです?」
「そりゃおまえ、地形とか敵の位置とか、そういうのを見てから反撃に出るんだ」
天野は得意げに語る。
天野の解釈はもっともだが、ヨモギはどうもそうは思えなかった。二人はもっと別のものを見ている。なぜかそう思えた。
決定的な手段は単純なはずだ。それがヨモギの解釈である。
「いませんねぇ」
「最初から潜ませていないのか、こっちを気取られたか」
「前者かと。気づいているなら、ヨモギさんがここにいて、まだこちらに来ていないのは不自然です」
「上からいけるな」
「上からですね」
「まとめるぞ。斥候らしき者を確認して観察した結果、生徒が避難していることを向こうは承知したと思われる」
「避難所である会館を中心に狙われますね」
「力量から、おそらく会館の制圧には時間がかかる。学校全域の最終的な確認までは、かなりあると見ていいな」
「ヨモギさんを探している間に鉄さんは上からいく」
「おまえの行動を確認したいが」
「ヨモギさんと彼を連れて彼らの気をひきましょう。誰かさんのおかげで、相手は私をまだ知らないでしょうからね」
「鷲が流している可能性は?」
「ないですね。あの残党、というか七星は向こうに切られています。鷲は向こうに行きました。関わりはもうないですね」
「いいだろう。オレがハンスを狩る」
「見分けは?」
「志乃原さんを手にしたなら前に出てくるだろう。声明文もどきを出すような奴だからな。それを抜きにしても、そいつも鷲の血を受けているだろうから挙動でわかる」
「血?」
「溶血させた動血の全血。自分の体で生産した天然の感応剤だ。阿納満辰に投与したものと同じ。たぶん、あいつらも持ってる」
「血から感応剤……なるほど、彼は……噂にすぎないと思っていましたが」
「オレも信じられない。だから、これはおそらく、だ」
ヨモギの予想通り、鉄ヶ山と朱塔の計画は柔軟なもののようだった。
これから起こるのは襲撃に十分に備えたものではない。遭遇戦に近いのだ。
時間的な関係からそうなっていることを、前線に立っているという実感のない天野がわかるわけもなかった。
ヨモギはそういう嗅覚を身につけはじめているとも言える。危機の中で動く術を模索するようになってきているのだ。
だからである。朱塔がヨモギを連れて投降する形を提案したのは。鉄ヶ山が提案を受け入れたのは。
ヨモギはもしかしたら『うまく立ち回れるかもしれない』という危惧があった。
ここでヨモギにうまくされると困るのだ。それは、人質になる予定の生徒達に目を向けさせることになる。
朱塔は四柳にも可能な限り抵抗しないように伝えてあった。闇雲な抵抗は被害を大きくするだけなのである。
的確に頭だけを狙わなければならない。
天野は強く反対した。意図を理解できず、囮に使われるというふうにしか思えなかったのである。ヨモギ自ら言い出したということなど、説明したところで納得しないだろう。
「鉄ヶ山と一緒に行くぜ、俺は。こいつだけに任せちゃおけない」
もっとも、天野の発想は当然の帰結であるかもしれない。
「貸せる武器なんてありませんよ? 足手まとい、と断言しますが」
「俺だってこう見えてそれなりに修羅場をくぐってきてるんだ。足手まといになんかならない。約束する」
「それなら今の状況を理解して――」
「かまわん」
「ちょっと、鉄さん」
「どのみち考えがあったんだ。来たければ来ていい」
「行くさ。言っておくが、俺はあんたを信用してない」
「ああ、もう……ヨモギさんは?」
「私は鉄ヶ山さんの、お二人の意見に従います」
「まあ、それなら、なんとか」
「朱塔、そろそろ行くぞ」
・・・
(そうか、これを確認してたんだ)
旧校舎の屋上に出るころ、ヨモギはそれがわかった。
先ほど窓の外から鉄ヶ山達が見ていたのは、校舎の屋上だったのだ。
新校舎の屋上と、新校舎の窓の反射から、旧校舎の屋上の様子を窺っていたのである。
「やはりいませんね。これだとエントリーの方も知れたものでしょう」
「コースはどうする?」
梯子がちょうど二つある。一つは旧校舎のものではじめからついていたもの。もう一つは利便性のために新造されたものだ。
一つは会館へつながる新校舎へ。もう一つは屋根から会館に直接迎える梯子だ。つまり、ここから二手に分かれることになる。
「我々は西周り、そちらは東。こちらは最後は正面から行きますが、結局は両方とも――」
「急撃になるな」
二人の話がまとまったらしいころ、銃声が聞こえた。
「お二人もよろしいですね? まずは下に向かいます。後からゆっくり来ればよろしい。相手からはこちらは見えません」
作戦開始だ。
同時にヨモギは驚いた。鉄ヶ山が梯子を階段のように駆け下りたからだ。
鉄ヶ山は後ろ手に梯子を掴み、壁面を背にしたまま下りていくのである。慣れた人間はそうした下り方をするのだが、知らない人間からすれば曲芸以外のなにものでもない。
朱塔は朱塔で梯子の端だけを使って滑り降りていっているし、そんな状態で互いの位置や新校舎の窓を確認しながらやりとりをしているしで、とてもではないが二人についていけるような状況ではなかった。
その様子を見て、明らかに焦った様子の天野が、少しでも速度をあげようとやっきになって梯子を蹴るが、一度足を踏み外すと、とたんに速度が落ちた。
もう任せておくしかないのだが、ヨモギは、あるいは天野は死んでしまうかもしれないな、と思っていた。
そう考えている自分に気がついて、ヨモギはまた驚いた。
朱塔はともかく、鉄ヶ山のことは信用に足ると思っていたのではなかったか。いや、朱塔に対してもそうだったはずだ。
信頼はできなくとも信用はできる。そう思っていたはずなのだ。だから、天野のことだって守ってくれるものだと考えるのが普通だ。
二人が行動しているのだって、自分達を救わんがためのはずなのに、ヨモギは、そんな彼らを信用できないでいるのだ。
危機が迫る状況で誰かを頼り、期待することは愚かだ。しかし、それを理解してしまっているのはヨモギの不幸だ。




