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其は微笑みの代価  作者: 千代田 定男
第一章 逃亡者
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第六話・陰る宿命(A)

 フォールが跳ぶ。目にも留まらない速さだった。

 盾を構えた体当たりが決まる。盾の前にはナイフが添えられていた。

 阿納の体に傷がついた。小さな傷だった。しかし、それがいかに大きいことだろう。

 怪物を相手に戦えているのだ。

 チホはその光景を見て涙を流していた。

 フォールは(たく)みだった。何度も目を狙った。阿納はそれを嫌がって、距離をとるようになった。そして、その距離こそが、そこに生まれる速度こそが、フォールの武器となった。

 何度も目を狙う。何度も距離をとる。何度も傷を狙う。

 決め手に欠けていた。だが、しかし、必ずしも決め手というものは必要ではないのだ。

 それを証明するかのように、阿納の動きが鈍くなっていった。

「意識はあるんだろう? 外道」

 フォールの指摘は当たっていた。

「おのれ……『フォール』風情がぁ」

 阿納の意識は非常に凶暴になっていたものの、自我はあったのだ。

「『カンパニー』が見ているんだ、『カンパニー』が……権力になるんだ……真の権力に……」

 だが、しかし、言葉は通じなかった。阿納の頭にあるのは、もはや自分のことだけである。

 それがわかっただけで十分だった。

 フォールは阿納の顔に手をかけた。緩慢になった阿納では、レベル2の力でつかみかかるフォールの腕を払うこともできない。

 フォールは阿納の口を無理やりに開く。汚物がこびりつくその中に、フォールはナイフを突き入れた。

 深く、深く、首の裏に達するまで、ゆっくりと、刃を食い込ませた。

 命を奪うのに、決め手は必ずしも必要ではないのだ。


 ブースターを停止させたフォールがチホの前にひざまずく。

 ナイフを傍らに置いたその姿は、まるでチホに傅いているかのようである。

「遅くなって、すまない」

「あなたは誰なの?」

 チホは肯定も否定もせず、ただ静かに聞いた。

「教えて」

「オレは、誰でもないんだ。知るべきじゃない」

 フォールの声は加工されたままだったが、視線はチホに合わせたままだった。

「それでもいいの」

 チホの声は震えていた。

「おねがい」

 チホの目に浮かんだ涙をフォールは優しく(ぬぐ)う。

 そして、自らの仮面に手をやると、ゆっくりとその仮面を外した。

 仮面から、血と薬剤の混ざり合ったものが、折れた歯を運んで流れ落ちた。

 その顔を見て、チホはにっこりと笑った。

「あたし、バカだった」

 再び流れ落ちる涙を見て、仮面をはずした顔が少し歪んだ。

 時間は、(みじ)めさを押し流すこともあれば増幅することもある。それが短い時間であっても。

 チホは、おそらく、驚愕以上に落胆したのだ。フォールの正体に対して、チホはまだ一抹の希望を抱いていたのだろう。

 それが、崩れた。

「本当に、バカだった」

「そんなことは……」

「もう一つおねがいがあるんです」

 チホの声はひどく辛そうだった。フォールの表情も暗い。彼女の願いがわかっているからだ。

「あたしを、助けてください」

 チホの最後の願いだ。

 チホの願いは、口からこぼれた言葉通りの意味ではない。そうであるわけがない。いっそ、その言葉の通りであればどれほどよかったことだろう。

 なにも知らないフリをして、言葉を額面どおりに受け止めてもよかった。

 聞こえないフリをして、わからないフリをして、ただ連れ出してもよかった。

 しかし、フォールにはそれができなかった。

 正しいも間違いもない。それをしてやらねばならないことをフォールは知っていた。

 チホはまだ生きることができただろう。その先があれば、幸せを感じる時間もあっただろう。だから、フォールがこれから行うことを救済と呼ぶことは決して許されない。

 フォールは腰から銃をぬく。リボルバー式の大きな拳銃だった。五発の銃弾のうち、四発がすでに使われた後だ。予備の弾はないらしかった。

 それを見て、チホは心底安堵(あんど)したようだった。

「なにか、望みはないのか?」

 懇願(こんがん)にも似た質問だった。

 ダメージのせいもあるだろうが、フォールの肉声は弱々しく、仮面を着けているときとは別人のようである。

「ヨモギに、ごめんって……みんなに、ごめんって……」

「わかった。引き受けた。でも、君は悪くない。なにも悪くないんだ」

 その言葉を聞いたあと、チホは目を(つぶ)った。

 立ったフォールが銃を構える。狙いはチホだ。

「おやすみ、片桐さん」

「おやすみなさい……ありがとう……」

 撃鉄の落ちる音と、火薬の破裂する音。そして、肉のはじける音。その後に静寂(せいじやく)

 静寂という音。空気が響く音。

 風によって起こる音に混じって、どこかからぐずるような声が微かに聞こえていた。

 その音さえ消えて、辺りを真の静寂が支配したころ、バケモノの死体の傍らに一冊の本があった。

 本の名前は『次代への舵』。

 著者である阿納満辰の名前は黒く塗りつぶされており、その横には、『片桐ヒトミ』という名前が書き足されていた。

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