第五話・スペシャリスト(A)
「チホは無事なの?」
「開口一番それってマジかよ。なかなかキモ座ってるなぁ」
澤本の声にヨモギは嫌悪した。
「頭もいい。どこかで俺のこと疑ってやがったな。てめえで思い込ませるしか方法がなかったぜ。いるんだな、なにやってもメッキを剥がしてくるヤローってのは」
ヨモギは女なので野郎ではないのだが、そういう意味で使ったのではないだろう。とにかく、澤本は上機嫌なのである。
「だが、まだガキでよかったぜぇ。自分の見たい現実を好んでチョイスしてくれるからな。経緯はどうあれ結果は予想できる。ちょっと餌ばらまくだけでコレよ。いいか? おつむってのはこうやって使うんだ。自分のだけじゃねえ、相手のも使う。わかったか? おまえら」
見せびらかすように小脇に抱えた仮面を上下させると、澤本は腕に巻いていたなんでもない包帯を放り投げた。
周囲からわざとらしい感嘆の声があがる。
「騙したの! ひどい……! ひどい!」
「なあ、俺のどこががフォールだって? バカ女が、信じやがってよ!」
ひとしきり笑うと、澤本はそのままさらに奥へ進む。地下へと降りる階段があるのだ。
「満足したら連れて来い。殺すなよ。そっちは接待用の玩具じゃなくて、商品なんだからな。終わったら『ハンス』と合流しておけ」
消える前の、澤本のその一言がすべてを語っているような気がして、ヨモギは抵抗する気にもなれなかった。
「チホは……ガーダーだって、信じて……」
ヨモギは力なく呟く。それを聞いた周囲では含み笑いが起こった。
「おいおい。ここは隔離地域なんだぜ? わかってるか? 王都の誰がそんなとこに助けをよこすってんだよ。あいつら細歩なんてダニの巣ぐらいにしか思ってねえんだぜ? いつまでも夢見てんじゃねえよ」
「ほら、そう気を落とすなよ。鷲が言ってただろ? おまえは商品なんだからまだマシさ。だからさ、俺達と楽しくやろうぜ? 具合が良けりゃ、うまく売り込んでやるよ」
「おいおい、そういう商品じゃねえって。サンプルなんだとよ」
「そうだっけ? でもよ、数値がいいって、俺なんの数値か知らねえんだよ」
ヨモギに覆いかぶさりながら男がぼやく。そして、男は下卑た興奮の中、何か不思議な音を聞いた気がした。
自分のぼやく声に紛れて、たしかに何かが折れる音がしたのだ。
周囲には一瞬の沈黙。
同時に、おぼろげだったヨモギの瞳が何かを捉え、唇が何かを語った。
お、お、う? 違う。舌が動いていた。
お、お、る? 違う。唇が狭まっていた。
も、お、る? これも違う。
違う。違う。そんなはずがない。そんなわけがあるはずがない。
現実感の喪失をもって、男の意識が空白になった。
「ああ、その数値はな、マインド能力の高さを表しているんだよ」
機械で加工された声がして、男の足元にひしゃげて壊れた機械が転がってきた。
『数値』を測るときに使う機械だ。全滅させられたグループが持っていたものだ。
危機感が濁流にように流れ込んで、空白の意識を真っ赤に染め上げる。
「ふぉ、お、る……」
ぎこちなく振り返った男は、首と舌とを地に向かって垂れ下げ、グッタリとした仲間の姿を見た。
「おまえ達の番だ」
ぞんざいに仲間の体を投げ捨てるフォールの姿は、男には、どこか無機質なロボットのように見えた。
「どこから、入って……!」
一人が言葉を振り絞る。
フォールは答えるように、黙ったまま天井を指差した。天井には、壊れた通気口が真っ暗な口をあけている。
馬鹿な。なんの物音もなくあの中を這いずり、しかも音もなく降りて、一人仕留めたというのか。そういう疑問が駆け巡る。
一人はそれで終わりだった。余計なことを聞いて、どうでもいい答えに惑わされた。
壁と拳に頭を挟み潰されて、顔がアルミ缶のように変形して、地に向かって崩れたところを膝で撃たれ、空中をしゃちほこばって飛び、壁に首を折り畳まれ、そのまま壁を伝い、ようやく地面に寝た。
「おお……おおおお!」
それを見て、一人が叫び声をあげた。
叫び声の主が手にした銃を構えた瞬間、視界の左下にはフォールが、視界の右上には自分の両手首があった。
あの奇妙な形の大きなナイフは、目を超えそうな速さのおかげもあって、人体を容易く切断できる代物だった。
それだけでは済まない。
フォールは返した刃で腹部を深く抉って、背中に回り込み、残った回転で後頭部を蹴り飛ばす。
叫び声は悲鳴にかわり、くぐもった声で終わった。一息で一人。
次の息で蹴った足を地に着けたフォールは、体をフェンシングのように伸ばし、ナイフを突き出す。
そこでようやくフォールの動きが止まった。
盾だ。盾がナイフを止めていた。
盾を持った男も驚いていた。
受け止めることができたのは偶然なのかもしれないが、言い切ることもまたできない。
フォールが急所を的確に捉えすぎたせいなのだ。つまり、本能的に庇った急所にナイフが吸い込まれていったのである。
フォールはナイフを持つ手を変え、突きを斬撃に切り替え、飛び掛かる。
上からの攻撃に、男はまた思わず頭を庇い、ナイフが盾を撫でた。
「こ、これなら防げる!」
盾に厚みはあまりない。むしろ薄い方だろう。特殊な材質なのだ。
「いいぞ!」
「おい! これなら!」
連携をとろうとした声が飛び交った瞬間、ナイフが盾を持つ男の反対に飛び、連携を呼びかけようとした男の鳩尾に入り込んでいた。
「うっ……!」
頑強な盾は、まるで安心をもたらしてはくれなかった。
フォールと再び向き合って、盾を持つ男は恐怖する。
フォールが構えている。緩く、握るか握らないかの手をし、軽く前のめりになった姿勢。
つまり、その姿が、対抗策があることを思わせたのだ。
男は奮起し、前に駆けた。それしかなかった。盾を構えたまま、押し潰そうと考えた。
「盾はただの遮蔽物じゃない」
ただ闇雲に走るだけの男に対し、フォールが呟く。
跳び、迫る盾の下を蹴り込む。
男が走る速さと、フォールの軽い蹴りによって、盾が、男の腹に向かって傾いた。
「あ」
男から言葉が漏れた。盾の上に手が掛けられているのがわかったからだ。
盾の上部にはフォールの手が掛かっており、下の方は自分の腹の方に向いている。そして、フォールは軽く跳んでおり、自分は走っている。
次に起こることを予想するだけで、その痛みを予感するだけで、男はもう降参しているも同然だった。
「盾はこう使うんだ」
だが、フォールは、降参する暇すら与えてはくれない。
勢いよく振り落とされた盾の縁は、盾を持つ男の左腰の辺りに打ち落とされ、その進行方向にあるものを、砕いて、削いだ。
男は倒れる前にもう白目をむいていたが、やはりそれでは終わらず、地面に落ちる前に後頭部をフォールに踏まれ、加速され、そのままの威力を、そのまま地面に伝えさせられていた。
「鷲は恐ろしい奴だな」
フォールが、最後に残った、ヨモギを襲おうとしていた男に歩み寄る。
「この広さに対して、的確な人数と装備を配置している」
淡々と解説しながら、フォールの手が男の首に伸びる。手には血の滴るナイフ。
「そして、重要でない場所には、容赦なく捨て駒を撒いていく」
「たす、け……」
「もう迎撃準備は完了しているはずだ。時間を稼ぐ理由はなんだ?」
自問自答しながら、フォールはナイフを男の延髄に突きたてた。
ぬるりとした様子でナイフが抜かれ、周囲から音が消え去った。