〈19〉大岡涼音
「今日の試験に合格したら、二次試験があるんだろ? どうすんだ?」
研究職採用試験の一次試験に向かうタクシーの中で、良助が霞に聞いた。
「実は考えがあるの」
「なんだ? 教えろよ」
「前に言ったかもしれないけど、あなたと同学年ですごい子たちがいるの」
「ああ、あの高等数学と物理がすごいっていう?」
「あの子たちも今回の試験受けるらしいのよ」
「じゃあオレたちのライバルだな?」
「今日はそうね。でも二次試験は集団実技面接だから、そこで彼らを引き込むつもり」
「そいつらのこと、知ってんのか?」
「会ったこともないよ」
「じゃあどーすんだよ? どうやって見つけるんだ?」
「今日の受験生ってそんなに多くないわよね。教室で言えばせいぜい二つ。わたしが誰か教えるから、あなたは彼らから目を離さないでいてほしいの。後でわたしが声かけるから」
「わかった。ってゆーかかすみん、えらい余裕あるな」
「ないわよ! でも仮に今日、わたしが不合格でも、あなたには二次試験に受かってもらわなきゃならないし、そのためには強力な助っ人が必要だと思ったから」
「ふーん。で、そいつら何人いるんだ?」
「三人よ。二人が6年生の男子。この二人はたぶん一緒にいると思う。残りの一人は5年生の女子。受験生の中で最年少で一番ちっちゃい子だと思う」
「は? 小5? 大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。ひょっとするとあなたと感性合うかもしれない」
「なんで?」
「いや、なんとなく。でも、何考えてるかわからない子たちだから気をつけて」
「だから何に気をつけろと! 気をつけようがねーよ!」
「彼らも試験終了後に大学の学食で昼食とるつもりだと思うから、その時に声をかけようと思うの。よろしくね」
「よくわかんねーが、まあ、いいや」
◆◇◆
事前の予想通り試験会場は二つの教室に分かれており、しかも霞と良助は別の教室に振り分けられていた。
「あそこにいる男の子二人よ。声かけないでいいから目を離さないでおいて」
良助に耳打ちする。
「あれ? もう一人女の子がいるが、あの三人ってことか?」
「あの子は……違うかも。でも一応注意しておいて。じゃ、試験頑張ってね!」
「ああ。かすみんもな」
良助と別れて教室に入り、自分の机を見つけると、ちょうどその前の席に小さな女の子がいた。
(間違いない、大岡涼音だ)
ツインテールにしましまハイサイソックスの出で立ちで、いかにも小学校の低学年に見える涼音は、ぼーっと前を向いている。
(さて、どうするか?)
カバンから飴を二つ取り出した霞は、涼音が横を向いた瞬間に声をかけた。
「こんにちはっ、飴ちゃんどうぞっ!」
ゆっくりと涼音が振り向き、霞にいぶかしげな目を向けた。
「…………」
(さっそく外したかっ! やっぱフードデリバリーっぽい形の飴にするべきだった?)
「…………」
「あ、わたし、高橋霞と言います。西山中学校の1年です」
「……ありがとう」
涼音はそう言って霞の手から飴を受け取った。
「ごめんねー、試験前で緊張しちゃって誰かと話さないと落ち着かなくってさー」
「……私も」
「えっ?」
「……緊張……してる」
「そ、そうだよねー。まだ若いもんねー」
「…………」
(この子、手ごわい……)
「……大岡」
「え? あ、大岡さんなのね?」
「……うん」
「お互い頑張ろうね!」
「……うん……でも」
「はい」
「……私」
「はい」
「……二次試験……受けない……から」
「え? なんで?」
霞が聞いたそのとき、試験官が教室に入ってきた。
それに合わせて涼音が前を向く。
(ちょっと、どういうこと? でも、連絡先くらいは聞き出しておかなくちゃ……)
◆◇◆
『それでは始めてください』
試験官の言葉でテストが始まった。教室のテンションが張りつめる。
選択科目、数学、社会学でそれぞれ20分。すべて記述式。
受験生は全員、集中して入力ペンで思考を文字化していく。
(なにこの数学の問題! ぜんぜんわかんないんだけどーっ!)
見たこともないような問題に面くらい、あわてる中、あわてて問題を読み返す。
(いや、落ち着け霞。とりあえず得意分野から手をつけなきゃ)
一度深呼吸すると、再び問題に向き合った。
――ピーン
『それではやめてください』
テスト終了の合図が響くと、ふー、と受験生たちの息を吐く音が聞こえた。
(書くのは書いたけど……)
そう思う間もなく、涼音がすっと席を立った。
「あっ、大岡さん!」
霞のとっさの言葉に涼音が振り返る。
「お近づきのしるしにお昼ご飯でも一緒に食べない? ですか? (って、何言ってんだろ……)」
「…………」
「…………」
霞の笑顔が引きつる。
「……うん」
「あ、ありがとう。じゃ、食堂行きましょ! 隣のクラスにわたしの友達もいるから是非一緒に――」
そう言って隣の教室に目を向けた瞬間、
「……私……先……行ってる」
涼音は無表情のまま、すっと教室の外に出てしまった。
(な、なんというか……すごいマイペースなのね……あれが『来訪者』なのかしら?)
そう思いながらも、気を取り直して良助の教室に向かうと、ちょうど彼がドアから出てくるところだった。
「良助! そっちはどう?」
「しっ」
小声でたしなめられて少し後ろに下がると、玲と雅也が外に出てきた。彼らの後ろから間を取ってついていきつつ、良助が耳元で言った。
「あいつらも食堂に行くらしい。だが、少し雲行きが怪しいぜ」
「え?」
「とりあえずオレはあいつらを追いかける。そっちは?」
「大丈夫。先に食堂で待ってるって。だからわたしもそっちに行くわ」
そう言って後ろを振り返りながら、雅也と玲の後ろを見つからないようにつけて行く。
階段の陰からのぞき見ると、前の二人が一階に下りたところで、中学生に絡まれていた。




