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俺の告白は。

 「さて……」

「!」


 恰幅のいいおっさん……いや白咲のお父様は汗の染み込んだタンクトップを脱ぎ捨てると、壁際のクローゼットから真新しいシャツを羽織り、正面の机に座った。高価そうなパイプを咥え、丸い眼鏡の奥から穏やかな目で見つめられる。俺は何の反応もできず只々呆然と立ち尽くしていた。お父様がじっと俺を見つめながら口を開いた。


「『お嬢様』……いや、君はどうも、うちの娘ではないようだ」

「!!」


 ……バレている!

 ……まあ目の前で自分の父親を見間違ってしまったのだから、当然かもしれない。いくら娘でも、父親と執事を取り違えるなんて馬鹿な真似はしないに決まってる。だけど俺もまさか、財閥のトップがそこらへんのおっさんみたいな格好で庭いじりをしているだなんて、夢にも思っていなかった。


「あ、あの……俺……!」

「どうぞ、その椅子へお座りなさい。大方娘に頼まれて来た影武者か何かなのだろう?」

「いえ、そういうわけじゃ……あ、りがとうございます……」


 ……怒ってない?

 お父様は声を荒げることもなく、俺にそう促した。『影武者』なんて言葉がこうも簡単に口から出てしまうほど、財界というのは俗世から切り離された世界なのだろうか。いずれにせよ、どう取り繕っても俺が本物の白咲に成り済ますことは不可能なようだった。椅子に腰掛けながら、俺は居心地悪く身を捩らせた。お父様の口から、白い煙がもくもくと部屋の天井に立ち込めていくのを俺はただぼんやりと眺めていた。


「…………」

「…………」


 ……マズい。

 あれだけ気合を入れて乗り込んで来たはずなのに、全く言葉が出てこない。というか、もう言いたいことはさっき庭で全部言ってしまった。これから何をしていいのか分からなくなり、俺は身を縮こまらせた。


「娘は……雪花は元気かね?」

「は、はい……」

「そうか。それは何よりだ」

 お父様が満足げにパイプを咥え直した。


「君が先ほど庭で私に言ってくれたこと……」

「…………!」

「あの子のために、思いの丈をぶつけてくれることは、親として大変嬉しい」

 だが、と続けたお父様は、ガラスの向こうから静かに俺の中まで見透かすように目を光らせた。


「……だが、我々の世界にも我々の世界のしきたりがある。『はいそうですか』、と言う訳にはいかない、と言うのはわかってくれるね?」

「…………は、ぃ」


 ……おかしい。

 そんなしきたりやルールなんて関係ないと、あれだけ啖呵を切って来たはずなのに、いざ目の前にすると小さく頷いている自分がそこにいる。なんて情けない奴だ。俺は下唇を噛んだ。


「……だ、そうだ雪花」

「……え?」


 お父様はおもむろに立ち上がると、俺……ではなく、俺の背後に向かってそう言葉を投げかけた。振り返った先に立っていたのは……煌びやかなドレスに身を包んだ、白咲雪花本人だった。


「白咲……!!」

「…………」


 仰天して椅子から転げ落ちそうになる俺を、白咲はただ黙って扉の前に立ったままじっと見据えていた。その無表情からは、一切の感情が見えない。だけど俺も長いこと一緒に暮らしている経験から、彼女が怒っていることが伝わって来た。


「…………!」

「…………」

「さ、雪花。家の外まで送って行って上げなさい。ご友人のお帰りだ」


 お父様はそう言って背中にある窓の外を見上げた。青い空の向こうでは、どんよりと怪しげな雲が徐々にこちらに足を伸ばしてきていた。情けなく床に尻餅を着いた俺に、白咲が何とも美しい黒い微笑みを口元に浮かべ、そっと怒りに震える手を差し出した。 

 









 「ぬぁぁにやってんのよ貴女! こんなところで!!」

「ヒィィ……!」


 館を出た後の裏庭で『壁ドン』されながら、俺はひたすら身を縮こまらせた。恐怖で動けない俺に向かって、勢いよく白咲の顔が迫ってくる。きっと少女漫画とかだったら、このまま白咲に唇を奪われ、『好きだ』とか言われながら抱きしめられるのだろう。その可能性も無きにしも非ずだったので、俺はぎゅっと目を閉じ、どうかそちらであることを祈った。


 だが祈りは届かず、怒り狂った白咲は勢いそのまま頭突きを食らわせると、獣のように荒い息を吐き出しながら俺を睨みつけた。情けないことに、俺はずるずると壁伝いにへたり込んでしまった。

 まるで狂犬だ。この状態の白咲にキスされても、きっと舌を噛みちぎられてしまうに違いない。俺は束の間の甘ったるい妄想を断ち切られ震え上がった。


「何やってんのか分かってんの!?」

「お、俺は……白咲のためを思って……!」

「頼んだ!? 私が、こんなことしてくれって!? アンタねえ、自己満足の拡大解釈で、勝手なことしてんじゃないわよ!」

「…………!」


 俺の首根っこを捕まえ、白咲はさらにもう一発、二発とヘッドバットを喰らわせた。このままでは、俺のおでこが月面クレーターみたいになってしまう。白咲が『自分殺し』してしまわないうちに、俺は彼女の首根っこを握り返した。


「……だったらあんな顔してんじゃねえよ!」

「!」


 俺の言葉に、白咲の振りかぶった頭が止まった。白咲の言い分も尤もだが、俺は俺で、彼女に言いたいことが山ほどあった。


「……白咲が、家のことや自分のことで一人で抱え込んで無理してるんじゃないかって、俺も雅樹も心配なんだよ!」

「……余計な御世話よ」

「余計でも、心配くらいさせてくれよ……」

「!」


 激しく息を切らす白咲の額に、一筋の赤い血が流れ出ているのが見えた。俺達はお互い目を離すことなく、しばらくそのままの姿勢で睨み合った。やがて、白咲がフッと息を吐き出した。


「……必要ないわ。家のことも、将来のことも、私が選んだことだもの。一度は家を飛び出したけれど……私は……私はもう、自分の過去から逃げたり、捨てたりしないって決めたの!」

「だったら……俺に預けて隠すっていうのはどうだ?」

「え?」

「……俺の目には、お前がそのせいで過去に苦しめられてるようにしか見えないんだよ」

「!」

 見開かれた彼女の目に動揺が走るのを、俺は見逃さなかった。

「逃げたり、捨てたりするのが嫌だってんなら……俺に隠せよ。今の俺なら、お前の『影武者』にだってなれる……お前の過去なら、俺が預かれる」

「何でそこまで……?」

 白咲が目と鼻の先で戸惑った顔を浮かべた。その吐息を肌で感じ、俺はとうとう目を逸らした。


「俺は……好きなんだよ。白咲が、好きなんだ……」

「!」

「だから、白咲が笑って暮らせるなら……俺が代わりにでも何でも……」

「…………」


 ……さっきから俺は一体何を言っているんだろう?

 自分が今何を口走っているのか、自分でも良く分からない。と言うか、告白するにしたって、このタイミングか? 違う、違う違う違う。何もかも、選択肢を間違えてしまった気がして、俺は突然顔が熱くなるのを感じた。


 ……しばらく、俺達は無言で取っ組み合ったまま固まっていた。ふと気がつくと、遠い空の彼方から、まるで他人事のように冷たい雫が一粒、また一粒と降ってくるのが見えた。


「…………そう」


 それだけ呟くと、白咲は静かに俺の拘束を解いた。それから何も言わずおもむろに立ち上がると、振り返りもせず館の中へと歩いて行った。



 ……俺は冷たいコンクリートに尻餅をついたまま、じっとその姿を眺めていた。降り注ぐ冷たい通り雨に混じって、妙に温かい一筋が俺の頬を伝った。



 

 白咲を助けたい。その気持ちは本当だった。彼女に迷惑をかけるつもりもなかった。

だけど結局、俺のやったことと言えば、彼女の邪魔……ただそれだけだったんだ……。

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