百鬼夜行列車
はじめまして。初投稿させていただきます、東雲まひると申します。まだまだ力不足で読みにくい点等あるかと思いますが、どうかお付き合い願います。読んでよかったと思ってくだされば嬉しいです。
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とある夜の大都市の地下にある使われなくなった地下鉄の無人駅。誰もいない、静かなはずのこの空間に、古い列車が一編成止まっている。
えんじ色の塗装はところどころ剥げており、金属部分が少し錆びているその電車は、もう使われなくなったものだ。
そのレトロとも呼べるかわからないオンボロ列車の傍には、人間の体に狼の耳と尻尾を生やした少し毛深い半獣人の男が車掌の服を着て佇んでいる。
彼はこの列車の車掌である。
半獣人の車掌はぼんやり、寂れた改札からホームへと降りる階段を見つめていた。
かつては人が行き来していたその階段も、列車が来ないのでは誰も通らないであろう。
そこから風がぴゅうっと吹き抜けた。
冷たく、思わずゾッとして身震いするような風である。
その風が車掌に触れた時、彼はピッと背筋を伸ばした。
「お客様のお越しだ」
そう車掌が呟いたとき、階段の上から、いくつもの影が揺らめきながらバラバラに降りてくる。
やがて姿を現したそれらは、みな妖怪だった。車掌は彼らに向かって一礼する。
「ようこそ『百鬼夜行列車』へ」
やって来た妖怪達は招待券を持っていた。茶色いガサガサした少し厚めの紙に、黒いインクで刷られている。
車掌は一人一人からその乗車券を受け取り、赤いインクの判子を押していく。
乗車券に判子を押された乗客からどんどん列車へと乗り込んでいった。
「行ってらっしゃいませ」
車掌は一人一人声をかけながら、判子を押していく。
流れ作業のように滞りなくそれを行っていたが、ある乗客のところでふと手を止めた。
「車掌……」
半獣人の車掌がそう声をかけた相手は、年老いた、獣人の男性である。車掌の半獣人とは違い、顔は完全な狼であるが、二足歩行のその姿はやけに人間くさい。
「車掌はルーヴ、お前だろうが」
半獣人の車掌の名は、ルーヴという。
そして獣人の乗客は、名をルプスといい、かつてこの電車の車掌を務めていた、いわばルーヴの上司、いや、ある意味師匠というべきか、そんな存在である。
もう引退してしまい、今は乗客という立場であるが。
「ほら、早くせんか。他のお客様が待っとるだろ」
師匠のたしなめるような口調に、ルーヴは再び手を動かし始めた。
ルプスから受け取った招待券に判子を押して返す。
ルーヴは何だか悲しげな目をルプスへと向けたが、ルプスは笑顔でルーヴ車掌の背中をバシンと叩いた。
「全く、しゃんとせい。もうお前が車掌なんだぞ」
そういい残して列車へと乗り込んでいく。
背中を叩かれたルーヴはまたピンと背筋を伸ばした。
そして次の乗客、次の乗客……そうやって矢継ぎ早に判子を押す。
やがて判子待ちの列はなくなり、全員が電車へと乗り込んだ。
ルーヴは自分も運転席へと乗り込む。
車掌は本来、運転手とは別。
でもこの列車は普通じゃない、特別なのだ。
普通に客を行き来させることが目的ではない。
だから、車掌というのはただそれっぽいからそう呼ばれているだけであって、仕事内容を意味するものではないのである。
「本日はご乗車いただき、まことにありがとうございます。最期まで、ごゆっくりお楽しみください」
そのアナウンスを合図に電車はゆっくりと線路の上を動き出した。
百鬼夜行、とは鬼や妖怪などが夜中に群れを成して徘徊する様子を言う。
平安時代から恐れられていた百鬼夜行は、妖怪が存在しないとされている現代からするとあまり馴染みのない言葉かもしれない。
百鬼夜行で行ってしまった者達はどうなるのか?それは人にはわからないことなのである。
妖怪は人が信じない限り、見ることは出来ない。
人が信じた時に具現化するものが妖怪なのである。
しかし、魂は常に地上を彷徨っており、妖怪は常に存在しているのである。
だから妖怪は姿を変えないものが多い。
よって、寿命などあってないようなものなのだ。
それではいつか地球は飽和状態になってしまう。
そこで生み出されたのが『百鬼夜行システム』である。
召された妖怪達はある場所へと群れで向かい、そこで存在を断つのである。
『ある場所』にある境界を超えると、妖怪は消滅する。
生き過ぎた妖怪達の元には招待券が届き、百鬼夜行のツアーへと誘われる。
昔はガイドと徒歩で練り歩くのが主流であったが、それだと妖怪が消滅する境界に辿り着くのに時間がかかり過ぎてしまい、非効率的なのである。
そこで人間の捨てたものを借りて出来た、『百鬼夜行列車』が生まれたのだ。
百鬼夜行列車は夜を往く。
暗い地下からトンネルをくぐって地上へと。
乗客達はワイワイ騒いでいる。
歌っている者、話している者、窓の外を眺めている者。
各々自分のやりたいように楽しんでいる。
妖怪は明るい輩が多い。
盛り上がることが嫌いな妖怪は珍しく、宴会が好きな輩ばかりなのだ。
種属も様々である。鬼に河童に妖狐、一つ目妖怪やのっぺらぼう、化け猫や化けたぬき、日本の妖怪だけでなく、ゴブリンやエルフまでいる。
ルーヴと同じような人間に近い種属もいれば、つちのこのような小さい妖怪もいる。他にも色々な種属が集まっている。
この列車内は無礼講、種属の強弱はあれど、みんな平等である。
故に鬼とつるべ落としが話していたり、天狗とゴブリンで一緒に歌っていたりもする。
この列車が向かうは死に場所。
乗客はみな重々承知している。
いや、生という概念がそもそもあるかわからないので、死に場所というのは間違っているのかもしれない。
妖怪はみなあっけらかんとしている。
消えたくないと駄々をこねることはない。
何故なら、根本的な考え方が人とは違うからである。
普通はそう、でも中には人間くさい奴もいる。それが車掌のルーヴであった。
百鬼夜行列車は地下を抜け、地上へと出た。
人に見られる心配はない。
だって、見えやしないんだから。
人が存在を信じない妖怪達の行列は、存在があるとはいっても無いも同然。
あるはずがないと思われている限り、見られる心配はない。列車は浮き上がり、線路の無い空へと漕ぎ出した。
運転席に一人腰掛けるルーヴは、後ろから聞こえる楽しそうな声とは対照的に、酷く暗い顔をしていた。
彼はこの仕事に向いていないと常々感じていた。何故なら、情け深いから。
彼は例外的に人間に近い感性を備えている。
半獣人の彼は、見た目も人間に近い。
故に妖怪の心が理解出来ないことも多々あるのである。そういう歪みは不協和音を呼ぶ。
妖怪と馴染めない彼を救ってくれたのが、ルプスであった。
百鬼夜行列車は空を逝く。
無機質な鉄の塊だった古ぼけた電車は、不思議な光を帯びながら天馬の如く空を駆ける。
乗客はどんちゃん騒ぎ。
夜の街を見下ろして歓声を上げる。
眼下には夜景のパノラマが広がっていて列車さえも呑み込んでしまいそうだ。
騒いでいる妖怪達の中に一人、夜景も見ず、運転席を眺めている獣人がいる。
言わずもがな、ルプスだ。
彼はずっと、運転席に座っているルーヴの背中を、心配そうな目で見ている。
ルーヴを車掌へと育てあげたのはルプスである。
人情深い彼にこの仕事を経験させてやろうと思ったのだ。
妖怪は気まぐれである。
生かすも殺すも気分。
しかし、ルプスがルーヴをすくい上げたのは気分ではない、過去の自分にそっくりであったからだ。
ルプスもかつて、人情深い、情け深い妖怪であった。
今が全くそうではないとは言わないが、今よりももっと若く、青く、未熟であったことは確かだ。
自分の仕事が辛かった。
何故、みんな楽しそうなのか理解出来なかった。いつか消えてしまうことへの恐怖に、いつもいつも苦しんでいた。
そんなルプスを変えたのは、一人の乗客だった。
その乗客に彼は訊いた。
「怖くはないのですか? 」
その乗客は少し首を傾げ、こう答えたのである。
「消えることは、辛いことか?苦しいことか?また新しい魂に変われるなら、その準備みたいなもんだろう。だったら騒いで、お祝いしなくちゃな」
その乗客は笑っていた。
何の迷いも、憂いも感じられない笑顔で。
ルプスはその時、心が軽くなるのを感じた。
明るさに接し、重く考えることが馬鹿馬鹿しくなったというべきか。
ともあれルプスはそれから乗客に明るく振る舞うようになり、しばらく経った頃に出会ったのがルーヴだったのである。
ある時街で見かけた、暗い表情をした若い半獣人の男にルプスは声をかけた。
「そこの若いの、どうかしたのか? 」
振り返った半獣人の男はルーヴだ。
「妖怪の気持ちが、わからないのです。」
彼はそう言った。
振り返った彼の目は、何かに怯えたようなその瞳は、若かりし頃のルプスに瓜二つで、ルプスは思わずこう言った。
「ならば、うちの列車の車掌の見習いをするといい」
と。
百鬼夜行列車もそろそろ終点へと差し掛かる。
終点の『ある場所』まで後少し。
乗客達もお喋りしつつ、降車準備を始めている。
ルーヴはまだ、暗い顔をしていた。
まだ彼は妖怪の心がわからない。
しかも今日は、大事な師匠を乗せているのである。
師匠が消えることが、たまらなく辛い。
いつまで経っても慣れないこの仕事、何故ルプスは自分を車掌にしたのかそれも彼はまだわかっていなかった。
列車が降下を始める。
ゆっくりと浅い角度で、見え始めた『ある場所』へと。
どんなに遅く進んでも、進む限りはいずれたどり着く。
駅はだんだんはっきりと見えてきて、列車はゆっくりと動きを止めた。
ルーヴは客席のドアを開けるレバーを引き、運転席を降りる。
その駅は無人駅だが、駅の端に水面のような境界がある。
それが、妖怪達が通ると消滅する境界だ。
「ご乗車、ありがとうございました」
ルーヴは降りてきた乗客一人一人にお辞儀をする。
乗客達は駅の端の境界の方へと歩いていく。
立ち止まるものは誰もいない。
下を向いているものも誰もいない。
希望を持った表情で進んでいく。
ルーヴは一人一人に挨拶を続ける。
列車の中の乗客はどんどん減り、やがて最後の一人が降りてくる。
「ルーヴ」
「車掌、いえ、ルプスさん……」
ルーヴは顔を上げない。
下を見ている。ルプスはふぅっとため息をつくと、またルーヴの背中をバシンと叩いた。
「仕事はどうだ? 慣れたか? 」
「いえ、全然……」
ルーヴは顔を上げようとしない。
ルプスの目を見たくないのだろう。
少しの沈黙が流れる。
その沈黙を破り、口を開いたのはルーヴだ。
「あの、一つ訊いても宜しいですか? 」
「何だ? 」
「怖くはないのですか? 」
ルプスは微かに目を見開く。
ほんと、そっくりだな。と呟いた声は、ルーヴには聞こえなかっただろう。
ルーヴがあの頃の自分とぴったり重なる。
相変わらずルーヴは顔を上げない。
ルプスはニカッと笑った。語るのはあの時と同じーー
「消えることは、辛いことか?苦しいことか?また新しい魂に変われるなら、その準備みたいなもんだろう。だったら騒いで、お祝いしなくちゃな」
ルーヴはハッとしてやっとその顔を上げる。
そこには、迷いのない、ルプスの笑顔があった。
「頑張れよ、車掌さん」
ルプスはそう言い残すと境界の方へと向かった。
ルーヴはただ、その背中を見つめる。
ただ、愕然と。頭の整理がつかなくて、何を感じているのかわからなくて。
それでも、何かが変わった感じ、胸の奥のわだかまりがスッと溶けていく感覚、その代わりに宿った何か温かいものだけがはっきりと感じられる。
遠のく度にボヤける見慣れたあの背中。
もう二度と見ることは出来ない。
いつもなら苦しいはずなのに、何故か息の詰まるような、胸をえぐられるような感覚はやってこない。
最期、微かに振り返ったルプスが見たのは、深々と礼をするルーヴ。
ルプスからは見えなかったその顔は、涙でぐしゃぐしゃになりながらも確かに笑っていた。
その笑顔には、一点の曇りもなかった。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。またいつか、よろしくお願いいたします。