Episode94 迫る時間
結局、俺は心構えが済む事もないままであった。
しかし既に四限は始まってしまっている。
残り時間が短くなっている事で余計に焦ってきた。
幸いな事に担当の先生が出張とのことで、この時間は自習となっている。
もういっそのこと放課後まで待ってもらおうかな……いや、だめだ。なんだか甘えてる感じしかしないし。
「なな、結局何があったんだよ。お前さっきからずっとぼけーっとしてるじゃないか」
「ちょっと考え事だよ。海斗には関係ないから気にするな」
「ふむ……あれだ。そういう時もあるとは思うが流石に自習課題くらいはやれよ……?」
「あ、ああ。それはそうだな」
なんとこの海斗、勉強に対しては基本真面目である。
普段が飛び抜けたキャラしてるせいで違和感しかない。
……なんて言ったら怒るだろうな。
まあ海斗の言う事を聞くのはなんか嫌だけど、間違ってはないからやむを得ないか。
ほぼ白紙のプリントに向かう。
傍らに教科書を置いて課題をやっつけていくのだが……。
「あ、青葉……?」
青葉がさっきからずっとこちらをちらちらと見ているような気がするのだ。
しかしながら、こちらが青葉の方を向いても目が合うことはない。
やっぱり青葉は朝の時に見ていたのかな。
そうなると行けるかどうかすら怪しいけど。
何かがあると思いがけないほど行動的な面を見せるのが青葉なのだ。
その青葉なら止めてきたりする可能性は十二分にあると言えるだろう。
文面にあった『ずっと、待っています』の文字が俺の頭から離れない。
一体誰なんだろうか?
そもそもこんなもの、初めてもらったからどうしていいのかもさっぱりだった。
「洵さん」
青葉に呼ばれて、俺は一瞬ドキっとしてしまう。
だが、俺の一瞬の焦りはどうやら杞憂のようだった。
「どうやら進んでないようですし……一緒にどうですか?」
「あ、ああ……心配してくれたのか、ありがとな」
「ふふふー、当然です」
青葉はそっと音が立たないように机を動かす。
「おいこら、それなら俺もやるっていうか……あれだよ! 洵のために手伝ってやるとも」
ほぼ音が立っていないはずなのに目ざといなぁ。
海斗は青葉とは対照的に、ガタガタと音を立てながら俺たちと机を合わせた。
なんだか睨まれてる気がするけど俺は悪くないのでいいとしよう。
「さ、やりましょうか」
「これ意外と手間だからやらないと間に合わないぞ?」
「ああ、そうだな」
白紙に近いプリントというのは見るだけでやる気が失せるものだとため息をつきながら、俺は書き始める。
「洵さん、そこはこうですよ」
「あ、ありがとう……」
身を乗り出した青葉からはくすぐるような香りが……って違う違う。
「うおっ……」
今の視線の高さから青葉の方を見ると……その、あれだよ。
ちょうど下着が見えるくらいの絶妙な角度であってだな。つまりはその水色の何かに目が吸いつけられてしまってだな……。
「……だから、ここにある通りに書けばいいんですよ。……え?」
俺はもうそれは垣間見える青葉の下着をまさしくガン見していた。
……で、顔を上げた青葉に気付かれて──
「……洵さん? 今の説明聞いていましたか?」
「……も、もちろんですよ、青葉さん。やだなぁ、あはは」
「じゃあここの答えは?」
「な、なんだったかな? この頃疲れてるのか記憶が曖昧で、あははは」
顔がひきつりそうな中で懸命でかつ無駄なあがきをしてみる。
冷えきった青葉の顔がとにかく怖い。
「……そろそろ白状しないとパラシュートなしスカイダイビングの旅にお連れしますよ」
「すみませんでしたぁ!」
というか死ぬからそれ。
よくて全身複雑骨折とかだろ。
「まったく……不埒な輩はこれだから……」
「お前が言うな!」
「こら、騒がしくするのなら一人でやれー」
思わずツッコミを入れた所で自習監督の先生に怒られてしまった。
「もう! 洵さんなんて知りません。一人でむなしく終わらずに慌てるがいいです」
なんて言い捨てた青葉は机を戻してしまった。
「地味にひどくないか、それ……」
「ざまぁみろー」
「海斗は居てくれるよな」
「何言ってんだよ。もちろん女の子もいないのにやるわけないだろ」
……なんて鮮やかなほどに皮肉な笑みを最後に海斗も自習に戻ってしまった。
しかる後くたばってしまえ。
「はぁ……やるしかないか」
もうあまり時間がないことに気づいたのは、青葉に教えてもらったところをようやく終えた頃だった。
……もちろん、間に合うはずもなかった。
俺は軽い説教をされ、課題を昼中に出すように言われるのだった。
「どんまいっ」
「絶対お前思ってないだろ」
「何故バレたよ」
「いや、普通わかるよ」
などと言い合いながら俺は課題を片付けていた。
内心ではかなり焦っていたりする。
何より手紙を残した相手は今頃向かっているのだから。
「そもそも自習の時間で終わらせなかったお前が悪いっての」
「色々あったんだよ……」
「そうね、言い訳する暇があるくらいなら早く終わらせたらどうかしら?」
「や、弥生……」
海斗がバカにしていた所に食事に誘おうと弥生が来る。
後ろの方に須田もいたりするのはいつもの事だ。
せっかくならここにいる邪魔なやつを片付けてくれてもいいんだぞ?
「まあ洵だから、こんな事があっても変だとは思わないけど」
「ざまぁねえなー」
「とりあえず海斗は黙ってろ!」
「はいはい、じゃあ俺は去るかな。わざわざお前に構ってるほど暇でもないからな」
「ああ。もう来るな」
何というかうるさいしうざい。
海斗は手を振ってたようだが俺は無視する事にした。
「で、いつ終わるの?」
「まだ分からないかな……なんだったら青葉と食べててくれるか? なんだったらティエル……はどこいるかわからないしいいか」
「また勝手に来たりしそうね」
「確かにな」
「まあ、わかったわ。じゃあ私はいつも通りの所にいるから。もし居なかったら部室にいるはずよ。じゃ、青葉行きましょ」
「あ、はーい」
それだけ言うと弥生は煌めくような金髪をなびかせながら、青葉を連れて教室を出て行った。
挙動一つ一つで周囲の注目を集める辺り、流石だと感じる。
一瞬静まり返った教室には再びざわめきが湧き起こり始めた。
そんな中一人むなしく課題をやる俺。
……誰か見かねて手伝うとかないのかな。
辺りをちらちらと見ながら課題を進めてみるが、そんな人は一人もいない。
これが青葉だったら違うんだろうなぁ……なんだか羨ましい。
時計とにらめっこしながら課題を終わらせる。
「はぁ……後はこれを先生に持って行かなきゃ……」
その後には弥生とかの元へ……と考えたところで、俺は少し忘れかけていた事を思い出した。
その前に中庭まで行かないと。
まあ、大体の答えは決まってるんだけど。
俺は課題と弁当を手に、廊下へと繰り出した。