Episode80 宝生美紗
少し陽が傾いてきたようだが、まだまだ外は暑さが残っている。
様々な花々が咲き乱れて、花の香りが舞う神崎邸の中庭を俺と宝生さんはいた。
本当に落ち着いた空間なんだけど、俺は少し混乱している。
「で、結局なんなんだよ」
さっきから紅潮したままの宝生さんは何も言わず、ただただ歩いていた。
俺はそれに遅れないように小走りに追いかけているという状況だ。
「……そうだな」
宝生さんは大きな池の前で立ち止まって、ぽつりと静かにつぶやいた。
いや、池と言うより泉というべきだろうか。
「どうした?」
「いや、そこまで大した話じゃないよ」
「でも、わざわざ連れてきたんだから何かあるんだよな?」
まさか、何もないのにここまで連れてくるなんてのは宝生さんに限ってそれはないだろう。
だからこそ、何かあるのだと思って気になってしまう。
「無理に話す必要はないのだがな。まあせっかくだ……話そうか、ちょっとした過去話を、ね」
「分かった、聞くよ」
「まあ立ち話もあれだから、そこにでも座ろうか」
「そうだな」
すっと置かれていたベンチに腰掛ける。
そして俺も後を追うように座った。
そういえば、前にもこんな事があったよな。
宝生さんは一息つくと、こちらを向いて語り始める。
「まず、私が産まれたのは……今から15年ほど前か。私は紛争地域で産まれたらしくてな。すぐに親とははぐれてしまったようなんだ。そして私はある組織に拾われた。それが、私が育った場所になるな」
少しゆっくりと、じっくりと紡がれていく。
その言葉を俺も少しずつ、噛み砕いていく。
「それから、どうなったんだ?」
俺が予想しているよりも過酷なものだとは、内心分かっていた。
でも、話してくれたのだから……ちゃんと聞き遂げたいのだ。
驚いたのか、一瞬目を丸くした宝生さんは続けた。
「それから、私はそこで兵士として育てられた。武器の使い方や知識、立ち回り方……でもそれだけじゃない。私にかかりつけで一般的な教養を教えてくれた人がいる。その人は日本人で……私に様々な国の言葉を教えてくれたりした。あまり必要ではないだろう日本語は、私から頼んで教えてもらったものだ。それに、宝生美紗……この名は、あの人から授かったものなんだ」
どこか遠くを見つめるような目をした宝生さんの瞳はわずかに潤んでいた。
きっと、俺たちが過ごしてきた十五年間と宝生さんの十五年間は遥かに違うんだと思う。
「その人は……どうなったんだ?」
ああ、何聞いてるんだろうな、俺は。
なんて思った時にはもう遅かった。
「もう、いない……あの人は…………もう」
震えた声で言いながら、宝生さんは俯いてしまった。
……俺の馬鹿、何をしてるんだよ。
「あ、ああ……その、悪い……本当にごめん」
申し訳なくなった俺は頭を下げた。
これで許してくれとは言わないけども。
「いや、構わない……もう、とっくに過ぎたことだからな。顔を上げていい、というより上げてくれるか」
「わ、分かった……」
俺は恐る恐る顔を上げると、澄ました顔の宝生さんがいた。
さっきの宝生さんはもうどこかに消えてしまったかのような感じがする。
「さて、続きを話そうか。兵士として育てられた私は主に工作員をしていたんだ。その中にもちろん暗殺もあった。いや、むしろ暗殺が多かったな……あそこは次から次へと問題を起こしていたから、その度に私が動いていたんだっけな……」
懐かしむようにそう語る宝生さんの口が止まる。
やっぱり、宝生さんが過ごしてきた日々は俺が思っていたよりもずっと重たいようだ。
なんでこうも俺の身の回りにはこういう人がいるのだろうか。嫌ではないけど、どこか複雑である。
「まあそれで……今回、日本に来ていたんだ。予想外の形に転がったのだが……さあ、ここからが本題だ」
急にかしこまった宝生さんの赤い眼差しが俺を射抜いているようだった。
代わって俺は突然の事態にぽかんとしていたりする。
間抜けだなぁ。
「な、なんだ?」
「今回の件で……おそらく、奴等は私を狙ってくると思うんだ。私は内情をいくらでも知っているし、泳がせておくはずがない」
「ちょっと待った、どういう事だ?」
少し話が掴めない。
いや、俺の判断力とかがきっと今おかしいんだろうな。
「だから、私が暗殺をやめてこちらへ逃げた事にだ。口封じ……つまり、私の命を狙ってくるに違いない」
「は、はぁ!?」
なにこれ、一難去ってまた一難かよ!
至って冷静な宝生さんはこちらをじっと見据えたままだ。
静かな時が流れていく。
先程よりも日が傾いてきたのか、眩しい閃光のような光が差し込んでくる。
光に思わずハッとした俺はちょっと落ち着いてきたようだ。
「どうするんだ……?」
「まだ所在は割れていないはずだが……近々ここから離れようと思っている」
落ち着き払った宝生さんは淡々と告げていく。
「待ってくれ、それからどうするんだよ」
「……いずれ所在など分かるんだ。投降するに決まっている」
「投降したらどうなるんだ」
「…………然るべき処置を取られるだけだ」
あくまで冷静な宝生さんだが、目を合わせようとはしてくれない。
これが意味する事は、つまり……
「つまり……殺される、わけか」
時間が凍るように固まった気がした。
何の音もならない静まった空間に、無機質な時間の流れが過ぎ去っていく。
やがて、宝生さんはそっと口を割った。
「ふ……そうだ。これまでにたくさんの人を死にいたらしめた私が、処罰されるだけの事。全く持って普通じゃないか、法律の思考そのものだろう?」
「……それは、そうだけど……宝生さんは今から変わろうとしてるんじゃないのか?」
ハハ、と乾いた笑いをしてみせる宝生さん。
「今更遅いんだ。私はそういう星の下に産まれたんだよ。平和な世界を夢見る人とはかけ離れた、な」
そう、手をヒラヒラと振って宝生さんは立ち去ろうとする。
しかし、気付いた時には俺が宝生さんの腕を掴んでいた。
「まだ決めるのは早いだろ……人はいつだって変わるチャンスがあると思うんだよ」
「なら、ここで私を止めてみるんだな」
俺の腕を振り払った宝生さんは身構え、俺も同じように身構えた。
しかし俺に勝ち目はないだろう。止められやしない。口だけ達者でも、体はついてきてはくれない。
俺が諦めるしかないのかと思った時――
「二人とも遅いわ、いつまでいるのよ……」
俺たちの元に、普段着らしい格好の弥生が現れた。
「何かあったのかと思って心配したわ。そろそろ戻りましょ」
「了解した」
「あ、ああ」
弥生が先導して歩いていく、その後ろで俺と宝生さんは横に並んでいた。
「お預けだな……いずれ決着をつけようか」
「それまでは行くなよ」
「結果は見えているというのにな……まあいい、分かった」
「二人ともどうしたのよ?」
俺たちがひそひそ話をしていたのが気になったのか、弥生は立ち止まってこちらをじっと見つめている。
それに、少し不満そうに見えるのは何なのだろう。
「別になんでもないよ」
「そう……ほら、早く行くわよ、洵!」
弥生が俺の手を引いて歩き始める。
「おま、急に引っ張るなよ!」
俺はリードに繋がれた飼い犬のように弥生に引っ張られていく。
後ろからは失笑する宝生さんが見えて、俺はなんだか恥ずかしくなってしまうのだった。
だいぶ遅れたものとなってしまいました。
私自身の怠惰の表れとも言えますね……
さてさて、今度もできるだけ更新しようとは思っております。
応援してくださったら嬉しいですが……そんな事言う暇あるなら書かないといけませんね。




