Episode70 夜のイベントと言えば……?
俺たちは月に照らされていながらも深い闇が辺りを包み込んでいる山のふもとにいた。
何故こうなっているかというと、俺がすっかり忘れていた今回の旅行の一大イベント、肝試しをするためだった。
食事中にくじ引きで決めたペアでひっそりと佇む小さな社にお供え物を置いてくる、という内容だ。
そのペアは俺と青葉、海斗と優姫さん、弥生と須田の三ペアで宝生さんと菊池さんは待っているとのこと。
順番は弥生と須田が最初で、その次に俺と青葉が行って、最後に海斗と優姫さんが行くという形だ。
完全にこの事を忘れていた俺は弥生に軽く怒られてしまったのだが……正直、そんな事よりもっと重大な問題がある。
それは俺のペアが青葉ということだ。
おかしい。
まさか、今の状況で青葉とペアになってしまうなんて。
どうしていいか分からないし、いろんな意味で怖い。
「須田、行くわよ」
「え、ええ……参りましょうか」
まずは弥生と須田が木々が生い茂った闇の中へと消えていく。
俺の隣には青葉がいて……もちろん上手く話しかけられるわけもなくてどきまぎとしてしまう。
「よ、よろしくな」
「はい! 楽しみです!」
満面の笑みで青葉が返してくれる。
相手はそうは思ってないかもしれないが、俺からすると気まずい事この上ない。
返事を保留してしまった故に、どうしていいのか、どう接すればいいのかが分からないのだ。
何よりも目が合うと恥ずかしくなってくる。
「さて、そろそろ大丈夫じゃないですかね。もうだいぶ進んだ頃でしょうし、行ってくださって構いませんよ」
そう言って菊池さんはお供え物が入ったカゴを渡してくれる。
どうやら果物などが入っているようで、木々の香りに混じって甘い香りが鼻をくすぐってくる。
「じゃあ行きましょうか、洵さん」
「お、おう……」
俺は笑顔を湛えた青葉に促されて目の前に立ちふさがる壁のような闇へと歩き出す。
そっと俺の左手に青葉の柔らかい、奥から温かさを感じる手が重ねられて、一瞬びくっとしてしまった。
「あっ……ごめんなさい、嫌でしたか?」
慌てて手を引っ込めた青葉の表情はとても哀しそうに見えた。
だから卑怯だって、もう。
「嫌じゃないよ、行こうか」
俺はそう言って引っ込めてしまった青葉の手をぎゅっと握ると、青葉も握り返した。
暗くてよくは見えないが、青葉はそんな闇にも負けじとまばゆい微笑みを俺に見せてくれた。
「はい、ありがとうございます……」
俺たちは手をつないだまま闇の中を進んでいく。
話によるとこの道をひたすらまっすぐ行けば着くとの事で、着いたら後は帰りの道を記してあるというらしい。
だからその点に関しては問題はないとか。どうやら方向音痴っぽい俺には助かる。
まあいざとなれば青葉に飛んでもらえば……だから他力本願だって。
……しかし暗い。
そりゃ夜なんだからもちろんとはいえ、来たこともない森の中を夜に歩くというのは思ってた以上に緊張する。
「ひゃっ!?」
突然、ガサガサと草の茂みが揺れた。
それに思わず驚いたのか、青葉はとっさに俺の腕にぎゅうっと体を寄せる。
柔らかな肌の感触と良い香りがより一層感じられて、俺はドキドキしてしまう。
別に怖くなんてない、ただ青葉がぁぁぁ。
「青葉、大丈夫か?」
「はい、もう大丈夫です」
気にしないでください、とはにかんで青葉は言った。
真面目だよな、それでさらにこんなに良い子で……そんな彼女が、俺の事を好きだなんてありえない気がするんだが。
自分の気持ちは……結局どうなんだろうか。
好きか嫌いかと聞かれれば好きの一択だ。
でも、付き合うとしたら?
……想像がつかない。
それに、俺と並ぶとしたら高嶺の花すぎると思うんだよな。弥生の方が更にだけど。
「洵さん?」
「うおおわああ!?」
俺が考え事に耽りながら歩いているうちにいつの間にか青葉の顔が目の前にあって、俺は動揺して声を上げてしまった。
そりゃそうだろ、だって吐息すらかかりそうな距離なんだ、驚かない方がおかしい。
「ごめん、少しボーっとしてた」
「洵さん」
「何?」
さっきまでの雰囲気とは違う青葉が目の前にいた。
この雰囲気は……前に告白した時の物に近い。
「すみません、急がなくていいと言ったのですが……やっぱり、気になるんです。答えて、くれますか?」
いつになく真剣な面持ちの青葉が俺をじっと見つめている。
だいぶこの暗さにも慣れてきて、さっきよりは見えるようになっていた。
青葉は口を結って、答えを待っているようだった。
「俺は、青葉の事が好きと言えば好きだけど……これは恋愛的なものじゃないんだ。なんというか、友達としてなんだ。だからまだ……青葉とは付き合えない、本当にごめんなさい」
俺はゆっくりと、青葉に一字一句きちんと伝わるように話した。
これが、俺の答えだ。今の俺が出せる、最善の答えだと俺は思っている。
生半可な気持ちで決める訳にもいかないし、弥生との今の関係もある。
だから、これで……いいはずなんだ。
「そう、ですか……」
青葉が今にも泣き崩れそうな目でこちらを見ていた。
そんな姿を見た俺は胸が打たれてしまうのはもちろん、今すぐにでも抱きしめたくなった。
「すみません……少しだけ、ほんの数分だけ、胸をお借りしていいですか?」
「ああ」
声が震えながらも紡いだ青葉の願いを、断れるはずもなかった。
やっぱり、傷つけないのは無理だったみたいだ。でも自分の気持ちをいい加減にはしたくなかった。
だから、今の少しの間くらいは、なんでも聞いてあげたい。
俺の胸に置かれたおかっぱ頭をそっと撫でる。
ついに我慢できなくてこぼれ出る涙と喘ぐような声が、夜の森の闇の中に吸い込まれていくようだった。
それから三分くらい経っただろうか、不意に青葉が顔を上げた。
「もう大丈夫です、ご迷惑をおかけしました」
「いや、構わないけど……少し急ごうか。後ろがそろそろ来ると思うからさ」
「そうですね、急ぎましょうか」
涙を手で拭って、顔がくしゃくしゃになっても相変わらずの笑顔で接してくれる青葉の優しさが、俺の胸に深く突き刺さる。
こんなに良い子なのに、なんだか悪い事をしたような気分さえした。
「もう一つお願いいいですか?」
「何かな?」
歩き出したところで、青葉が声をかけてきた。
「もう一度、手を握ってくれませんか? 今だけで構いませんから」
涙に濡れた瞳が俺を見据えていた。
もちろん、断るわけがない。
「分かったよ」
俺は青葉の手を取って、少し強めにぎゅっと握った。柔らかくて少し温かい手が俺と同じようにぎゅっと握り返してくる。
「ありがとうございます、優しいんですね」
「いや、全然だよ……って、行こうか」
「そうですね」
俺たちは並んで少し駆け足に進み始める。
と、急に青葉が立ち止まって俺の方を向いた。
「どうした?」
「いや、一つだけ……私は、まだ諦めてませんからね。まだって言ってたのですから……チャンスはあるんだと信じてますから」
「えっ!?」
あまりに突然な宣言に俺はびっくりして立ち尽くしてしまった。
そんな俺を意に介さず、青葉は俺の手を引いていく。
「ほら、遅れちゃいますよ! 行きましょ、洵さん!」
「青葉、少し待て、それは急ぎ過ぎだって!」
俺たちはもうすぐ着くであろう社へと走って行ったのだった。