Episode58 軽井沢の朝に
またも急展開。
朝。軽井沢の朝というのは妙に清々しい。
風がとにかく心地よくて日差しも都会とかに比べればかなり優しいのだ。
さすがは避暑地、といったところだろうか。
……そして、その気持ちよさが敗因である。
「……もっと早く起きなさいよ」
なんだか少し目元が膨らみをおびているような気がする弥生が部屋にいる。
……察してくれただろうか。
俺は早寝早起き朝ごはん、のスローガンの元、無事に早寝というステップを踏んだ。
そして一番の問題と言える早起き。
……早起きに慣れていない俺には向いていなかった、という言い訳をしておく。
その結果がこのザマであり、着替えはすぐに済ませたから良かったものの、まだ身支度なんて出来ているわけが無かった。
むしろ何故昨日の事態があったのにこんなピンピンしてるんですか、このお嬢様は!
「ほら、洵も関係あるんだから……早くしなさい」
「分かってるって、後は歯磨きするだけだから待ってくれよ」
ちなみに時刻は六時半。元の予定ならばゆうに一時間はある。
何故急いでいるかというと、昨日の事だ。
弥生を狙った少女、宝生美紗。
この前出会ったあの人に違いないだろう。
まあなんだか怖い雰囲気はあったが、まさかだった。
菊池さんは遅れて昨晩到着、メンバーが揃った事や菊池さんがある程度調べをつけているという事もあり、朝に一度話すことにしたのだ。
そう思って早く寝た結果がこれだよ。
「はぁ……二人はもうずっと待ってるわよ。あたしもだけど」
俺は歯磨きを高速で済ませて片付け、弥生の元へ向かう。
「ほら、行くわよ」
「どこにだ?」
「須田と菊池の部屋よ」
なるほど……って、あの人形は無事なのだろうか。バレてなきゃいいけど、菊池さんが見つけていそう。
不意に弥生が立ち止まり、俺の方を向いた。
そして口を開いて紡いだ言葉は、寝ぼけている俺の目を覚ます。
「洵、あたしの事……好きかしら?」
とても真剣な瞳で俺を食い入るように見つめている。
俺はというと投げかけられた言葉の意味を把握するのに頭がフル回転を起こして、どうやらショートしてしまっているようだ。
「や、弥生!?」
やっと意味を理解していき、どんどん恥ずかしくなってくる。
「そ……それはだなっ!」
「バカ、恋人の役として聞いただけよ」
あれ、そうなんだ……って、良く考えたらそうだよな。
勘違いにもほどがあるってのに、寝ぼけているのかな、まだ。
少しホッとして胸をなで下ろす。
なんだか弥生が不機嫌に見えたのは俺だけだろうか?
何はともあれ、二人の部屋に着く。
トビラをノックして、部屋の中へと入り、中を見てみると、昨日置いてあった人形は忽然と姿を消している。まあそりゃあれをいつまでも残すわけには行かないか。
「……おはよう」
「遅い、私たちがどれだけ待っていたか」
「まあまあ、人間が睡魔に勝つのは困難ですから」
須田が突っかかってくる所を柔軟に受け止める姿は、まるでクッションのような感じすらしてくる。
なんとなく直感で、すごい人、というイメージが付いてきた。
「さて、昨日の事について……」
「では、私が事前に調べた事をまず……」
菊池さんの話をまとめると、ある企業の裏で闇取引などをしている犯罪グループがあり、その存在を知った高成さんはすぐに関係を断ち切ったという。
そして一番の供給源だった所に打ち切られてしまいマジギレ、しまいには近々刺客をこちらへ寄越すと言う話があったという。
そして、彼女の存在。
宝生美紗、17歳、日本人とフランス人とのハーフで、彼女は幼き頃にお金に困った両親に子供の兵士として引き取られて育てられたという。
その結果、めきめきと才能を見せた彼女はその腕から『フィーユ・アンサングランテ 』という、和訳すると血塗られた少女という異名を持つらしい。
異名に違わぬ実力を持っていて、彼女に狙われて助かった者は一人としていないらしく、ターゲットだけを仕留める事からスナイパーなどとも呼ばれるという。
「……よく無事だったな」
「……ええ、ほんとに」
正直笑っていられるほど軽いお話ではない。
とりあえずこの人が化物だということは分かった。
「問題はどうするか、だ」
「そうです。相手が相当な手練となると……むやみな外出は厳しいですね」
現実を目の当たりにして……今回の計画が崩れていく事だけは理解をした。
予想外の状況になってしまった……というか世界的な殺し屋に狙われるとか意味が分からない。
「こうなると軽井沢は中止か……」
「洵は、それでもいいの?」
押し殺したような声で、弥生がそっと呟く。
「弥生が危ないんだから、そんな事言ってられないだろ」
「洵様の言う通りです、お嬢様」
「もしもお嬢様に何かがあったら……困りますから……」
三対一、言うまでもなくここは大事を取るべきだろう。
「あたしは……大丈夫だから…………大丈夫なんだから……っ!」
弥生が俯いたまま、駆けて部屋を出ていく。
「や、弥生! 待てっ!」
俺は即座に弥生の後を追いかけていく。
止めないと……次こそ……大変な事になってしまう。それだけは、避けないと!
俺はひたすら走って弥生を追いかける。
長い廊下のおかげで、弥生の後ろ姿がまだ見えている。
きっと、弥生よりは足が速いはずだから……全力で行けば追いつくはずだ。
広い階段を一段ずつ、カタカタカタと降りていく。
弥生は外へ向かっているようで、差し込んでくる朝日に照らされた金髪が光を放ちながら道を作っていた。
「弥生! 危ないから待てって!」
俺の声が届いているのかはわからない。仮に届いていても、止まるとは思えないが。
俺はひたすら弥生に追いつこうと外へ出た。
弥生はまだ少し先にいるようで、森の中へと向かっている。
……それこそ危ないじゃないか!
「……後で説教だな。とりあえず追いかけないと」
ふっ、と息を吐いて、俺は全速力で駆け出した。
弥生がどこかへ行ってしまう前に俺が、止めないといけないのだから。
◆
「……若いっていいですね」
「……あなたも若いでしょうに」
窓際で、外へと駆けていく二人を見つめている須田と菊池。
洵が駆け出した後、すかさず須田も追いかけようとしたのだが菊池に「あなたまで行ったら余計にややこしくなるわ」、と諭されて少し落ちつきを取り戻していた。
それでも、心配なものは心配であり、やはり追いかけたい気持ちでいっぱいだった。
「……洵様なら大丈夫ですわ。だって、お嬢様が選んだ殿方なのですからね」
「そうは言ってもだな……」
「ふふ、祐佳は本当にお嬢様が好きね」
「な、なぁ!?」
つい、須田の顔が赤くなってしまう。
それを見て微笑む菊池は、獲物を逃さないような気配でこう言ったのだった。
「ところで……あなたが壊したものを直さないといけないわね。私も手伝うわ」
「……な、何故その事を!?」
須田は驚き、戸惑いが隠せずに慌てふためく。
言ったつもりはないのに、いつの間に――
「私はここをほぼ理解しているわ。それに、この部屋はお気に入り。家具一つ間違えはしないのよ」
そう、菊池は紛れもなく天才の部類の人間なのだ。いつもあらゆる面で才能を発揮するのだが、記憶力は特にずば抜けた物があることを須田は痛いほど知っている。
その菊池にかかれば、部屋の家具一つが無いくらいは余裕で分かる。
今思えば失敗だったと思うのも束の間。
「さ、お嬢様は様子見と連絡で……祐佳は、今から修復ね」
「……やります、やりますからっ!」
やはりこの人には勝てないな。
そう心の中で思って、須田はそっとため息をつくのだった。
お読みくださり、ありがとうございました。
なんだかドタバタしてます。
なかなか油断ならない状況、書く私も油断なりません……。
次回も読んでいただけたら光栄でございます。