Episode31 弥生が下す、決断
お待たせしました、話が動きます!
やっと、ですね。
だらだらと書いてしまうのですよね……申し訳ない。
須田に連絡を入れると、須田は驚いた様子だったが『かしこまりました、すぐ車を手配します』と迎えに来てくれるようだ。
神崎弥生は荷物を片して、リビングで絢に数日間お世話になったお礼をしていた。
「本当にありがとうございました。すみません、迷惑をかけてしまって」
「いいのいいの! それより、帰っちゃうのね……。あ、また来てくれるかしら?」
「え、ええ……また、機会があれば」
機会があれば。きっとそんな機会はもうない。
「洵ったら……帰ってきたと思えば浮かない顔して部屋に閉じこもってるし……弥生ちゃんの風邪でもうつったのかしら?」
「……かもしれませんね。すみません、あたしの責任です。……洵には謝っておいてください」
その無垢な笑顔と悪意のない言葉が、弥生の心中を深く突き刺す。
もう、この家に来る事はないだろう。
この家と弥生を繋いでいた洵とはもう“恋人”の関係ではなく、ただの“友達”なのだ。
同時にこんなに温かい人と会うこともほぼなくなってしまうだろう。
そう思うと、哀しみが胸の中に波紋を広げていくようだった。
洵が弥生の元へ現れないのは本当は分かっている。咄嗟に乗っかる形でついた嘘だとしても、弥生の責任である事には間違いはなかった。
唐突に恋人になれと言ったくせに、もう終わり、だなんて突き放してしまった自分が恨めしい。
洵と今の関係にしたのは、そんな自分への戒めであり、もう一つは――
ブブブ、とスマホのバイブ音が耳をくすぐる。
どうやら迎えが来たようだ。
「迎えが来ました。それでは……ありがとうございました、絢さん」
溢れそうになる涙を必死に零すまいと目に溜めて、弥生は自分に出来る精一杯の笑みでお礼を言って、リビングを後にして玄関へ向かう。
本当は泣き出してしまいたかった。絢の胸で、泣きたかった。
でも、それは甘えでしかなくて……洵を結果的に弄んでしまった自分に許されるような事ではないと思ったのだ。
玄関を抜けると、須田が微笑んで待っていてくれた。
帰りの車の中、弥生の涙目の理由には触れず、そっと背中を撫でてくれた須田の優しさがとても身にしみた。
「……須田」
「なんでしょう、お嬢様」
「この間は……悪かったわね。ごめんなさい」
「いえ……私も、お嬢様に謝らなくてはいけません……許してくれとは言いませんが」
須田の意味深な言葉に、弥生は首を傾げた。
それから、屋敷へ向かう車内で須田の謝罪を聞いた弥生はやっと父があんなことを言っていた理由が分かったのだった。
◆
弥生が家から出ている頃。俺、小波洵は魂が抜けているような心地だった。
今でも、あの言葉が頭の中を繰り返している。
――恋人の役はおしまいよ。
……それまで浮かれていた自分が馬鹿馬鹿しい。思えば期日も決まってない、そんないい加減なものだった。いつかはこうなるとは心では思っていたけど、予想以上に早く訪れてしまったようだ。
ほんの、一週間ちょっと。あまりに短かったけど、とても充実していたといえる。
しかし、これで、いいのだろうか。
俺は弥生と弥生の親御さんとの話に首を突っ込んでいるのが現状。
確かに、弥生が俺から引けば解決するのかもしれないが……腑に落ちない。
このままでは弥生が望まないものを受け入れてしまうのではないだろうか。どうかは分からないとはいえ、不安だった。それでは弥生の主張は切り捨てられる……そうなってしまうのでは?
関わっているため、気になって仕方がない。
でも、ああやって友達という関係になった俺と弥生。きっと、これまでのような事はもう無いんだろう。
お互いの名前を呼びあった時に触れた弥生の手の感触が今もこべりつくように残っている。
これで、いいのだろうか。
もう一度、自分に問いかけてみる。
答えは、返ってこない。分からないからだ。
俺は、眠れる気がしなくて、海斗からもらったゲームを始めるのだった。
◆
とてつもなく大きく豪華な屋敷の広間。
神崎弥生は父親、神崎高成と向かい合って食事をしていた。
人が何百人入れるかもわからないくらい大きな広間には、なんともいえない空気が漂っている。
帰ってきた弥生を高成は「おかえり」とだけ言って迎えた。弥生もまた「ただいま」とだけ返したのだった。
この険悪な雰囲気の広間で須田とメイドの菊池は二人を遠くから見守っていた。
「……大丈夫なのでしょうか」
「それは分かりませんね。当人の問題ですから……」
焦っていて不安な面持ちの須田とは異なり、菊池は平然としているようだった。
どこからこの余裕が生まれるのかが不思議である。
ちなみに、菊池は須田と似ていて高成に拾われた子供なのだとか。
菊池がいた孤児院が閉鎖する事になり、菊池と数名だけが誰にも預かられず、困っていた時に突然、高成の元へ連れていかれ……今に至る。
須田からすると姉のような存在の彼女には信頼と尊敬ばかり。菊池はとても優秀で今ではメイド長の立場にいるとかいうほどだ。
静かに、そして優雅に食事を召し上がる二人は流石お嬢様とグループの会長、と言ったところだ。
むしろ静か過ぎて怖い、そう思うくらいだ。
「ねぇ……パパ?」
「どうした?」
そんな静寂を弥生がそっと破る。
「あたし……今回の事で分かったのよ。あたしはとても未熟で、一人じゃ何もできやしない、迷惑をかけてばかりだって。だから……あたし……」
淡々と言葉を紡いでいた弥生は、しばし俯いて言い淀む。
不気味にも感じれるほど強ばったような空気が広間全体に広がる。
高成は何も言わず、ただ弥生を見つめていた。
弥生はゆっくりと顔を上げ、高成を見つめ返す。
「パパ……ごめんなさい。あたし……寮で住みたい」
「なっ……!?」
つい、驚きで須田が声を上げてしまう。
「……何故だ?」
高成は表情を微塵とも変えない。
弥生は息を一度吐いてから、続けた。
「言った通りよ。あたしは、あまりに無力だと分かったの。迷惑をかけてばかり。それが嫌だから……寮で住みたい。パパに至れり尽くせりされなくても、一人で胸を張れるようになりたいの」
弥生の瞳には、とても強い覚悟が宿っていた。
これは、洵の家で考えついた事。
「……ダメだ。別に寮で住む意味はないだろう?」
「我儘なのは分かってる。それでも、今のままは嫌なの」
「なら……縁談を呑むのなら、許そう」
「っ!」
弥生は虚をつかれたようにビクっとする。
出された予想外の条件は、とても弥生には受け入れ難いものだった。
「……ご馳走様っ!」
弥生は逃げるように広間を走り抜けて行った。
そう簡単に事は運びそうにはないのだった。
◆
繁華街の近くにある住宅街を抜けて、もう少し行くと高所得層向けの住宅街がある。
そんな街の一角にある山吹家。近頃引っ越してきた新築の家は鮮やかなオレンジ色の壁が何より目立っていた。
山吹家の客間にて、ティエルこと山吹彩楓と双子の弟の玲音、それから数名の女子で本日の成功を祝っていた。
「みなさん、お疲れ様ですわ。……お好きなだけ召し上がるといいですわ」
大きめなテーブルには色とりどりのスイーツが並んでいる。ザッハトルテやシフォンケーキ、モンブランやレアチーズケーキ、それに王道のショートケーキなど……たくさんのケーキがずらりと整列している。
今日のライブで演奏をしてくれたメンバーの女子三人はケーキを前にしてきゃあきゃあと歓声をあげている。
「姉さん……この量、絶対余るよね」
「食べれるだけはわたくしもいただきますわよ。余った分は玲音が片付けるのですよね?」
有無を言わさない質問。今日何度目かわからないため息をつく。
「はいはい……食べますから」
玲音にとって、ライブ自体よりも一番大変なのはこのスイーツパーティーなのだ。
大量に取り揃えられたケーキは女子四人では食べきれず、毎度のように残ったケーキを片付けていく役割にあった。これがまた大変なのだった。この姉は後先を考えていなさすぎる。
そもそもこのライブ自体も急に始めたのだ。少しずつ客が増えつつあるのは嬉しいが、毎度こうなるのではこちらが持たない。
また、はぁ……とため息をしてしまう。
「どうしたの、玲音?」
「ああっっ! 抜け駆けはダメ! 玲音様は私を見てくれればいいのです!」
などと喚いていてうるさい事この上ない。
「あーん」
「あ、あーん」
急に差し出されたケーキを食べろ、という重圧に圧されて食べる。
しまった、とは内心思ってはいたが遅かった。
「ああああああっっ! 許せませんわ!」
「ああー、もう……こんな事してるから先越されちゃったじゃん。ほら、私のも食べて♪」
「ばっ……私のも食べてくださいませ、玲音様!」
「……あーん」
次々と差し出されるケーキを乗せたフォーク。
どうせこうなるとは分かっていたとはいえ、ため息が出る。
「玲音……なんだか大変そうですわね。少し同情しますわ」
「はは……ありがとう、姉さん……」
やれやれ……と、玲音はまた、大きくため息をつくのだった。
お読みくださり、誠にありがとうございます。
弥生が下した決断。
しかし、受けいれるにはあまりに難しい条件が課せられてしまう……これから、どうなるのでしょう。
プロットはあるのですが、だいぶ変わってしまいがちなので自分自身楽しみでもあります。
次回も読んでいただけたら幸いでございます。