Episode29 看病
弥生ちゃん可愛い。なんて。
弥生が目を覚ますと、洵が目の前にいた。
「ま、洵!?」
慌てふためいて、とりあえず布団にこもる。
「弥生、大丈夫か?」
驚いたのだろうか。
……まあ、もう少し待つか。
「ごめんな。昨日から少しおかしかったんだよな……悪い、気付けなくて。弥生のために……って思って自分なりに動いてたんだけどさ。全然、分かってなかったみたいなんだよな……ほんと俺は女の子に慣れてなくてさ。弥生、顔を見せてくれなくても、そばにいるからさ。早く治してくれよな……あと、お粥あるから。食べたくなったら言ってくれ」
それだけ伝えて、俺はぐっと息を呑んだ。
そう、青葉に頼まれた事。
『弥生さんは、寂しいんです……ですから、傍にいてあげてください。お願いしますね』
それから青葉はお粥を作って、帰っていった。
青葉が作ったお粥はさぞ美味しいのだろう。食べたいけど……弥生を思って作ったものなのだ。
俺が食べていいものではない。
食べるのは、弥生だ。
俺は布団に閉じこもったままの弥生をじっとみつめていた。
◆
それから、だいぶ時間が経っただろうか。
布団がもぞもぞと動いている。そして布団からまばゆい金髪が見えて、弥生が顔を覗かせた。
「……お腹がすいたわ」
あくまで、いつも通りに。
昨日のような弱い自分じゃなくて、気丈な振る舞いをするいつもの自分という仮面をつけて。
「そうか。青葉の作ってくれたお粥、食べるか?」
「ええ……早く持ってきて」
素っ気ないような、いつもの態度。
感情が上手く伝えられない弥生の、精一杯の強がりだった。
洵は部屋を出ていく。
……さっきの言葉も、全て聞いていた。
返事ができなかったのは……恥ずかしくて、嬉しくて。
だから、つい布団という殻にこもっていた。
どうにか顔を出せただけでも自身を褒めたい。
そういえば熱は下がったのだろうか、体の怠さは随分と収まっていて、体はだいぶ軽くなっていた。
これもきっと絢の献身的な看病のおかげだ。今はいないので、せめて心の中でと、感謝をする。
……また、迷惑をかけたのよね。
絢は職場が忙しいのも承知の上で看病してくれた。そして、洵にもこうして迷惑をかけている。つくづく自己嫌悪に浸ってしまいそうだ。
昔はこう思うような事はなかったのに。
……今、私は変わっているのかしら?
自らの決断をするような事もなくて、為すがままになっていた、あの頃とは違う。
確かな、意志を……持っている。
今のこの状況は一言で言えばきっと、反抗期なのだろう。
一つの失敗、それは他人を巻き込んでしまった事。
あくまで弥生自身の問題。
なのに、洵を利用していた自分が情けない。
でも……分かってしまったのだ。
弥生が一人ではまともに何も出来ない事を。
今の問題も、弥生だけでは解決できない。きっと、また同じようになってしまう。洵なら……答えを導けるのだろうか。
いけないのに、何故か期待をしてしまっている自分がいた。
「弥生、お粥持ってきたから。食べてくれ」
「ええ、ありがと」
洵がお粥を持ってきてくれた。
お椀からは湯気が立ち上っていて熱いのが言わなくても伝わってきた。
お椀を洵から受け取って……食べようと思った。
「ねえ」
「なんだ? 味ならきっと美味しいからさ。心配は無用だよ」
「そうじゃないの」
「じゃあ、なんだ?もしかして具合悪いのか?」
洵の優しさがとても身にしみる。
それだけでも、十分に思えた。
でも……今は……ほんの少しだけ、甘えたい。
「あの、ね……一つ、いい?」
◆
とてつもなく大きな屋敷の一室で、ため息をつく。
一部分さえ除けば女の子な須田は部屋に閉じこもって悔やんでいた。
洵から「弥生が熱を出して寝込んでいる」という知らせを聞いて落ち着けない状況にいた。
とても心配でたまらないが、昨日の事を思い出すと会う勇気も湧かない。
あの後、言い過ぎたと弥生が言っていた、とは聞いたが……どんな顔で会えばいいのかが分からないのだ。
それでも、心配なものは心配で。
だから洵に容態は大丈夫か、とか聞いてみると『だいぶ良くなったみたいだよ。ありがとな』と返ってきて……安心はしながらも、完全とは言えず。どこか不安だった。
ふと、この前買った服が入っている袋を見つめる。
なんだか、まるで昨日は自分が浮かれていたような気がして、あの袋はそのままにしてあった。
罪滅ぼしでもなんでもない。ただの自分自身への戒め。
窓際まで歩いて、はぁ……とため息をこぼす。
自らを責めても仕方ないのは分かっていても、簡単には止められない。
ただ、あの男ならどうなのだろうか。
小波洵。最初は冴えないただのしがないやつに過ぎないかと思っていたが……どうやら少し違うようだった。
なんとなく、弥生が選んだのも分かる気がする。
何も出来ない須田は、重たい気持ちを背に日課であるトレーニングをするため、別室のトレーニングルームへと向かうのだった。
◆
戻って、洵の家。
俺は弥生の看病を母さんからバトンタッチをされて今に至る……のだが。
とてつもない緊張とドキドキが襲っていた。
「や、弥生……あ、あーん」
「はむ……ん」
今、俺は弥生にお粥を食べさせているのだ。
別に弥生が動けないとかそういうわけでは一切無い。
さっき、弥生に「あの、ね……一つ、いい? お粥……食べさせてくれる?」と頼まれてしまったのだ。
そんな頼みを俺が断れるはずもなく「あーん」をしているというわけだ。
いや、もちろん嬉しい。そして恥ずかしい。
というか何でこうなった。
「ほら、次な……あーん」
「あーん、んむ」
もぐもぐと咀嚼している弥生はどういうつもりなのだろうか。
俺はあまりにドキドキして仕方がなかった。
なんというか夢みたいなシチュエーション。ありがとうございます。
「はい、次……」
「ん……まだ」
「そうか、悪い……」
なんだろう、この雰囲気は。
確かに恋人らしいのかもしれない。
「もういいか。ほら……あーん」
「ええ、あーん」
ああああ。なんだこれ。ハイになってきそうだ。
幸せ値というものがあるのならば飛び越えているぞ、今頃。
「ほら、後一口。…………あーん」
「あーん、あむ」
遂に最後の一口を弥生が口にする。
やり遂げた。やり遂げたぞ、俺は!
うーん……終わるとそれはそれで寂しいな。
「ありがと……それで、これはどうするのかしら?」
「ん? あ……」
余韻に浸っていた俺に弥生が声をかける。
言われて見てみれば、皿に盛られたプリンが置き去りにされていて、ものの見事にプリンは乾燥を始めていた。
巷では干しプリンなんてのがあるらしいが、せっかくのなめらかなプリンを干すなんて許せない。
「ええっと……食べる?」
「お粥でもう十分だわ……」
「そうか。じゃあ俺が食べるよ」
「……それなら、してもらったお返しをするわ」
「……は?」
ええっと?
待て。冗談だろ。
俺をおちょくって遊んでいるんだろ?
いや、でもなんだかさっきの感じなら有り得るか。
よっしゃ、こい!
可愛い彼女にしてもらう「あーん」、これに越したものはないと言えよう!
「あ、ああ……頼んだ」
「ええ……あーん」
差し出されるスプーンに乗るプリン。
いや、本題はそこではない。食べさせてもらえるか、これだよ。
俺は口をあけて差し出されるプリンに食らいつこうとする。
「あーん……んあ!?」
が、虚しく空気をいただいただけだった。
「ふふっ……バカみたいね。楽しませてもらったわ」
くすくす、と弥生に笑われる。
「この――んぐっ!」
文句を口にしようとした時、スプーンが俺の口の中に突っ込まれた。
慌てた俺はむせそうになる。
「サービスよ、残りは自分で食べなさい」
そういって、弥生は俺に微笑みかけるのだった。無愛想な内の、とびっきりの笑顔で。
お読みくださり、誠に感謝申し上げます。
なんというか、弥生ちゃん可愛い。
……すいません、自粛します。
次回も読んでいただけたら幸いです。