Episode27 アクシデント
少しずつ、進んでいるかなぁ、なんて。
放課後、延々と降っていた強い雨は少し収まったが、相変わらず降り続いていて下校する学生たちを容赦なく濡らしていく。
弥生が倒れた――
この知らせを母さんから聞いた俺は雨が降る中を傘も差さずがむしゃらに走っていた。
どうやら風邪を引いたのか、高熱で倒れたのだという。
昨日は笑っていたのに、何でこうなってしまったのだろう。もしかするとあれは見せかけの笑顔だったのかもしれない。
弥生の動作には重々注意をしていたつもりだったのだが、全く気付けていなかったようだ。
これじゃ、仮とはいえ彼氏失格ではないか。
そう思う度に胸が痛くなってさらに足が急ぐ。
「……弥生!」
俺は名前を叫んだ。
ここで声を上げても特に意味が無いのは分かっている。
しかし、自分自身を奮い立たせるにはそれで十分だった。
見慣れた繁華街を駆け抜け、住宅街にさしかかる。
雨が降る街中を往く人はまばらだ。
時々見かける通行人がどうしたものかと俺を見ているのが分かった。
そんなことにかまっている暇はない、とにかく急がなくては――
「がっ!?」
窪みに引っかかって転ぶ。
ドサ、と倒れ込み、地面にぶつけた足と手が痛みが生じる。
濡れた地面の冷たさを感じる手には砂利が付いていた。
少し擦りむけて地が出ているのが分かったが、構ってはいられないのだ。
傷口がじわじわと痛む手をついて立ち上がる。
「はぁ、はぁ……」
肩で息をつきながらも、俺は再び雨の中を走り出した。
◆
洵の家。
エプロン姿の女性、小波絢は電話で話していた。
「松山さん、本当に申し訳ございません……子供が急に体調を崩してしまいまして……」
『小波さん……今日の予定分かっていますよね』
「はい、分かっています。様子が落ち着いたらすぐに駆けつけますので……」
『はぁ……仕方ありませんね。小波さんが早く来てくださるのを待っていますね。それでは……』
それだけ伝えると電話は切れる。
朝、出掛ける前に弥生の様子を伺ったのだが返事もなく、不審に思って部屋へ入ると弥生が横たわっていたのだ。
それからすぐに弥生を一度起こしてベッドに寝かせ冷却シートを貼り、すぐさま会社の方へ連絡を入れていたのだが、先ほどの電話は会社からの応援要請だった。
絢が勤める会社はとある出版社で、今は校了目前、と言ったところで職場はバタバタしている。
もちろん人手は不足気味にあり、バイトで一時的に来てもらう事もあるのだ。そんな状況の今、正社員の絢がいないのは少なからずもダメージだった。
そのため急遽の休みを了解したとはいえ、追いつかなくなってしまい応援要請がきたのだ。
「洵ちゃん早く帰ってこないかしら……?」
ため息混じりにそう呟いて、弥生がいる二階へと向かう。
洵は色々物申す事こそあるが、根は良い子だ。
なにしろ絢が手塩にかけて育てた一人息子なのだから。
「弥生ちゃん、調子はどう?」
そう言って弥生が寝ている部屋へ入る。
返事がないのも当然、弥生はぐっすりと布団の中で寝静まっていた。
可愛らしい寝顔を見て、少し安心して息が漏れる。
まだ熱は下がりきってはいないが、今朝に比べればだいぶ回復した。
「……絢……さん?」
どうやら起こしてしまったのか、うっすらと開いた碧い瞳がぼーっとこちらを見つめていた。
「ごめんね、起こしちゃって。私はそろそろ行かなきゃいけないけど、きっと洵が付いてくれるから……ね♪」
そう言って寝ぼけている弥生の頬にそっとキスをする。それから布団を整えて部屋を後にした。
「……え?」
柔らかな唇の感触が頬に残っていて……何が起きたのだろう。
しかし、火照る弥生の頭には事を上手く考えられないのだった。
◆
雨を全身で受け止めながらも家に帰り着くと、母さんが俺を待っているようだった。
母さんは突然、「今から仕事行ってくるから、弥生ちゃんの事見てあげてね。びしょ濡れなんだからシャワーもしなさいね!」とだけ言って俺と入れ違うようにして出ていく。
「う、うん……行ってらっしゃい、母さん」
多分母さんには届いてはいないがそう返した。
タオルが玄関に置いてあったのでそれで体中の水気を拭き取り、重たくなった制服姿でお風呂場へと行った。
そして濡れて重たい服を素早く脱いで洗えるものは洗濯カゴに、それ以外は後回しにしてお風呂へ入る。
シャワーを頭から浴びて、冷えてきていた体を温める。
弥生が気になるのはもちろんだが、流石にビシャビシャのまま病人の元へ行くのは気が引けるというものだ。
そんなことを言うと、つい先日びしょ濡れのまま青葉と弥生に会ったのだが……気にしないでおこう。
ささっとシャワーを済ませて風呂から出ると、すぐに全身をバスタオルで拭う。
だいぶ水気もなくなってきたところでドライヤーをかけて頭を乾かす。
「あ……」
ここで一つ問題が出てきた。
見事に着替えの服、さらには下着すら忘れてしまった。
きっと弥生は寝ているから大丈夫だ、そう思ってバスタオルを腰辺りに巻きつけて風呂場を出た。
リスクが伴っているために時間の勝負といえる。
俺は急いで階段を駆けあがり、自室へと入ろうとした――
「……ま、洵……」
「……や、弥生!?ええい、何も見ていない!!」
そこにはドアを開けて固まってしまっているパジャマ姿の弥生がいて。その弥生は声を失ったかのように頬を朱に染めながら口をパクパクさせていた。
俺は即座に自室へ逃げ込んで、大きく息を漏らす。
最悪の事態が訪れてしまい驚いてしてしまった。
鼓動が波打っているのが分かり、どうにも落ち着けない。
少しでも落ち着こうと着替えをしてみるが、部屋から出る勇気が湧かない。
オラに勇気を……って、別にそこまででもないのだけど。
こういう時は空気を当然のようにぶち壊してくれる海斗がいてくれたら楽なのだが。
俺が自室から出るにはまだまだかかるのだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次はあの羽を持った少女が出るかも!
なんて……まだ書いてないのですが、考えています。
次も読んでいただけたら、これに勝るものはございません。