Episode100 夜の奇跡をここに
「大丈夫ですよ、お嬢様……多分」
「ほ、ほんとに大丈夫だと思う……? 正直不安しかないわよ……」
「行かせたのはお嬢様ですよ? 祈るしかないでしょう……それに、洵様が自ら行ったのですから……」
こちらは車の中。
心配そうな弥生と、そんな主人を不安げに見つめる執事の須田。
それを遠巻きに、菊池は冷静にパソコンの液晶を眺めていた。
「だって、だって……止めてもどうせ聞かないと思ったのよ? だったら、見送るしかないって思って……」
「きっと、もっと押せば止まったんじゃ……」
「う……そんなこと言わないでよ……」
「あ、失礼しましたっ!」
「もう、余計心配しそうに……って、誰か来た……?」
窓から、廃工場の方を見つめていたところに、軍事乗用車……とでも、言うのだろうか。
自衛隊の車両が一台、二台、三台と現れる。
そして車内からは武装した人たちが、何人も出てくる。
「来ましたね」
菊池は颯爽と車を出て、何かを言っている。
指示をしているのだろうか。
「窓、お開け致しましょうか?」
「ええ、お願い」
「はい。かしこまりました」
須田が窓を開ける。
そこから外を見ると……少し、むさ苦しかった。
「というわけです。α、γ班はひとまず、工場前に防護用のシールドを持って固めてくださいね」
「はいっ!」
「次、β班は非殺傷弾の装備で敵勢力の鎮圧を図ってください。もし二人が出てきた場合はすかさず救助を」
「かしこまりました!」
そつなく指示を与えていく菊池を見て、相変わらず不思議な人だと二人は感じていた。
それと同時に、どこか安心を覚える。
「これなら、大丈夫かしらね」
「さあ……まだ分か──」
爆発音が、弥生たちがいる所まで響く。
「……早めの突入を図りましょう! 時間はもう無さそうです」
「はいっ!」
装備を固めた隊員たちが、廃工場へと近づいていく。
整った足音が少しずつ離れていく。
洵は、無事なのだろうか。
そんな不安な感情を胸に、自分の小さな手を弥生はきゅっと固く結んだ。
◆
一発の銃弾が、俺の足に刺さる。
想像以上の痛みが、足を中心に襲ってきた。
痛みのあまり、思わずしゃがみこんでしまう。
ただ幸いな事にもう出口の目の前に着いていた。
後は、立ち上がってここから出るだけ。
壁になっているおかげで銃声は鳴り止まないが、まだ僅かに時間は残されていた。
「はぁ……はぁ……もう少し、もう少しだ……」
「血が出てるじゃないか、無理をするな!」
「そんな事言っても、ここで留まってても仕方な いだろ! それに、好きにしていいと言ったのは宝生さんだからなっ」
言い淀む宝生さんを、もう一度抱きかかえる。
力を振り絞って、痛みを堪えながら立ち上がる。
もうどこからこんな力が湧いているのかはわからない。
ひとまずまだ動ける事にひたすら感謝をした。
「くっ……」
「よし、後少し走るだけだぁぁ」
俺は扉を体当たりで開けて、無我夢中で走り出す。
ここで、止まってはいけない。
そんな思いが、動かない足を引きずるように押していた。
しかし、すぐにポンと硬い何かに触れて、俺はパタンとその場に座り込んでしまった。
「……え?」
「これは……どういう事態だ?」
周りには、何やらガチャガチャと装備をした人たちがいて。
「ふむ、君たちか。よし、これで躊躇う必要は無い。突撃!」
「うおおお!」
……へ?
「と、とりあえず助かった……のかな」
「おそらく、そうだろうか……はは、はははは っ! ああは言ったものの私はここで死ぬつもりだったんだが……何が起こるかなんて分からないものだな」
安堵の表情で、元気そうに笑う宝生さんを見ていると、こちらまで安心感がしてきた。
「うぐぉ!? ……何これ超痛い」
しかし、安心と同時に、先程よりさらにはっきりとした脚部への痛みがやってくる。
思わず倒れ込みそうになるが、気合いで持ち堪えた。
「あ、私についてきてくれ。どうやら足を怪我しているようだから応急処置をするよ」
「ありがとうございます……」
「歩けるかい? ほら、肩を貸すよ」
「あ、すみません。助かります」
隊員さんの肩を借りて、俺は歩き出す。
ふと、宝生さんを自分が持っていないことに気が付いて後ろを向いた。
「なあに、このくらいなら……動けなくはないさ」
「そんな無理しなくてもいいのに。肩くらい貸すわよ」
少し辛そうに歩きだそうとした宝生さんの肩を持ち上げたのは、弥生だった。
「お嬢様っ! そんな突然行かないでくださいって!」
「悪いわね。ちょっと運動不足だから走ろうかと思ったのよ」
そして、須田が弥生を追いかけてこちらに来る。
「すまない……ありがとう」
「いいのよ、これくらい。むしろ勝手に抜け出して何をしてるのかしらね。罰は重いわよ?」
そう冗談交じりに笑う弥生の目は潤んでいた。
きっと、心配で仕方がなかったのだろうか。
少し悪い事をしたような気もしてしまう。
「洵さん。大丈夫ですよ。結果オーライって言葉がありますでしょう?」
「はは、ありがとうございます。そうですよね」
菊池さんがすかさずフォローしてくれて……って心でも読んでるのかなぁ。
何はともあれ、その後俺と宝生さんは車の中で処置をしてもらい、事なきを得た。
今の車内には二人だけで、弥生たちは外で何やら話をしていた。
……というよりも飛び出した事による説教を菊池さんにされてる、と言った方が正しそうだ。
「その、洵……」
「宝生さん?」
車の中で、宝生さんがそっと声をかけてくる。
「その……あれだよ。助かったよ、ありがとう。お前のおかげで、生き延びれた気がするさ。本当に、お前には感謝している」
宝生さんは俺にぺこりと頭を下げる。
赤いポニーテールが、頭の動きに沿うようにして揺らいだ。
「いや、むしろ足でまといだったんじゃないかなぁとか思ってたんだけど……」
って言うか、俺なにかしたっけ。
……何もしてない気がするんだけど。
「そんなことはないさ。その……洵、私のために、ありがとう。なんて言えばいいのか分からないが……好きだ」
そう宝生さんが告げたかと思えば、俺の頬にぷにっとしたものが触れた。
それが何かを理解した俺は、途端に頭が真っ白になる。
「ちょちょちょ、宝生さんどうした!?」
「どうも何も……なぁ。というか、出来たら名前で呼んでくれないか?」
何事もなかったかのように涼しげな表情を湛えながら、宝生さんはそう言った。
「え……?」
「まあ、 嫌ならいいんだが」
少し不機嫌そうに宝生さんはこちらを見つめてくる。
「美紗……さん?」
「さんも外してくれていいんだが……まあいいよ、それで」
何故かため息をつきながらそう言われてしまった。
うーむ……よくわからない。
「って、ちょっと待って!? さっき好きとか言わなかったか!?」
「言ったが……何か問題でも?」
「問題しかないから!」
「……ああ。そういえば付き合っていたんだったか。悪いな」
「そうそう、分かってくれると助かるよ……」
俺はほっとして息をついた。
……一瞬だけ。
「付き合ってようが至って構わないさ。順番なんてないからな。勝ち取ればいいんだよな?」
「ぶっ──!?」
「何を驚いているんだか。獲物を仕留めることと同じさ」
つまり俺は獲物扱いと言いたいんだよなそうだよな。
「なんならもう少しアクションを起こしてもいいぞ? どれ、何からしてやろうか」
なんて言いながらじりじりとこちらに寄ってくる美紗に、思わずたじろいでしまう。
「いや、待って!? というか弥生とかもいるの分かるよな!?」
「バレなきゃいいんだよ、バレなきゃ」
「何か黒い!?」
色々と衝撃的な発言に、俺はどうしたらいいのかわからなくなってくる。
そのまま端にまで追い詰められた俺は、徐々に近付いてくる美紗にただただ圧されていた。
先程とは違って、不意打ちでもないからどうにか……なりません。
「さ、口にはしてないからまずはそれからか」
「だから待てってば!」
俺の言うことは何も聞こえてないのだろうか、美紗の顔がぐいぐい寄ってくる。
俺はどうしていいのか分からず、生唾を飲み込んだ。
美紗の唇がもうすぐ触れる、そんな時──。
「洵、帰りま──」
まず扉を開けて最初に出てきた弥生が固まる。
「具合はどうでしょ──」
続いて須田がこちらを見て石化。
「あらあら」
最後の菊池さんは余裕の表情で笑っている。
いや、笑い事じゃないから!?
まさに時が凍ったような感覚がする。
ひたすら冷や汗がありとあらゆる場所から出ているような気分に襲われていた。
「ま、こと……?」
我に返った弥生の瞳からは生気が感じられない。
「いや、これはその……」
「こんな状況で言い逃れは許すものかっ! くたばれっ!」
事情をどうにか説明しようとしたが、それよりも先に須田の平手打ちが頬に浴びせられる。
「痛っ! 話をだなっ! ほら、まず美紗……って、寝て……る」
さっきまでぐいぐい来ていた美紗はどこに行ったのか、美紗はぐっすりと寝ているではないか。
何でこうなった。
「……寝てるけど?」
まるで般若のような恐ろしさを放つ弥生は至って冷静だった。
いや、その冷静さが何より怖い。
「あ、あの……何も無いです……」
「そう。あ、須田、やらなくていいから」
「ぐ……かしこまりました」
弥生たちは俺と少し離れた席に着く。
そのまま、車は走り出したのだった。
「あのー……?」
「……何かある?」
「あ、やっぱりいいです……」
勇気を振り絞って弥生に話しかけてみたものの、目が笑っていないのだ。
それにおまけしてこの迫力ではもう敵わない。
それから家に着くまでの一時間ほど、俺は生きた心地がしないのだった。
なんだかんだ100話ですね。
……まだまだ続きます。