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魔法小路のただの茶屋  作者: ゆずはらしの
2.騎士がやって来た日。
75/79

●番外編 アイリッシュ・モルト 2

遅くなりました。そして、まだ完結じゃないですm(__)m


「良い香りじゃの」



 入ってきたのは、おばばだった。ピンクのスーツに茶色のハイヒール。バッグも茶色。でも所々にポイントで、緑色が入っている。胸元には、緑の濃淡のついた葉をあしらった、数字の8らしきモチーフの金のブローチ。


 サクラ草みたいだなあ、とティラミスは思った。



「おばばさま。今日はピンクなの?」


「小鳥たちが、愛の歌を歌う日じゃろ。気分的にこの色かと思うてな」



 ふふ、と笑うとおばばは、くるりと一回転して見せた。



「小鳥たちが?」


「バレンタインの時期から、小鳥たちは求愛を始め、恋の歌を歌い始める、という言い伝えが確か、ありました。五月には巣を作って、子育てをしていますから」



 ティラミスが首をかしげると、おばばの言葉を店主が補足した。



「そうなんだ。へー……なんだか可愛い言い伝えね。おばばさま。そのブローチ、数字の8?」


「いや。これは無限を現す記号じゃ」


「無限……、ああ。無限大」



 数学などで出てくる、8の字を倒した記号だったらしい。



「なんでそんな記号を?」


「バレンタインと言えば、これじゃろ」


「え?」



 なんのことかわからず、クエスチョンマークを頭の周囲に飛ばすティラミス。



「ぬ? 近ごろは、これを身につけたりはせんのか?」



 おばばの言葉に店主が答えた。



「今は、ハートマークが多いですね。その意味を知る方は、少ないかと」


「風情がないのう」



 ため息をつくと、おばばはティラミスの近くにある椅子に腰かけた。



「バレンタインに無限大って……何か意味があるの?」



 ティラミスが尋ねると、おばばは答えた。



「愛は大きなものじゃ。果てがない。そのような意味でな。この記号を身につけていた時代もあったのよ」


「へー……」


「恋結び、とも呼ばれました。リボン結びはこの記号……と言うか、結び方を身につける風習から、生まれたようなものです」



 店主が言った。



「え? リボン結びって、良くあるあの、蝶々結び? ええっと……壁にかかってる、あれみたいな」



 良く見ると本日の店の中には、リボンを蝶々結びにして、花を添えた飾りがいくつか掛けられていた。周囲を見回したティラミスは、その飾りの一つを指し示した。



「はい、あれです。結び目の所、似てませんか。無限大の記号に」


「言われてみれば……」


「ハートの形にも似ているでしょう」



 そう言われれば、なんとなくそう見えてくる。



「他には、アルファベットの大文字のAに、冠をつけたものがありましたね」


「アルファベット? なんで冠?」


「フランス語で愛は、amourアムール。頭文字がAなんです。その文字に冠をかぶせることで、愛はすべてを超越する王である、という意味になりました。


 ラテン語の格言、amor vincit omnia(アモール ウィンキッド オムニア)が由来です。愛は全てに勝利する、という意味ですが」


「なんかカッコイイね、それ」



 ティラミスは、くすくす笑った。



「ま、縁起物みたいなものじゃ。きれいに刺繍したり、宝石で飾ったり。いろいろやった者はいたが。わしはこれが気に入っておっての」



 おばばは、胸元のブローチに手をやった。



「昔の男からの貢ぎ物じゃ。この時期には思い出すのでなあ。つけてやっておるのよ」


「ぐふっ」



 あっさりと言われた言葉に、一瞬、紅茶が喉につまってむせそうになった。ティラミスは咳払いをし、目をぱちぱちしてから、おばばを見やり、店主を見やり、もう一度おばばを見やった。



「えーと、……いきなり恋バナ?」


「そんな良いものではないのう。おっそろしく堅物で、朴念仁じゃったでな」


「朴念仁……」



 一瞬、ティラミスの脳裏に、苦虫を噛みつぶしたような顔をした誰かさんの顔が浮かんだ。いやいや。



「つけてやっているって……えーと。その人とは、もう付き合ってないの?」


「とうに別れておる」



 あっさりと、おばばは言った。



「あー、……えと」



 ティラミスは、口ごもった。次の言葉が出てこない。



(別れたのに、もらったプレゼントを身につけているって……)



 普通、女性は、別れた男性からのプレゼントは、捨てるかしまい込むかして、自分の目につかないようにする。なのに、おばばは身につけていた。


 なんだろう。何か事情があるのかな、とティラミスは思った。まだ未練があるとか……。



「おまえさんの考えておることは、何となくわかるがのう。別に未練があるわけではないぞい」



 おばばはしかし、苦笑して言った。



「これは、まあ、何と言うか。記念のようなものじゃ。そういう日々があったと、思い返すためのな。それだけに過ぎん」


「良く、わからないんだけど……」


「わしの中では、もう終わったことなんじゃよ。腹の立つこともあったがの。そういうものはもう、全部過ぎてしもうたわ。


 思い出すことが、ただ懐かしいという事もあるのよ」



 おばばの笑い方は穏やかで、静かだった。様々なことを経験した後、全てを許したかのような。



「どうぞ」



 そこで、その場を離れていた店主が戻ってきた。おばばの前に、お茶のカップとお菓子の皿を置く。



「おう、すまぬの」


「なんのお菓子?」



 ティラミスはのぞきこんだ。皿にもられているお菓子は、クッキーのようだ。ショートブレッドっぽい生地に、いろいろ練り込んである。つぶつぶした何かのスパイス、砕いたドライフルーツらしきものが見える。大きさは、人差し指ほど。形は楕円形。



「キャラウェイ・シードと干しぶどう、プラムを練り込んだケーキです」



 店主が答え、ティラミスは首をかしげた。



「ケーキ? クッキーって言うか……ショートブレッドっぽいけど」


「ああ、……ええ。ショートブレッドです」


「これを『ケーキ』と呼ぶ時代もあったのよ。今のように、ふわふわとさせる手立てがなかったからのう。ベーキングパウダーなんぞ、昔はなかった。卵を泡立てるという手段も、知られてはおらなんだしの」



 おばばがそう言いながら、一つをつまんだ。さくっ、とかじる。



「懐かしい味じゃ」


「洋梨のコンフィチュールもありますが」


「もらおうかの。パンケーキに添えて」


「はい」



 うなずいてから、店主はティラミスを見た。



「ティラミスさんも、食べてみますか? そのお茶には合わないかもしれませんが」


「あ、えと、……合わないの?」


「カカオの香りを楽しむためには、シンプルな味のケーキやクッキーの方が良いですから……」


「あれ、じゃあ、おばばさまのお茶、あたしのと同じじゃないの?」



 ティラミスは、おばばの手元のカップを見つめた。黒っぽい液体が入っている。



「コーヒー?」


「わしが飲んでおるのは、オルゾじゃよ」


「おるぞ?」


「大麦を炒った飲み物です。麦茶みたいなものですね。コーヒーや紅茶が広まる前に、ヨーロッパで飲まれていました。


 カフェインが入っていないので、現代でも、体調の良くない方が、代替だいたいコーヒーとして飲んでいますね」


「そうなんだ~……」



 ふうん、と言ってから、ティラミスは、おばばがかじっているショートブレッドに目をやった。



「ん~、でも、気になる。あたしも、おばばさまと同じお菓子を頼んで良いですか?」


「はい」



 店主が微笑んだ。




※補足


蝶々結び、と呼ばれるリボンの結び方は、実は、古代エジプトや、古代ギリシアの時代からあります。


当時はひもや、ロープでしたが。


船乗りなどが、ほどけないよう、結び方を考えて伝えていったのですが、これが、衣装の装飾になったり、髪飾りになったりしてゆきました。


17世紀ぐらいに、綺麗な布を細くしたリボンで、胸元などに飾りとしてつけることが流行し、現代の蝶々結びへとつながってゆきました。


結ぶ、というのは日本でも、人と人とを結ぶ、恋のおまじないみたいに使われていたみたです。水引とかがそうですね。


無限大の記号を身につけるのは、中世のころの風習で、始まりもなく、終わりもない、という意味から、永遠、という意味が導き出され、愛のお守りの記号とされました。


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