やって来た者は。3
ウィルフレッドの言葉にヴィンドファルは、「ふむ」、と言った。
「われらは様々な名を冠されるもの。吾も例外ではない」
「そうか……いや、そうですか」
貴族であることを想定して、ていねいな口調を心がける。ヴィンドファルは、当然という顔をして、ウィルフレッドの言葉に鷹揚にうなずいた。
「ああ……なるほど。騎士どのの時代では、言いたくない言葉じゃわな。あの馬鹿げた感じのイメージが広まるのは、いつごろからかのう」
そこでおばばが、つぶやくように言った。
「馬鹿げていますか?」
じんの言葉に、まあな、と言う。
「闇がおいやられた時代には、ああいうものでちょうど良いのやも知れぬがな。なんちゅうか、わしからすると、背筋がむずむずする感じじゃわ。なんじゃこりゃー、と言いたくなるような。
畏れを忘れ、見えぬ目を持つものが増えると、ああなるのかのう」
遠い目をしている。
「それほど酷いか」
ヴィンドファルの問いかけに、おばばが答える。
「主は、面白がるやも知れぬがな。布きれ同然の服を着て、耳や尻尾を生やした、あちこちでっぱった娘が、『妖精』と呼ばれておった。
あれを見た時には、人の欲望のねじまがり具合は果てしがないと思ったわ……」
「それは一度見てみたいものだな」
珍しそうにヴィンドファルが言い、なぜかじんが、「すみませぇん」と言いながら小さくなった。
「耳と尻尾?」
ウィルフレッドは首をかしげている。想像できなかったらしい。
「主は、知らんでも良いことじゃ。ところで。二つ名がどうしたのじゃ、騎士どのよ。主も、二つ名ぐらいは持っていよう。その図体では」
おばばが言う。ウィルフレッドは眉をしかめた。自分で言うのもなんだが、あまり言いたくない。
「あるが。騎士の二つ名というのは、あまり上品なものではなくてな」
「そうなのか?」
ヴィンドファルの言葉に、ウィルフレッドは答えた。
「ええ。黒髭とか、赤毛とか。姿から取られることもありますが。熊殺しや、殺し屋。時には悪魔の、とか。
こういう二つ名は大体は、相手を恐れさせるのが目的です」
ヴィンドファルに視線を向けられるたび、どうにも落ち着かない気分になる。それをこらえ、心を落ち着けるためにも、ていねいにウィルフレッドは説明した。
「面白いな。悪魔か」
ヴィンドファルが小さく笑う。
「名を聞いただけで恐れられるのであれば、悪事をなすものは、戦わずに逃げてゆく。その名を持つものがいるだけで、その地での悪事をあきらめる。
怪我人も出ない。悪名はむしろ、誇りです」
ウィルフレッドの言葉に、じんが「うを~、渋カッコイイ」とつぶやいた。
「できる男の、実感の籠もった一言って感じですね!」
きらきらした目を向けられ、ウィルフレッドは怯んだ。
「まあ……そういうものだ。だが、そちらの方が、よ、……『善き隣人』の二つ名を持つのは驚いた。ロード、と呼ばれておられたが。いずれかに領地を持つ貴族であられるか」
こんな貴族は見たことがない。しかしこんなに目立ち、いわくつきの二つ名を持つ者であれば、一度は名を耳にしているはずだ。その思いからの質問だった。
ヴィンドファルは軽く眉を上げた。
「貴族……ではあるな。領土も持っている」
「いずれの領地かお尋ねしても?」
「答えても良いが、人の子よ。己は名も名乗らず、吾にのみ名乗らせるつもりか」
この言葉にウィルフレッドは、居住まいを正した。立ち上がると、騎士としての礼を取る。
「失礼を。わたしは、」
「待ちゃれ」
鋭い声が、そこで割って入る。いらだたしげに腕組みをしたおばばが、とんとん、と床を軽く蹴った。
「丘の。これは迷い客。ここの流儀は知らぬ者じゃ。なにをするつもりじゃった?」
ヴィンドファルは冷めた目をおばばにそそぐと、口の端を上げた。
「何も。吾はただ、名乗りもせず、吾に名乗らせるつもりかと尋ねたまで。
それを聞いた人の子がどのような対応をするかまでは、責任が持てぬ」
おばばが、わずかに目を眇めた。
「あざといの」
「吾は、吾であるゆえな」
突然の緊迫した気配を漂わせる会話に、何事かとウィルフレッドは二人を見比べた。
「人の子が無礼ゆえ、相応の対応をしたまでだが」
「この店でか」
おばばの言葉に、なぜか男は表情を消した。かまわずおばばが続ける。
「主は、約定を交わしたはずぞ」
「吾への無礼を見逃せと?」
どこかうなるような響きで言うヴィンドファルに、おばばは言った。
「これは店主の客。主の良いようにしてよい相手ではない。であろう、紅どの?」
そこでヴィンドファルは盛大に、しまった、という顔をした。顔を動かし、厨房の方を見る。おばばの視線もまた、そちらに向かっていた。
ウィルフレッドが彼とおばばの目線をたどると、そこには焼き菓子を盛った器と小さな碗、妙な小物入れらしきものを持ち手のついた盆に乗せた、店主が立っていた。




