やって来た者は。2
「それで、何が問題なのだ?」
アヴァルの丘のあるじと呼ばれた、貴族らしい男が言う。椅子を引いて腰かけると、ウィルフレッドをちらりと見た。
「問題と言うかのう。この御仁、歌や魔法が嫌いでの。ここがどこであるかすら、認められんのよ」
おばばの言葉に、男は「ほう」と言って眉を上げた。
「難儀なことだ」
「え、それだけ?」
じんが拍子抜けしたように言うと、男はちらりとそちらを見やった。
「吾には関わりなきこと。どうにかしてやる話でもなかろう」
「ツンツンが発動中だ」
「どうにかするなら、店主であろうよ」
かまわずそう言った男は、「ティザンを所望する」と店主に言った。
「何がよろしいでしょう」
「ボダイジュをな」
「蜂蜜は」
「オレンジの花のものを。茶請けには、何がある?」
「オレンジのケーキと、ビスキュイがあります」
「どちらももらおう」
慣れた様子で注文する男に、店主は一礼してから厨房に入って行った。
「静かになりましたね」
じんが、外の様子をうかがって言う。荒れていた外の風が、静まり返っているのにウィルフレッドは気づいた。
「そこの御仁が店に入ったからじゃろ。さすがに今のところ、これに喧嘩を売る気はなさそうじゃ」
おばばが答える。
「そうですかね。隙があれば、やりそうですけど」
「今のところは、と言うたじゃろ。わしにも、あれがいつ、どんな時に、何をやらかしよるかまでは責任が持てん。愚か者は、目の前の事にしか頭がまわらんからのう。
したが、丘の。おまえさんももうちっとばかり、わかりやすく助力しても良いと思うぞ」
「吾は、望むままに振る舞うことしかしておらぬ」
声をかけられた金の髪の男は、そちらに顔を向けもせずに答えた。おばばはかまわず続けた。
「ツンデレじゃのう。牽制してくれたのじゃろうが。わざわざ、ここに入ると見せつけながら入ってきおって」
「言うたであろう。吾は、望むままに振る舞っただけ。憩いのひとときを過ごしたいと思う、そのどこがおかしい?」
「おかしくはないが。この店が闇に取り巻かれたその時に突然、茶が飲みたくなるとは。妖精族というのは、面白い趣味を持つものじゃの」
「おまえほどではない、まじわざの」
二人の会話に、ウィルフレッドは眉をひそめた。なに?
いま。妙な単語が聞こえなかったか。
* * *
土地の老人たちが炉端語りをする際、彼らは良く、『善き隣人』について語っていた。
魔法も音楽も、彼らのもの。ゆえに、魔法に関わる物語をする時には、気をつけて、彼らの機嫌を損ねないようにせねばならない。
もったいぶってそう告げる老人たちに、ごく小さなころは驚いたり、喜んだりしていたが。じきにウィルフレッドは悟った。
彼らは、何も知らない。
魔法のことも。何もかも。
知らないことを隠して、ただ、人をおどかしたり、その場の雰囲気を楽しむために。それだけで。
『善き隣人』を引き合いに出しているのだ、と。
『善き隣人』。
それは、丘や森に棲むものたちの総称。自分たちのことを語られ、怒りを抱かれたり、悪戯をされないよう、あえて善良なものという名を冠された、
妖精を意味する隠語。
魔法のわざに長けた彼らは、星の光のごとく美しい、と誰かが言っていたな。ウィルフレッドはロード・ヴィンドファルと呼ばれた若い顔の男を見ながら、ぼんやりと思った。
確かにそれらしい。人間離れした美しさを持つ若者だ。
しかし。
「ある意味、剛の者だな」
ぼそりとつぶやく。
思わず口に出したその言葉を聞きつけたのか、男とおばば、じんがこちらを見やる。
「なんじゃ。剛の者とは……騎士どの。ぬしは今、なにを考えた」
どこか面白そうな顔をして、おばばが言う。自分が注視されていることに気づいて、ウィルフレッドは咳払いをした。
「いや、」
「わたしに対しての言葉か?」
珍しげにウィルフレッドを見つめ、ヴィンドファルが尋ねる。
「はあ、まあ」
「え、珍しいですね。ロードを見て剛の者、なんて言う騎士がいるなんて思わなかった」
じんが言った。ヴィンドファルが眉をしかめる。
「人の子は、見る目を持たぬものだ」
おばばが小さく笑った。
「丘の。おまえさんらは、人の目には、剣や槍を持って走り回るようには見えんのよ。優雅じゃからのう。
したが、騎士どのよ。ぬしの言ったのは、ちょいと意味合いが違っているようにも聞こえたのう」
「そうですか?」
「そうなのか?」
この言葉にじんとヴィンドファルが同時に言い、ウィルフレッドを見つめる。何となく気まずくなって、ウィルフレッドは目線を逸らした。
「いや……、その。耳に入ってしまったのだが。そちらの方は、よ、……あー、その、『善き隣人』に由来する二つ名を持っておられるのか」
ウィルフレッドは『妖精』という言葉を、『善き隣人』に言い換えた。
特に迷信深いというわけではない土地でさえ、そうしたものの怒りを買わないよう、わざと違う言葉に言い換え、名を呼ばないのが普通である。
村や町で、器量良しの娘たちを花にたとえることはあるが、『妖精』にたとえることはない。そんな事をすれば、人ならぬものに目をつけられると信じられている。
いきなり口にするのは、どうにもはばかられた。
なお、念の為に書き添えておくが、現代の日本で思われているような可愛らしい『妖精』(フェアリー)の概念は、闇が深く森がすぐ側に迫る時代、人々の間にはない。
『妖精』とはどちらかと言えば、不運を突然運んでくる妖怪、良くわからない恐怖するもの、死の近くにいるもの、といった印象が強いのだ。
そうして、名を呼ぶことは、呼び寄せることになる。
ウィルフレッドもそうした理解で、『妖精』という言葉を口にすることを忌避した。たとえ、魔法に冠したことに嫌悪を抱いていたとしても、彼は、命のやり取りをする現場に出ることの多い騎士である。それなりの験はかつぐし、不吉と言われることは、しないにこしたことはないと思っている。
なのに、そうした二つ名を堂々と名乗っているらしい男に、ウィルフレッドは驚いたのだ。




