●番外編 ハッピー・ハロウィン 4
あれ?
ティラミスは、首をかしげた。扉の方を見ると、確かに扉は開いている。だが、そこには誰もいない。おかしいな、と思っていると、音楽がはっきりと響いた。なぜだろう。足音も聞こえる。
そこには、誰もいないのに。
ぷおー、ぷおー、と響くバグパイプ。ざっ、ざっ、という足音。え? なんのドッキリ? と思っていると、店主が奥から出てきた。手に籠を持っている。
「いらっしゃい。ソウル・ケーキです。蜂蜜酒は裏口に、樽があります。ひとり一杯ずつですよ」
そう言って戸口に向かうと、屈んで、籠を地面に置いた。
音楽と足音が、ぴたりと止まる。しばらく静寂が続いたが、やがてまた、音楽が始まった。
ぷおー、ぷおー。
ざっ、ざっ、ざっ、
ティラミスがまばたくと、ちらちらと、何かが見えた。
バグパイプや太鼓を抱え、とんがり帽子をかぶり、緑色の衣服を着た……小人の行列。
えっ、と思った次の瞬間、それは消えて、音楽と足音は遠ざかって行った。店主が扉を閉める。からん、とドアベルの音がした。
「紅さん。ええっと」
「はい?」
呆然としながら呼びかけると、店主が振り向く。
「あの、いまの……いま、ええと、み、緑色?」
あわわ、という感じで言うと、店主は首をかしげた。
「なんじゃ。慌てて」
おばばが、不審そうな顔で言う。
「いやいまちょっと、あの、見ました、おばばさま」
「何をじゃ」
「えーとその、えーと、戸口に。あの。緑色の」
「菓子をもらいに来た者がおったのう」
「そう、お菓子を。え、お菓子を?」
ティラミスは、んん? と首をひねった。
「あの……いや。お菓子をもらいに……? え? そうなの?」
「紅どのが、渡しに行っとったじゃろ」
「ああ、……そうね。ええと。だったら、……あたし、ひょっとしたら、ちょっと疲れてるかも?」
「そうですか?」
その言葉に、籠を片手に戻ってきた店主が、心配そうに言った。ティラミスは片手で頭を軽く抑え、うーん、とうなった。
緑色の小人たちを見た。と、思った。
でも、紅さんにしても、おばばさまにしても、こんなに落ち着いているってことは……あれは、あたしの見間違い?
「ええっと、いま、……音楽、鳴ってたよね」
意を決して言うと、店主は「ああ」と言ってうなずいた。
「この時期になると、この辺りを、回るものがいるのですよ。音楽を奏でて、その代わりにお菓子をもらうんです」
「あ、なんだ、子どもが来てたの?」
ティラミスは、その言葉を聞いて、体から力が抜けた。
「そっか。あたしの位置からは良く見えなかったのね。背の低い子ならわかんないか~……」
その子はきっと、緑色の衣装で、仮装をしていたのだろう。それが、目の錯覚か何かで、すごく小柄に見えたに違いない。
なーんだ、そうかと思って一人で納得していると、店主とおばばが何か言いたげな顔をしてこちらを見ていた。
「スルーしたのう」
「そうですね」
「はっきり見たと思ったがのう」
「ティラミスさんですから」
二人はそう言うと、うなずきあった。なんなの? とティラミスは首をかしげた。
「ね、紅さん。その籠の中、準備していたハロウィンのお菓子? 何をあげたの?」
籠の中にクッキーらしきものが見えて、ティラミスが尋ねる。店主は答えた。
「ソウル・ケーキです。バタークッキーですね」
そう言って、籠の中身を見せてくれる。レーズンの入ったクッキーらしきものが中にあった。
「クッキーなのに、ケーキなの?」
「昔は、バターや果物を使ったお菓子は贅沢なものだったんです。焼いたお菓子はだいたい、ケーキと呼ばれました。現代ではクッキーに分類されてしまいますが、これはケーキだったんですよ」
そうなんだ、とうなずく。美味しいのかな?
「おまけで帰る時に一個、あげますよ」
「やった!」
うれしくて笑うと、店主もおばばさまも笑った。
* * *
タルトは、絶品だった。
ティラミスはケニアのミルクティー。おばばさまは、ルフナ。ポットで出されたものを、お互いのカップに注いで、分け合って飲む。二倍、お得! とか言いながら。
店主もなぜか、最後には、おばばさまに引っ張りこまれて、即席の、小さなお茶会が始まった。
「美味しい!」
「うーむ。まったりとしてしつこくなく、しかしコクがあり」
「なんの解説ですか、おばばさま……」
「美味しいものって、ほんと、魔法みたいよね。うれしいって気分にしてくれるもの。紅さん、ここにお店を開いてくれて、ありがとう」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、店を続けてきた意味があったと思えます」
「この店主は酔狂じゃからのう。したが、わしも、美味い菓子を食べ、茶を飲めるのはうれしいぞい」
ソウル・ケーキを味見させてもらったら、素朴な感じで気に入った。頼んで、お土産用に袋に詰めてもらう。
代金は、タルトとケニアのお茶、そして持ち帰りのクッキーの分を入れて、千五百円。
「そうじゃ。紅どの、外のお嬢さんがの。この飾りを作る者と取り引きがしたいらしいぞ」
そこで、おばばが思い出したように、自分の髪飾りを指さして言った。
「そうなんですか? では、紹介すれば良かったですね」
「紹介?」
「さっき、戸口でバグパイプを鳴らしていた方たちの中に、作っているかたがおられたんですよ」
えっ、子どもが? とティラミスは思った。
「職人のお家の子なの?」
「まあ、……そうですね」
「そっか~。あ、じゃあ、今度会ったら紹介お願いします。イヤリングとか、ちょっと欲しくって」
「イヤリングですか」
「おばばさまの、可愛いから。こういうの好き。あ、でも高かったら手が出ないかな……」
店主はちょっと首をかしげた。
「高くつきますかね?」
「どうじゃろな。あれも一応、気難しいしのう」
そう言う二人に、ティラミスが目を丸くする。
「気難しいの?」
「うむ。あれはのう。商売で作っておるのではないのでな。こうした飾りは、気に入った相手にしか作らんのよ」
「へえー、すごい! 小さいのに、もう職人気質なんだあ。職人の、譲れない一線! みたいな感じでかっこいいー」
「おまえさんみたいな相手じゃと、作ってくれるかもしれんのう」
なぜか、おばばに笑われた。
* * *
ティラミスは、店を出た。薄暗い路地を、しばらく歩く。ソウル・ケーキの袋をしっかりと胸に抱いて。
あのあと、ケニアの茶葉も購入してしまった。見ていたおばばさまは笑って、おまけじゃと言って、にわかせんぺいをくれた。垂れ目の困った顔がついた、博多の名物。一度は思わず自分の顔に当ててしまいたくなる、マスクにもなりそうな、あれ。
おまけはうれしい。うれしいが。なぜ、コレ。なぜ、にわかせんぺい。
『せんべい、ではなく、せんぺい、と記すのが正式名称じゃ!』
知ったからと言って、だからなんだ。みたいな豆知識も伝授された。自慢げに。まあ……おばばさまだからなあ。
とにかく、これも食べちゃお。明日、会社でみゆたんと、ティータイムできたら良いなあ。
そう思いつつ歩いていると、だれかが後ろから声をかけてきた。
「とりっく、おあ、とりーと」
小さくて高い声だった。子どものような。
振り向くと、緑色の服と、とんがり帽子をかぶった男の子。ああ、ハロウィンでお菓子を集めているのね。ティラミスはそう思った。
「こんばんは。お菓子がほしいの?」
膝をついてそう尋ねると、小さく男の子がうなずいた。手に持っていた袋から、ソウル・ケーキを取り出しかけると、一緒に、にわかせんぺいも出てきた。
「……」
子どもの目が、垂れ目の顔の絵がついたお菓子に釘付けだ。
「こっちが欲しい?」
尋ねると、うん、とうなずく。笑ってティラミスは、垂れ目の顔のお菓子を渡した。子どもがにっこりする。
立ち上がろうとすると、何か差し出された。なんだ、と思うと、ぐい、と押しつけられる。受け取って見ると、小さな蔦の葉のイヤリング。緑と黄色、赤のグラデーションに、金粉がふられている。
「わ、きれい……って、あれ?」
目をあげると、子どもの姿が消えていた。
「素早い……」
まばたいて、ティラミスはイヤリングを見つめた。耳につけてみる。
ほっこりと、心が温かくなった気がした。
「ちょっと、うれしいなあ」
立ち上がるとティラミスは、家に向かってまた歩き出した。足取りは、軽かった。