さらに、その店では。4
あげた後に、1ページ分、抜けていたことに気づいて修正しました。すみませんでした<(_ _)>
驚いているウィルフレッドの前で、彼を置いてきぼりにして、会話は続いた。
「そうじゃろな。あの御仁のは、医食同源の思想じゃわ。で、紅どのは、その本を持っておるのか」
「一冊、いただきました。信頼のおける修道女たちに頼んで、わざわざ写本して下さったのです」
「適当な写しをして、誤字脱字だらけの本を作る者もおるからのう。図書館関係の者の愚痴を聞いた事があるぞい」
蔵書部屋だと?
そんなものが持てるのは、相当に裕福な貴族か、大きな修道院ぐらいだ。一冊の本を作るのに、羊が何百頭も必要になる上、文字を写す技術を持つ者、絵を描く才能を持つ者を集める必要もある。
書物は、それほど高価なものなのだから。
麻布のぼろを固めたものに文字を記す事もあるが、羊皮紙と比べると持ちが悪く、どうかするとカビが生える。
それでも羊皮紙よりは安いので、庶民向けの読み物に使われることもあるが、そんなものが作られるのもミストレイクぐらいで、よその領では、ほとんど出回っていない。
こやつら、実は修道院関係の者であったりするのか? いやしかし。
おばばの剥き出しの足や、短く切った髪の毛に目をやり、ウィルフレッドは首を振った。こんな格好の女を迎え入れる修道院など、あり得ない。
おばばが、むう、とうなった。
「では、なんなのじゃ」
「ひょっとして、奈良漬けのお茶漬けを食べてみたかったとか……?」
「あれは、おばばさまと出会ってから渡されたものですよ。ここに来るきっかけではないでしょう」
「いや、万が一という事もある」
三人はわけのわからない会話を続けている。ウィルフレッドは咳払いをした。
「先程から、そのほうらの言っていることが、さっぱりわからないのだが」
そう言うと、三人は言葉を止め、互いに目線を交わした。どうする? と言いたげに。
「教えた方が、良いのじゃないですかね」
じんが言った。
「ここの事をか? それとも、この御仁の現状をか?」
おばばが言う。
「意外と、こういう時代の人の方が柔軟ですよ。科学の時代の人よりも」
「そうじゃろな。『これは魔法』で全てが片づく。電子機器の時代の御仁はその辺り、あれこれと理屈をこねて、目の前のことを見んからのう」
それから二人は、何か期待するかのような視線を店主に向けた。
「で、わたしですか……」
店主が苦笑気味に言うと、おばばとじんは、
「ここはやはり、この店のあるじが説明すべきじゃろ」
「俺たちは単に、立ち会ってるだけですし」
と、口々に言った。店主はあきらめたような顔でうなずくと、ウィルフレッドの方に向き直る。
「騎士さま。その……、非常に申し上げにくいのですが」
辛抱強く待っていたウィルフレッドは、店主の言葉に、なんだという顔をした。
「騎士さまの周囲で、魔法やそれに関した物語が語られたことはございますでしょうか?」
「炉端語りのようなものか? あるぞ」
領主からも、良く聞いている。妖精だの魔女だの。
目を輝かせた領主の口からそういう単語が出てきた場合、大体、ろくな事がないのだが。
「それで、その……騎士さまは、そうした物語をどうお考えでしょうか」
「どうとは?」
「好意的に見られておいででしょうか。興味がおあり……、」
「ないな」
即答。
据わった目で断言した騎士に、店主は絶句した。
「魔法も妖精もロマンも、どうでも良い。と言うか、お腹いっぱいだ。聞きたくもないし、関わりたくもない」
「そうですか……」
どうしよう、という顔をしてから、店主は困ったように相槌を打った。
「科学の時代の人のようじゃの」
「と言うか、何かトラウマがある感じに見えますが」
ひそひそ、とおばばとじんが話し合っている。
「それでも、聞いていただかなければなりません。騎士さまには、ここに来られた理由があるはずですので」
静かに言う店主に、ウィルフレッドは眉を上げた。理由?
「理由と言うなら、迷ったからだろう」
この店に入った時の自分の説明を思い出しながら、ウィルフレッドは言った。
「疲れておったのじゃろ? 空腹で」
おばばが声をかける。
「その辺りだと、見当つけたんですけどねえ」
じんが首をひねっている。
「騎士さま。迷われた方は、どこかにはたどり着くのです。そういうものです。そうしてここは、そのようにして迷われた方がたどりつく場所の一つです」
言葉を選びながらという感じで、店主が言った。
「迷った者がたどり着く? 何かの伝承のようだな」
「そう取っていただいても構いません。騎士さまの場合は、おばばさまの導きもありましたので、ここに来る事ができました。とても幸運な事でした」
「幸運?」
「ここでは、その方の持つ願いにしたがって道が開かれ、扉が現れます。どれを選ぶかは、その方に任される。
そうした願いをうまく操り、逆手に取って、一方的な契約を結ぼうとする者もおります。迷われた方には、とても不利な条件で」
「なんとも悪どい商人だな。しかし、そうした事情が俺と何の関わりがある?」
店主が何を言いたいのかわからず、しごく真面目にウィルフレッドは言った。
「契約が完了しなければ、ここから出ることはかなわないのです」
店主が答えた。
「おかしな事を言う。わが国は、無法な国ではないぞ。誰であれ、自由な身分の者ならば、好きな所に行けるものではないか?」
ウィルフレッドが言うと、店主は「ここでは違います」と答えた。
「騎士さまの国では、騎士さまは好きな時に、好きな場所に行くことができるでしょう。けれど、ここでは、そうではありません。
ここは、騎士さまの世界とは違うところ。ここではここの法があり、それは、やってくる方の常識や、その方の知る法の全てに優先します。
騎士さまは、自身の願いにより道を開き、迷いこまれてしまわれた」
「まるで、ここがこの世ではないような口ぶりだな」
店主はうなずいた。
「はい。ある意味では。
騎士さまには、ここは、世界と世界の間に生まれた、半分だけがこの世と呼べる場所、と考えていただくのが良いと思います」
「なんだ、それは。まやかしか何かのような」
思わず眉をしかめると、店主は答えた。
「そうとも言えるでしょう。ここは、魔法小路ですから」
とうとう言いました。紅さん。