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魔法小路のただの茶屋  作者: ゆずはらしの
2.騎士がやって来た日。
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さらに、その店では。3

 取り出した銀貨は、そこそこ質の良いものだ。王国の基準に満たない、混ぜ物をした銀貨を作る領もあるが、代々のミストレイク侯はこうした事で、自領の評判を下げる真似は許さなかった。表にフォレシア王、裏に十字架を刻む銀貨の縁には、ミストレイクの名がある。


 奇をてらう事の多い領地のように言われてはいるが、こうした庶民の生活にも直接関わるような細々とした部分では、基本通り、実直そのものの対応をするのが、ミストレイクの一族の特徴でもあった。


 そのゆえに、ミストレイクの銀貨は、他の領地の者たちからも信頼されていた。領主の都合で混ぜ物をされたり、重さを替えられたりする悪貨は出さないと見なされたのである。


 支払いにミストレイク銀貨を使うことは、ある種、相手に対して敬意を払う意味合いも兼ねていた。


 ウィルフレッドは革袋の中から出した銀貨に、割れているものや欠けているものがないことを確認すると、八枚を机の上に置いた。



「馳走になった。これをとっておいてくれ」



 紅が軽く会釈し、銀貨を手にする。


 沈黙が落ちた。


 店の中が突然、静まり返ったのに気づいたウィルフレッドは、不審に思って周囲を見回した。


 ジンがぽかん、と口を開け、目を丸くしてこちらを見ている。


 おばばもこちらを見て、眉をしかめていた。


 店主は手にした銀貨を握り、自分を見上げ、首をかしげている。


 全員が黙って自分を見つめているのに気づき、ウィルフレッドはたじろいだ。なんだ?



「あっれ~……?」



 そこで、自分を凝視していたジンが、素っ頓狂な声を上げた。



「え? 違う? 違うの? 


 ちょ、紅さん。違うみたいですよ? 俺はてっきり……、え、え~~? それじゃ一体、何が」



 慌てたように言う。何が、とは何の事だ、とウィルフレッドは思った。俺が尋ねたい。



「なんじゃ。主は、腹が減っていたのではないのか?」



 おばばが眉をしかめ、腰かけていた椅子から身を乗り出すようにした。睨むようにウィルフレッドをみつめる。



「飢えた顔をしておったし、美味そうに喰ってもおったくせに。まだ足りとらんのか。それとも実は、舌が肥えまくっておったのか? 


 言っておくが、贅を凝らした珍味というのは、珍しいのは最初だけじゃ。食べ続けておれば、存外、飽きるものぞ。また、そうしたものは、食べておれば体を損なう事もある。主ほど体格の良い騎士であれば、体を作る食事にまず気を使うべきと知れ」



 なぜ、説教されるのだ。



「あの、騎士さまには。あの食事ではご満足できませんでしたか……?」



 店主は店主で、すまなそうな顔をしているし。何がどうしたと言うのだ。俺にも理解できる言葉ではっきり言ってくれないか!



「美味かったし、腹は満たされて満足だ」



 それでもそうした思いを抑え、ウィルフレッドは言った。顔はむっつりしてしまっていたが。



「では、何なのじゃ」


「何なのかとは、俺が尋ねたい。おまえたちは一体、何を言っている」



 おばばの言葉にそう返すと、三人は顔を見合わせた。



「いやだって……普通、そう思うでしょう。ここに来る客のほとんどがそうだし……」



 歯切れ悪そうに、ジンがぼそぼそと言う。



「なんだ? それでは足りなかったのか」


「いえ、そうではありません。十分です」



 ウィルフレッドの言葉に店主が答え、しかしどこか困ったような顔は変わらない。



「騎士さまには、何か……求めるものが他におありでしたのでしょうか」


「なに?」


「いえ、その……こちらへは、食事を求めて来られた……のですよね?」


「灯があったから立ち寄った。腹が減ったから食事を求めた」



 訳がわからないが、店主の言葉には律儀に答えた。すると、ジンが頭を抱えるのが見えた。



「だったらなんで……、俺、がんばりましたよ? 紅さんもがんばってましたよね? ちゃんとその時代に使われていた食材選んで。ジャガイモだって使わなかったし、


 ヒルダさんのレシピ見たから、味付けもおかしい所はなかったはず……」


じゃじゃい……もポタポタ?」



 なんだそれは。ナラズッケの類似品か?


 食べ物だとは思えない、聞いた事のない物体の名前に首をひねっていると、おばばから声が飛んだ。



「ジン。だれじゃ、ヒルダとは」


「修道院のおばちゃん。ハーブに詳しい人。料理関係のことも、本に書いてたから」



 ジンが答えた。本、という言葉にウィルフレッドは耳をそばだてた。この店の者は、読み書きができるのか?



「ヒルデガルドさまです」



 店主がそっと言い添えると、おばばは思い出したというような顔をした。



「ああ……この騎士どのと同じぐらいの時代の方じゃったか。そりゃ確実じゃな。したが、あの御仁は庶民向けに書いたわけではあるまい?」


「読み書きができるのは、基本、身分のある人々ですからね……高価なスパイスは外しました。修道院関係の方も読んでいましたし、庶民の手に入る範囲の材料で、知識を伝えた者もいたはずです」



 やはり、読み書きができるらしい。この『おばば』とやらも、文字が読めるようだ。


 ジンはパン職人と言うことだった。紅も、その言葉づかいと物腰はていねいで好感が持てるが、貴族のそれではない。おばばに至っては論外だ。


 この三人は、変わっているが……おそらく庶民に分類されるだろう。だと言うのに、読み書きができる。


ミストレイク以外で、読み書きのできる庶民がこうもいるとは……。



エブリスタでの連載分をすべて移しました。あちらでは現在、お休み中。八月に連載を再開します。


作中に出てきたヒルダ(ヒルデガルド)さんは、12世紀のドイツの女子修道院長だった、ヒルデガルド・フォン・ビンゲン(ビンゲンのヒルデガルド)です。


ハーブの研究家で、医学についても造詣が深く、研究書をのこしました。


音楽家としての才能もあって、讃美歌をいくつも作曲しています。現代の音楽家によってアレンジされたCDが出ています。



なお、料理について参考にした書籍は、


「ヒルデガルトのハーブ療法―修道院の薬草90種と症状別アドバイス」著/ハイデローレ・クルーゲ


「修道院の医術―心身ともに健やかに生きるための12章 」(修道院ライブラリー)著/ルーツィア・グラーン

「修道院の食卓」(修道院ライブラリー)著/ガブリエラ・ヘルペル


「中世貴族の華麗な食卓―69のおいしいレセピー (中世の饗宴)」マドレーヌ・P・コズマン  ほか



コズマン女史の本は絶版です。この人の「ヨーロッパの祝祭典」が面白くて、中世時代にハマりました。図書館なら置いているかも。


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