表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法小路のただの茶屋  作者: ゆずはらしの
2.騎士がやって来た日。
56/79

さらに、その店では。2

「いたのか」


「はい」


「そなたの料理は、美味いな」


「ありがとうございます」



 人が側にいたのに気がつかなかった自分に妙な焦りを感じたが、店主の静かな佇まいに、落ち着きを取り戻す。少しの間、ウィルフレッドは紅を見ていたが、やがて言った。



店主ミストレス


「はい」


「俺の舌は、そう肥えているわけでもない。騎士になる前は裕福ではない暮らしをしていたし、騎士になってからも、多少、肉が食えるぐらいで、基本は庶民と変わらん。


 俺のようなものは、酒と、火で炙った熱いものが腹に入りさえすれば、満足するものだ」


「はい」


「だがそなた……、これはないだろう」


「はい?」



 ウィルフレッドは苦笑気味に、空になった碗と綺麗に平らげた魚の痕跡を見やり、もう一度紅に目をやった。



「母親が息子の為に、祖母が孫の為に、作る料理の味がする。高価な食材は使われてはおらんのに、そのはずなのに。隅々まで気が使われている。実に細やかだ。


 味わう事に夢中になりすぎて、周りに気をやることを忘れていた。騎士に警戒を忘れさせるとは。そなたの料理、罪深過ぎるぞ」



 紅はまばたいてから、微笑んだ。



「ありがとうございます」


「花、な」



 ウィルフレッドはつまんだままだった野菜を見下ろし、ひょい、と口に放り込んだ。咀嚼して飲み込み、うん、とうなずく。



「昔、母がこうしたものを良く作ってくれた」


「そうですか」


「母はな。料理の腕が良いのだ。貧しい暮らしの中でも、できる限り美味いものをと、腕を振るっていた。庭に畑を作り、野菜や香草を育てていた。俺も野や森で、食べられるものを探しては持ち帰った。


 あのころは豆や野菜ばかりで、魚もたまに食べられるものだった。肉が手に入れば、天にも昇る心地だったな……」



 ウィルフレッドは次々と野菜を食べ、最後に汚れた指を洗い、固焼きパンのふちでぬぐった。それから、今までの料理の味を思い返すかのように、目を閉じて息をつく。


 心地よかった。


 これまでになく、くつろいだ気分だった。


 その場所は暖かく、穏やかだった。暖炉で薪が燃える、ぱちぱちという音が響いている。


 ゆったりと、時が過ぎる。


 そこにいる者たちは、静かで。沈黙したウィルフレッドを特に気にかける様子もなく。しかし穏やかな気遣いをもって、彼の沈黙を尊重してくれていた。


 それが、とても。彼の心を癒し、くつろがさせていた。驚くほど。


 よみがえる、幼いころの優しい記憶。


 中には苦いものもあった。悲しみも。


 しかし、今。温かな暖炉の火を感じながら、こうしていると。全てはやわらかな何かに包まれて、痛みも悲しみも、確かにあったのに。遠くなってゆくようだった。


 耐えられぬ痛みではなかった。耐えられぬ悲しみでもなかった。


 あのころの自分には、世界が終るのではないかと思えるほどの、怒りであり、痛みであり、悲しみであったが、今なら言える。その全ては、耐えきれぬほどのものではなく。


 大したものでもなかったのだ。


 青かったのだな、と思う。俺は、随分と。未熟な人間だった。


 しばらくそうしていたウィルフレッドだったが、やがて目を開いた。それから大麦の飲み物を口にした。ゆっくりと、味わうように飲む。



「これも、うまいな。エールが欲しかったが、これはこれで良い」


「ありがとうございます」



 思い出の中の日々をもう一度、大切に胸の中にしまい直すと、騎士はそう言った。店主が静かに答え、会釈する。



「ソースの作り方を教えてもらえないか。母に教えれば喜ぶ」



 そう言うと、店主は考え込むような顔をした。それから彼女はウィルフレッドに尋ねた。



「ハーブの名前を、取り違えたりなさいませんか」


「大丈夫だ。さっきも言っただろう。俺は子どものころ、母の料理を手伝っていた。確かに騎士の中には、人参とパセリの違いもわからん者もいるが。その程度の区別はつく。ああ……それとも、何か秘伝でもあるか?」



 店主は微笑むと答えた。



「昔ながらの方法で作られた酢や塩、油、ハーブを使っているだけです。秘伝などは何も。


 魚にかけたものは、刻んだ玉葱とニンニクを酢とワインに浸しておき、ローズマリーとセージを入れて軽く煮たものです。


 野菜にかけたものは、茹でたエンドウマメを使いました。裏ごししたものを酢とワインでのばし、パセリと生姜を刻み入れたソースです。肉汁があれば、それを混ぜても良いでしょう」


「ミントの味もしたが」


「野菜の方に混ぜました」


「ああ……、手の込んだ事をするものだな」


「性分ですので」


「褒めている。よくわからんが、美味い」


「ありがとうございます」


 ウィルフレッドは、素焼きの器に入っていた大麦の飲み物を飲み干した。かすかな苦みとほのかな甘さが心地よい。薄く切られたチーズをつまんで口にする。



「このチーズは……変わった味がする」


「以前、ここを訪れたお客さまが、食事代にと置いて行かれたものです」


「悪くない。だが、食事代か。そうか。品物を置いて行く者もいるのか」



 金銭よりは、そうしたもので支払った方が良いのだろうか、とウィルフレッドは思った。



「さて。しかし、そうであれば俺は、何を、どれほど支払えば良いのかな」


「持っておる金銭で支払えば良かろう」



 つぶやいたウィルフレッドに、おばばが言った。むき出しの足を、暖炉の火で温めるかのような格好をしている。



「ぬしはおよそ、ここには不似合いな客じゃ。はよう対価を支払って、ぬるが良い」


「おまえに言われたくはないぞ。おい。足を隠せ」



 何となくむっとしてウィルフレッドが言うと、おばばは鼻で笑い、見せつけるように足を伸ばして見せた。



「なんじゃ、気になるのか。若い娘の足じゃ。眼福であろうが」


「おばばさま」



 紅と名乗った店主が、たしなめるかのように名を呼んだ。おばばは軽く眉を上げ、横目で店主を見やった。



「ふん、わしに意見をするのか、『ただ茶屋』の?」


「この方はわたしの客です。彼はここに来て、店は彼を迎え入れました。挑発はおやめください」



 柔らかい声音で、しかし意外ときっぱりとした意志を込めて、店主が言った。おばばがむっつりとした顔になる。



「はよう縁が切れるのが、こやつにとっても幸いであろう。おのが日常に戻り、ここでの事は忘れ去る。このような男には、それが」


「それは、我らの決める事ではありません。この方の道筋は、この方のものですから」



 店主の言葉に、おばばは黙った。ぷいと横を向く。



「機嫌悪そうですね~……」



 ジンが店主に言った。紅は小さく息をついた。



「いえ……おばばさまの言われるのも最もです。ここから早く、この騎士さまをお出しした方が良いというのは。


 騎士さま。よろしければ、対価をいただいてもよろしいでしょうか」



 やはり、彼らの言っている事はわからない。そう思いつつ黙ってやりとりを見ていたウィルフレッドだったが、そう言われてうなずいた。



「ああ、……銀貨で良いなら」



 そう言ってウィルフレッドは、ベルトにくくりつけてある小袋から、数枚の銀貨を取り出した。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ