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魔法小路のただの茶屋  作者: ゆずはらしの
2.騎士がやって来た日。
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さらに、その店では。1

 外から、何かの獣が甲高く叫ぶ声がした。


 しかし、それは一瞬で。扉が閉まると同時に消えた。後には妙に清澄で、平穏な空気だけが残る。



(なんだったんだ?)



 何かがあった気がする。眉をひそめたが、しかし自分には、何がどうなったのだが、さっぱりわからない。



「ご婦人。今のは」


「埃をはたいて、外に出しました」



 さらりと返され、ウィルフレッドは次の言葉を返しあぐねた。確かに、言われてみれば、この女性がした事は、埃にまみれた旅人の埃をはたき、外に追い出しただけなのだ。しかし、どうも、他に何かをしたような気がするのだが……。


「騎士さまには改めて、ようこそいらっしゃいました。ここは、ただの茶屋。わたしはここで、店のあるじをさせていただいております。どうぞ、べにとお呼びください」



 考えていると、女性が名乗った。



「べに?」


「そうお呼び下さい。そちらはジン。パン職人ですが、時折、店の手伝いに来てくれます」



 言われて青年の方を見ると、軽く頭を下げてきた。パン職人だったのか。道理で筋骨たくましいわけだ。



「おばばさまはもう、おわかりですね」


「俺はウィルフレッド。ミストレイクの騎士だ」


 おばばの方に一瞬視線を向けたが、むきだしの足が目に入ったので、ウィルフレッドは礼儀正しく目を逸らした。どうにも、あれは困る。



「騎士さまには、おなかがすいておられましたね。何か召し上がりますか。簡単なものしか出せませんが」



 すると、紅と名乗った女性が言った。それまで考えていたことを、ウィルフレッドはあっさり放棄した。



「頼めるのなら、ありがたい」



 何かを腹に入れられるというのなら、それが温かい食事だと言うのなら。振る舞いが不遜であろうが、服装がはしたなかろうが、多少の事には目をつぶる。そうだとも!



* * *



 さほど時を置かずに出された食事は、ウィルフレッドが今まで食べてきた中でも、絶品と言えるようなものだった。


 パンを浸したスープ(ソップ)。

 野菜を刻み、何かのソースをかけたもの。

 燕麦オートミールで包んで揚げた、魚料理。野菜と魚は、固く焼きしめたパントレンチャーの上に乗っている。

 同じパンの上に、薄く切ったチーズもある。

 大麦を炒った黒い飲み物。どうやら麦酒エールの代わりらしい。


 紅と名乗った女性と、ジンと呼ばれた青年が、それらを次々と運んできた。


 適当な場所に座ると、指を洗う為の水の入った木の器と、リネンの手拭きを出され、ウィルフレッドは鳴る腹をなだめながら、まず指を洗った。セージとミントを煮出したらしいその水は、清潔な香りがした。


 パンを取り上げ、スープをすくいあげ、まず一口。


 うまい。


 生姜の刺激とかすかな甘さ。タイムと、これはパセリか? とろみがあるのは、燕麦を使ったのだろうか。


 もう一口。刻み入れられた塩漬け肉を感じる。人参や玉葱も入っている。漉していないらしく、つぶつぶと、野菜や燕麦の感触が舌に触る。洗練された感じではないが、これはこれで風味を出している。


 味ととろみを楽しみながら、あっと言う間に平らげてしまう。パンがふやける間もなく、碗を持ち上げ、中身を全て空にした。


 そうしてウィルフレッドは次に、魚に取りかかった。持ち歩いている食事用のナイフを取り出し、切り分ける。スープを食べている間にほどよく冷めて、指を火傷する事はなかった。


 肉厚な魚だった。カマスだろうか。塩漬けではなく、新鮮なもののようだ。それだけでも美味いと感じる。


 かかっているのは、これは、セージか。指でつまんで口元に運ぶと、酢とにんにく、ほのかにローズマリーの香りがした。口に放り込んで噛むと、衣につけた燕麦が、ぱりぱりとしていた。


 豊かな味と香りが口の中に広がった。


 エールが欲しいな、とウィルフレッドは思った。うまい料理を食べる時には、うまいエールがあるものだ。だが、ここでは酒は出さないと言われた事を思い出し、残念に思った。しかし、店主が女性であるなら、それも仕方がないだろう。


 肉を切り分ける時、酔った男たちは、自分のナイフを振り回す。大物の肉であるなら、それこそ殺到してナイフを突き出す。押さえのきく頑丈な男がいない限り、怪我人が続出する。だから、酒を出さないと言うのはわかるのだが。


 代わりに出されている黒い飲み物に目をやり、あまり期待せずに素焼きの器を取り上げた。一口飲む。


 ウィルフレッドは、目を見開いた。


 香ばしい苦みに、フェンネルの香りとわずかな甘み。炒った大麦に、店主はフェンネルの種と、蜂蜜を入れたらしい。それがひどく心を打つ、懐かしいような、優しい味になっている。



『急がないで、ウィル。胃がびっくりしてしまうでしょう。ゆっくり、良く噛んで食べなさい』



 子どもの頃、母親に言われた言葉を思い出す。急いたように食べていた彼の速度が、少し落ちた。


 もう一度魚料理にもどり、しかし今度は、一口一口を、味わうかのようにゆっくり噛んだ。そうすると、ハーブの香りと魚の旨味が、何かの力となって、体の中に行き渡って行くような気がした。


 そうして魚も食べ終わり。彼は野菜を指でつまんだ。緑色のソースがかかっている。鮮やかな色が目に入り、見ると、何かの花びらが入っていた。



「これは、なんだ?」


「刻んだカブとレタス、酢漬けのキャベツ、タンポポの花と葉、キンセンカの花をあえたものです。エンドウマメのソースをかけました。騎士さまの好みには合いませんか?」



 ウィルフレッドがつぶやくと、側に立っていた紅がそう言った。食事に夢中になっていて、彼女が側にいることに気づいていなかったウィルフレッドは、はたとなり、そちらに目線をやった。



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