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魔法小路のただの茶屋  作者: ゆずはらしの
2.騎士がやって来た日。
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その店の中では。3

 ウィルフレッドの常識では、女性とは、長い髪をほまれとし、慎み深く足を隠すものだ。

 髪を短く切り落とすのは、罪人に対する処罰でしかあり得ない。

 他に、修道女などが髪を切り落とすことがあるが、その場合、彼女たちは必ず、体の線のわからない衣服をまとい、足はもちろんのこと、頭や首筋をきっちりと覆い隠し、生身の女性であることがわからないように装う。

 髪は、生身の女の美しさの象徴。神に仕える修道女が、そのようなものを感じさせてはならないからだ。

 目の前にいる女の栗色の髪は、痛々しいまでにばっさりと切り落とされ、首筋が見えている。

 これは修道女ではない。ありえない。では、何か罪を犯したのか。

 しかし、そういう人間に特有の、どこかが擦り切れたような、引け目を感じているかのような、そんな雰囲気は微塵もない。絹をまとう鋼のような豪胆さこそ感じられるが。

 衣服の色は、鮮やかなロイヤルブルー

 聖母の色。こうまで鮮やかな青は、相当な忍耐と技量がなければ出せないはず。

 あの大青染めの親方であるベンでさえ、こんな鮮やかで、深い青が産み出せるかどうか。

 それほどの高価で貴重な聖色を衣服に使いながら、罪深いまでに、スカートの裾は短く切られている。これは、どういう装束なのだ。


 総合すると、ウィルフレッドの目の前にいる若い女は、


 罪人のように短い髪をして、

 聖母の色を身にまとい、

 遊び女ですらおののくほどに、足を露にし、

 それでいて、女王のように堂々と胸を張り。騎士である自分に臆することもなく、対等な者であるかのように、まっすぐにこちらを見ているという存在だった。


 どのような経歴の、また、どのような身分の者であるのか、さっぱり見当がつかない。

 立ち居振る舞いや言葉遣いから見当をつけようにも、彼女のそれは、貴婦人のそれではなかったが、

 それでいてどこかしら品位があり、自分の知らない、何らかの権威を持つ者のそれに見えた。



「くれてやった奈良漬けは役に立ったかのう。喰ってみたか?」



 語る言葉はこれだったが。



「おまえ……、あの時の怪しい女か」


「怪しいも何も、わしは常にわしであるだけじゃ」


「言葉遊びはやめろ。ナ、ナラヅ、ケ? とは、この臭い代物か。これを俺によこしたのはおまえだろう」



 ウィルフレッドがその物体を懐から取り出すと、つーん、という匂いがした。服に匂いがついたかもしれない。ちょっと眉根にしわが寄った。



「あれ、奈良漬け」


「おばばさま、これを騎士さまに渡したのですか?」



 青年と女性が言い、目を丸くした。



「おばば?」



 ウィルフレッドは、二人の言葉に眉を上げた。それは、歳を取った女を差す言葉ではなかったか。すると、「わしのことじゃ」と、青い衣をまとう女が片手を上げた。



「おまえが? ばば?」


「敬意を込めて、おばばさまと呼べ、若造。年長者に対する礼儀がなっておらぬぞ」



 そう言われても、目の前の女は、小娘が少しばかり年を重ねたようにしか見えない。どう返答するべきかと思っていると、男装の女性がそっと声をかけてきた。



「騎士さま。『おばばさま』は、彼女に対する敬称でもあるのです。彼女は、この辺りで最も古株の知恵者なので。

 騎士さまも、助言をいただいたのでしょう?」


「あれを助言と言うのかどうかはわからんが、これはもらったな」



 騎士の手の中でつーん、と臭う、謎の物体。

 青い衣の女が笑った。



「ひひひ。堅物そうな騎士どのが、迷うておったのでなあ。まあ、サービスじゃな」


「サービスで奈良漬けですか……初めて見る人にはきついのじゃないですか、これ」



 男装の女性が苦笑気味に言うと、おばばと名乗る女は肩をすくめた。



「なんぞ、薄暗い力が取り込もうとしておったでな。目印代わりに渡したのじゃ。意識をしゃっきりさせるのにも、役立ったじゃろ」


「なんの話だ」



 ウィルフレッドが言うと、おばばはにやりとした。



「どうと言うこともないわ。おまえさんはな。わしに気に入られたのよ。じゃから、力を貸した。無事にたどりつけたじゃろ、ここに。

 ここはある意味、避難所のような場所でなあ。この場所にいる限り、どのような陣営の、どのような権威、力であれ、手を出すことはできぬ。

 迷いかけたのであろ? ここまでにも」



 女の言う事は、さっぱりわからなかった。しかし、何か、意味があるようにも思えた。

 迷いかけた。

 確かに、ここに来るまでに。ひどく疲弊し、何度も引き返そうと思いかけた。

 もし、引き返していたなら。

 この場所にたどりつけず、闇の中で。道を失い、さまよい続けたかもしれない……。


 どことも知れぬ闇の中をさまよい続ける自分を思い、ウィルフレッドはぞっとした。道を失ったのは確かだ。朝が来るまで、ずいぶんとかかるだろう。

 その間、狼や野犬に襲われたら。疲れ果てた自分はあっさりと、やられていたかもしれない。


 そこではたと、気がついた。



「疲れていない……?」



 体が軽い。この店に入るまで、あれほど疲れていたはずなのに。

 少し腹が減った感じはあるが……、あの、何かがのしかかってくるような、手足に岩をくくりつけられたかのような、疲労が消えている。



「しつこい者がおるからのう。わしが目をかけた迷い客に、それでもまだしがみつこう、たぐり寄せようなど、愚かしいにも程がある」



 女が言った。



「まだ、何かやってるんじゃないですか? 払っておいた方が」



 青年が、気づかわしげに言う。女は肩をすくめた。



「面倒じゃ。紅どのがやれば良かろ」


「招いたのはおばばさまでしょう。最後まで面倒を見てやっては?」



 男装の女性が言ったが、おばばと名乗る青い衣の女は、ひらひらと手を振って拒絶した。



「じゃからと言うて、なんでわしがせにゃならん。わしゃ、これまでに結構、大盤振る舞いをしてやったのじゃぞ? 

 誘惑されておるこやつに話しかけて、細かい力を払ってやり。この場所の話をして、道をつけてやり。途中、迷わぬよう加護までつけたわ。これ以上はいくらなんでも、面倒くさすぎるわい!」



 結局、『面倒くさい』に全てが集約されるらしい。







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