その店の中では。1
目の前には、湯気のたつ薬湯。
驚くほど薄く、繊細に焼かれたカップに入ったそれは、赤い色をしている。ワインの赤とは違う、大地の色が少し入った赤。
『チャ』という薬草を煮出したものだと教わった。妙な名前の薬草もあるものだ、とウィルフレッドは思った。
「本当に飲めるのか、これは?」
「体に良いのですよ」
男のような衣服をまとう、店の主人が言った。一目で上質のものとわかる、目に眩しい白い肌着。黒く染められた、妙な形の上着と下履き。こんな形のものは、見たことがない。下履きの裾が広がり、足首を隠しているのは良いが、上着の裾が短すぎる。これでは、足の形がはっきりとわかってしまう。
前掛けをつけているのが何よりだ。それがなければ、目のやり場に困ってしまうだろう。
女性と言うものは、足を隠すものだ。足を見せる、という行為は、体を売る目的があると取られかねない。足の形がはっきりとわかるような衣服をまとうのも、女性がするなら、はしたない行為になる。しかし、この店の主人はどう見ても、そんな目的があるようには見えなかった。
なぜそんな格好をしているのか、と尋ねると、わずかな間を置いた後、これは遠い国の民族衣裳だと答えられた。そうかと思って良く見れば、店主の顔だちは、異国の者のように見えた。
昔、読んだ本に、顔を隠す風習のある民族や、体中に入れ墨をするため、衣服をまとわずに過ごす民族の話があった。それを思えば、女が男の格好をする民族もいるのかもしれない。そう思ってとりあえず、ウィルフレッドは割り切った。あまりじろじろ見ないようにすれば良いのだ。
それよりも、今は。目の前の薬湯だ。
「体に良いと言えば、エールだろう。うまいエールを飲めば、大抵の病は治る。薬湯を飲むのは、年寄りだけだ」
「騎士の方はみな、そう言われますね。ですがこれは、楽しむ為に飲むものでもあるのですよ。
はるか遠い東の国では、この薬草を重んじます。どれほど位の高い王や貴族でも、また、戦にのぞむ剣を持つ者であっても、これを飲む時には、決して争わぬという約定を結んでおります。どんな戦が起きていたとしてもです」
「たかが飲み物に? そんな真似をする愚か者がいるのか?」
「愚かではありますが、その中に、知恵もまたあります。戦とは、どんな理由があったとしても、苦しみや悲しみを産み出すもの。起こらぬのなら、その方が良い。
誰かが間を取り持って、争い合う者同士が『チャ』を飲むひとときを持つ事ができれば。収まりのつかない争いが、終わる事もありますから」
「その国では、君主や司祭がいないのか。薬草がその役割を果たすとは」
「おりますが……、君主や司祭にも、手助けをしてくれる、信頼できる何かがあってもよろしいでしょう。心を込めて作られた料理や飲み物は、誰であれ、心を穏やかにしてくれるでしょう?」
「安全な料理なら、確かにな」
ウィルフレッドは改めて、目の前の薬湯を睨んだ。薬湯にはあまり、良い思い出がない。盗賊の討伐に向かう前に薬師に無理やり飲まされた、舌が曲がりそうに苦い薬湯を思い出す。血が流れてもすぐに止まり、傷の治りも良くなると説明されたが、とにかく苦かった。
そう言えば、ロード・アランにうっかり飲まされた、妙なものもあったな、とウィルフレッドは思った。あの時は、腹を下して吐きまくった後、三日寝込んだ。
あの時ウィルフレッドは、領主の差し出すものは必ず、疑ってかかれという認識を、己が身に刻み込んだのだ。とにかく疑え。怪しめ。決して安易に口にするな、と。
「安全でない料理って……、なんか壮絶な過去があったりしますか、騎士どのは」
思い返して、どんよりした気分になっていたウィルフレッドだったが、その言葉にそちらを見やった。この店の手伝いをしている青年が、黒い目を見開いてこちらを見ていた。どうも、ウィルフレッドの言葉にいろいろと、想像をたくましくしてしまったらしい。
どう説明するべきかと一瞬思ったが、面倒になった。
「騎士としては普通だ」
結局、返したのはそれだけだった。嘘はついていない。自分は、騎士としては、それほど卓越している訳ではない。鍛練はかかさないし、武器の扱いもそれなりだが、それは騎士としては、当り前の事だ。普通だと言えるだろう。
ただちょっと、主君が変わっているだけで。
ちょっと、いや、かなり。主君が変わっているだけで。
「そうなんですか?」
首をひねる青年に、ウィルフレッドは「そうだ」と答えた。詳しく説明するつもりも気力もなかった。
妙なものを怪しげな商人から仕入れては、『体力が上がるから!』とか、『運が上向きになるから!』とか言って、配下の騎士に押しつけようと企むロード・アラン。
しかも本人は、全くの善意からやっているのだ。始末に負えない。
配下の騎士や見習いに被害を被らせるわけにもゆかず、騎士団長の権限で時に怒鳴りつけ、時にきっぱり拒絶して回避しているが、それでも懲りずに、こちらの隙を見つけては、この札を試せとか、薬を飲めとか言ってくる。
善意で。
最近では、城で出される食事が安全なのか、疑わしく思えてきた。いつか自分は、主君の善意から、毒殺されるのではないか。お前の為を思っての事だという言葉は、実は暴力なのではとすら思えてくる。善意って怖い。
宙を見つめながらそんな事を考えていると、果てしなく気分が鬱々としてきた。どうして自分は、ミストレイク侯に仕えているのだろう。遍歴の旅に出るのも良いのじゃないかな。
ロード・アランに『やめてやる!』の一言を叩きつけ、旅に出る自分を想像し、うっかり本気で旅支度をしようかと考えかけたが、どうにか思い止まる。
いや、だめだ。しっかりしろ、ウィルフレッド。俺がいなくなったら、
誰が領主の暴走を止めるのだ!
「若い部下の未来を、領主の善意でつぶさせる訳にはいかない……」
苦渋の表情でつぶやいた言葉に、その場にいた全員が目を丸くした。
「善意?」
「ああ。わが主君の善意とロマンは、歴戦の勇者も倒す」
「それどんな善意? って、ロマン?」
青年は首をひねっている。意味がわからないのだろう。ああ、そうだとも。
俺だって、わがきみの頭の中身が理解できたと思えた事は、一度としてないからな!
そう考えてから、あまりうれしくないなとため息をつき。目の前の薬湯を眺め、一緒に出された焼き菓子を眺め、店の様子に目をやり、そこにいる店主と従業員の男、そして、自分がこの店に入るきっかけとなった、奇矯ななりをした若い女を見つめた。
おばば、と呼ばれていたが、どう見てもまだ若い。
だと言うのに、髪は男のようにばっさり切り落とし、見たこともない形の上着と、とんでもなく短いスカートをはき、足を見せびらかすような格好をしているのは、いかがなものか。
ウィルフレッドは、この店に入った時の事を思い返した。
紅さんが着ているのは、ギャルソンスタイルの白いシャツと黒いベスト、黒いパンツに長めのソムリエエプロンです。これが、ファンタジー世界のウィルさんには、
白いシャツ→麻の下着、シュミーズの変形。
黒いベスト→変な形の上着(コッド)。布地が少ないし、これだとあんまり防寒にならないな~とか思っている。
黒いパンツ→下ばき(ブリオー)の一種。もうちょっと足を隠してくれないかな、と思っている。
シュミーズは、現代日本では女性の下着を意味しますが、中世ヨーロッパでは、毛織物のちくちくを和らげるため、男女共に着る肌着をさしました。袖もありましたので、イメージとしては、現代のロングTシャツや、綿シャツが近いのではないかと思います。
ブリオーは、時代が下るとブルマになって行きました。ですので、ウィルさんたちにとっては、思い切り、下着扱いです。だから、女性がこれ着て足の形がわかる状態だと、「うわ、ちょっと待て」になるわけです。




