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魔法小路のただの茶屋  作者: ゆずはらしの
2.騎士がやって来た日。
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その店の中では。1

 目の前には、湯気のたつ薬湯。


 驚くほど薄く、繊細に焼かれたカップに入ったそれは、赤い色をしている。ワインの赤とは違う、大地の色が少し入った赤。


『チャ』という薬草を煮出したものだと教わった。妙な名前の薬草もあるものだ、とウィルフレッドは思った。



「本当に飲めるのか、これは?」

「体に良いのですよ」



 男のような衣服をまとう、店の主人が言った。一目で上質のものとわかる、目に眩しい白い肌着。黒く染められた、妙な形の上着コット下履きブリオー。こんな形のものは、見たことがない。下履きの裾が広がり、足首を隠しているのは良いが、上着の裾が短すぎる。これでは、足の形がはっきりとわかってしまう。


 前掛けをつけているのが何よりだ。それがなければ、目のやり場に困ってしまうだろう。


 女性と言うものは、足を隠すものだ。足を見せる、という行為は、体を売る目的があると取られかねない。足の形がはっきりとわかるような衣服をまとうのも、女性がするなら、はしたない行為になる。しかし、この店の主人はどう見ても、そんな目的があるようには見えなかった。


 なぜそんな格好をしているのか、と尋ねると、わずかな間を置いた後、これは遠い国の民族衣裳だと答えられた。そうかと思って良く見れば、店主の顔だちは、異国の者のように見えた。


 昔、読んだ本に、顔を隠す風習のある民族や、体中に入れ墨をするため、衣服をまとわずに過ごす民族の話があった。それを思えば、女が男の格好をする民族もいるのかもしれない。そう思ってとりあえず、ウィルフレッドは割り切った。あまりじろじろ見ないようにすれば良いのだ。


 それよりも、今は。目の前の薬湯だ。



「体に良いと言えば、エールだろう。うまいエールを飲めば、大抵の病は治る。薬湯を飲むのは、年寄りだけだ」


「騎士の方はみな、そう言われますね。ですがこれは、楽しむ為に飲むものでもあるのですよ。

 はるか遠い東の国では、この薬草を重んじます。どれほど位の高い王や貴族でも、また、戦にのぞむ剣を持つ者であっても、これを飲む時には、決して争わぬという約定を結んでおります。どんな戦が起きていたとしてもです」


「たかが飲み物に? そんな真似をする愚か者がいるのか?」


「愚かではありますが、その中に、知恵もまたあります。戦とは、どんな理由があったとしても、苦しみや悲しみを産み出すもの。起こらぬのなら、その方が良い。

 誰かが間を取り持って、争い合う者同士が『チャ』を飲むひとときを持つ事ができれば。収まりのつかない争いが、終わる事もありますから」


「その国では、君主や司祭がいないのか。薬草がその役割を果たすとは」


「おりますが……、君主や司祭にも、手助けをしてくれる、信頼できる何かがあってもよろしいでしょう。心を込めて作られた料理や飲み物は、誰であれ、心を穏やかにしてくれるでしょう?」


「安全な料理なら、確かにな」



 ウィルフレッドは改めて、目の前の薬湯を睨んだ。薬湯にはあまり、良い思い出がない。盗賊の討伐に向かう前に薬師に無理やり飲まされた、舌が曲がりそうに苦い薬湯を思い出す。血が流れてもすぐに止まり、傷の治りも良くなると説明されたが、とにかく苦かった。


 そう言えば、ロード・アランにうっかり飲まされた、妙なものもあったな、とウィルフレッドは思った。あの時は、腹を下して吐きまくった後、三日寝込んだ。


 あの時ウィルフレッドは、領主の差し出すものは必ず、疑ってかかれという認識を、己が身に刻み込んだのだ。とにかく疑え。怪しめ。決して安易に口にするな、と。



「安全でない料理って……、なんか壮絶な過去があったりしますか、騎士どのは」



 思い返して、どんよりした気分になっていたウィルフレッドだったが、その言葉にそちらを見やった。この店の手伝いをしている青年が、黒い目を見開いてこちらを見ていた。どうも、ウィルフレッドの言葉にいろいろと、想像をたくましくしてしまったらしい。


 どう説明するべきかと一瞬思ったが、面倒になった。



「騎士としては普通だ」



 結局、返したのはそれだけだった。嘘はついていない。自分は、騎士としては、それほど卓越している訳ではない。鍛練はかかさないし、武器の扱いもそれなりだが、それは騎士としては、当り前の事だ。普通だと言えるだろう。


 ただちょっと、主君が変わっているだけで。


 ちょっと、いや、かなり。主君が変わっているだけで。



「そうなんですか?」



 首をひねる青年に、ウィルフレッドは「そうだ」と答えた。詳しく説明するつもりも気力もなかった。


 妙なものを怪しげな商人から仕入れては、『体力が上がるから!』とか、『運が上向きになるから!』とか言って、配下の騎士に押しつけようと企むロード・アラン。


 しかも本人は、全くの善意からやっているのだ。始末に負えない。


 配下の騎士や見習いに被害を被らせるわけにもゆかず、騎士団長の権限で時に怒鳴りつけ、時にきっぱり拒絶して回避しているが、それでも懲りずに、こちらの隙を見つけては、この札を試せとか、薬を飲めとか言ってくる。


 善意で。


 最近では、城で出される食事が安全なのか、疑わしく思えてきた。いつか自分は、主君の善意から、毒殺されるのではないか。お前の為を思っての事だという言葉は、実は暴力なのではとすら思えてくる。善意って怖い。


 宙を見つめながらそんな事を考えていると、果てしなく気分が鬱々としてきた。どうして自分は、ミストレイク侯に仕えているのだろう。遍歴の旅に出るのも良いのじゃないかな。


 ロード・アランに『やめてやる!』の一言を叩きつけ、旅に出る自分を想像し、うっかり本気で旅支度をしようかと考えかけたが、どうにか思い止まる。


 いや、だめだ。しっかりしろ、ウィルフレッド。俺がいなくなったら、


 誰が領主の暴走を止めるのだ!



「若い部下の未来を、領主の善意でつぶさせる訳にはいかない……」



 苦渋の表情でつぶやいた言葉に、その場にいた全員が目を丸くした。



「善意?」


「ああ。わが主君の善意とロマンは、歴戦の勇者も倒す」


「それどんな善意? って、ロマン?」



 青年は首をひねっている。意味がわからないのだろう。ああ、そうだとも。


 俺だって、わがきみの頭の中身が理解できたと思えた事は、一度としてないからな!


 そう考えてから、あまりうれしくないなとため息をつき。目の前の薬湯を眺め、一緒に出された焼き菓子を眺め、店の様子に目をやり、そこにいる店主と従業員の男、そして、自分がこの店に入るきっかけとなった、奇矯ききょうななりをした若い女を見つめた。


 おばば、と呼ばれていたが、どう見てもまだ若い。


 だと言うのに、髪は男のようにばっさり切り落とし、見たこともない形の上着と、とんでもなく短いスカートをはき、足を見せびらかすような格好をしているのは、いかがなものか。


 ウィルフレッドは、この店に入った時の事を思い返した。


紅さんが着ているのは、ギャルソンスタイルの白いシャツと黒いベスト、黒いパンツに長めのソムリエエプロンです。これが、ファンタジー世界のウィルさんには、


白いシャツ→麻の下着、シュミーズの変形。

黒いベスト→変な形の上着(コッド)。布地が少ないし、これだとあんまり防寒にならないな~とか思っている。

黒いパンツ→下ばき(ブリオー)の一種。もうちょっと足を隠してくれないかな、と思っている。


シュミーズは、現代日本では女性の下着を意味しますが、中世ヨーロッパでは、毛織物のちくちくを和らげるため、男女共に着る肌着をさしました。袖もありましたので、イメージとしては、現代のロングTシャツや、綿シャツが近いのではないかと思います。


ブリオーは、時代が下るとブルマになって行きました。ですので、ウィルさんたちにとっては、思い切り、下着扱いです。だから、女性がこれ着て足の形がわかる状態だと、「うわ、ちょっと待て」になるわけです。


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