自己紹介と、死んだふり。2
「死んだふり」
「はい」
「なぜとお尋ねしても、よろしいでしょうか」
「あう、えと」
神妙な顔のティラミスに、つられて店主も神妙な顔で尋ねた。ティラミスは、あうあうと口の中で何か言っていたが、やがて、がくりと肩を落とした。
「えと、つまり。転んでしまいましたので」
「はい」
「起き上がろうとは思ったんですが」
「あ、腰か背中を強く打ってしまったのですね」
それは起き上がれないだろう、と思って店主が言うと、「いいえ」という言葉が返ってきた。
「あの、確かに転んだ当初は痛かったんですが。なんでか、途中から、体が軽くなってですね? 痛みがなくなったと言うか」
それは、と思い、店主はふと、妖精たちのことを思い出した。それほど悪いものの感じはしなかった。
盛大に転んだティラミスを見て、やりすぎたと思ったのかもしれない。
すりむいただけで済んだと言うのも、そのうちの誰かが、傷を治すような術を使ったのだろう。
「それであの、起き上がろう……とは思ったのですが」
「はい」
ティラミスは小さくなった。顔がますます赤くなっていた。
「誰かがその……やって来た、ので。あの。店主さんが。えと。誰かと話している? 風でもありましたし」
「はい」
ああ、あの会話は聞かれていたのか、と店主は思った。妖精たちの姿は見えなかったはずだ。この小路のことを知らずに入ってきた客なら、宙に向かって会話する、変な人だと思われたのかもしれない。
「それであの」
「はい?」
ティラミスは、しばしうつむいていたが、やがて勢い良く顔を上げて叫んだ。
「すっ転んで大の字になってるわたしを目撃されちゃったわけじゃないですかっ! 大勢に!
むっちゃ恥ずかしいって言うか、恥以外のなにものでもないですよっ!
だからとりあえず、死んだふりしとこうと思ったんです怪我とか全然なかったんですごめんなさい~~~っ!」
「……」
だから、なぜ死んだふり。
何を言うべきか迷った店主だったが、真っ赤な顔で、やりとげた! と言わんばかりにこちらを見ているティラミスを見て、突っ込むのはあきらめた。
と言うか、何を言うべきかわからない。
だからとりあえず、こう言った。
「クマに出会ったら死んだふり、というのは迷信ですから。それ、やったら、逆に命が危ないですからね」
「えええっ! そうなんですかっ?」
「そうです。それよりは、囮になるような荷物を目につく所に投げて、クマの注意をそちらに向けてから、ゆっくり歩いて逃げて下さい。走ると注意をひいてしまいますから……ええと、とにかく。
怪我がなくて良かったです」
これはスルーと言うのだろうか。と思いつつ。
「はいっ! いろいろ詳しいんですね、店主さん」
ティラミスはしかし、そうは思わなかったらしい。うれしそうに笑って言った。
天然。
という言葉が店主の頭に浮かんだ。
「あああ、でも恥ずかしかった……他にいた人たちも笑ってたんじゃないですか?」
「いえ誰も。大丈夫ですよ、そんなにひどい格好ではなかったですから」
「良かった……あ、店主さん。あの、良かったら、こっちで食べてくださいませんか。ちょっとこれじゃ話しづらいし、一人でテーブルに座っているのも、なんだか気づまりで」
「そうですか? では、そちらでお茶をご一緒しましょう」
ベーグルサンドは、ほとんどなくなっていた。店主は、最後の一口を咀嚼すると、自分用のナプキンで口元をぬぐい、カップを取り上げた。
客に出す薄手のものとは違い、少しぽってりとした、古ぼけたカップである。
受け皿と共にそれを持って、ティラミスの座るテーブルに向かって歩く。
ことり。
テーブルにカップを置くと、店主は席についた。向かい合うようにして座った店主に、ティラミスは軽く頭を下げた。
「改めて、ありがとうございました。泥を落とすのにタオルやおしぼり、貸して下さって。怪我の手当てもしてくれて。
ティラミスです。この近くの会社に勤めています」
「紅です」
店主も会釈して答えた。
「べに? さん?」
「くれない、と書いて、べに。紅茶の紅の字」
店主が宙に指で書いて見せると、ティラミスは、ああ、という顔をした。
「口紅の赤のルージュ、情熱のサンバの燃える赤ですねっ!」
「……」
そのたとえは、どうよ。と、店主は思った。
「できれば、紅茶の紅で覚えていただければ」
「そうですか?」
「自分が真っ赤な口紅つけて、サンバでルンバな踊りをしている姿を連想してしまいますので」
「サンバでルンバ……」
なぜかティラミスは、衝撃を受けたような顔をした。
「あああ、ダメです、店主さんはそんなこと言っちゃダメ~ッ! サンバでルンバだなんて、イメージがっ!
止まれ! 止まるんだ、わたしの頭! 踊る店主さんを想像しちゃダメ~~~っ!!!」
うん。
やっぱりこの人、天然だ。と、店主は思った。