●番外編 花粉症ですね。3
* * *
「ほわほわ~……」
体がぽかぽかとして、温かい。
店主が持ってきたバケツには、温かい湯が入っていた。塩も少し、入っているらしい。
そうしてその湯には、ラベンダーとローズマリー、菩提樹の花や、セージを煮出した薬液も入っている。煮出したハーブの優しい香りが立ちのぼり、もうそれだけで幸せー、という気分になる。
ティラミスは肩に大きめのバスタオルをかけてもらい、もう一度、お茶に浸したコットンを顔に乗せてもらっていた。
ああもう、何でも良いや。幸せだから。
そう思っていると、店主がひょい、と屈んだ。
「じゃ、ツボを押しますね」
「えわ? えう? あわわ?」
ひょい、と素足を持ち上げられ、わきゃ~! と騒ぐ間もなく。
ぐいぐいぐいぐい。
押された。引っ張られた。また押された。
「えうあわえおわ? あわ……あ、あいたっ!」
ぐい、と押された所が痛くて、悲鳴を上げる。
「あー、体の中身が弱ってますね。あ、力抜いて。はい、リラックス」
「えええええ」
「ほにゃーんとしてて下さい。体に力が入ってると、痛く感じるので」
「ほにゃーんとしてても、さっきのは痛かったですよう」
涙目になって言うと、「体ががちがちになってるんですよ。少し、ほぐしておきましょうね」と言われた。
それから、ぐいぐい、あちこち押された。最初は痛いと感じるところもあったのだが、押されているうちにだんだん、何だか気分が良くなってきた。
あ、あれえ? なんだか、眠くなってきた??
「よいしょっ、と。本当は、男性に押してもらう方が良いんですがね。わたしの手では、力が入りきらないし」
そう思っていると、店主が言った。
「男の人?」
「男性の手で、足を揉んでもらうと、かなり楽と言うか。体がほぐれますよ」
「いや、あたし、男の人にこんな足見せるとかちょっと恥ずかしいから! 紅さんに見せるのも恥ずかしかったんですよ、見せられないですよ!」
思わずそう言うと、店主が笑った。
「それなら心を許せるパートナーを見つけて、揉んでもらっては?」
「えう?」
「恋人に揉んでもらうのも良いでしょう?」
「そんな人~……いません~」
何だか気まずくて、うつむいて、小さな声で言った。店主が笑った。
「今はいなくても、何が起きるかわかりませんからね、人生は。七十歳を過ぎた女性が、十代の少年と恋に落ちることだってあるし」
七十過ぎた女性と十代の少年?
「ええ!? マジ!?」
思わず顔を上げて叫ぶ。
「マジ。二人とも真剣でした。幸せそうでしたよ?」
懐かしいものを思い出すような眼差しをして、店主は小さく微笑んだ。
(知り合い? かなあ?)
そんな店主を見て、ティラミスは思った。詳しく聞きたい。けれど。
尋ねるのは、ためらわれた。
(『でした』って言った)
ティラミスは思った。
(『過去形』、だった)
懐かしいものを思い出すような、店主の表情にも。触れてはならない何かがあるような気がした。
「すごい人たちが、いたのね」
だから、ただ、そう言った。店主はティラミスの方を向くと、「はい」と言ってうなずいた。
「周囲から、かなり反対されていました。でも、お互いに真剣でしたからね。
七十代でも恋はできるし、十代でも真剣な恋はできます。
共にいられる時間が短くとも、お互いに……相手を人間として尊重しあい、
お互いの人生に深みと喜びをもたらすことはできる。わたしは、彼らを見て。彼らから、そう教わりました。
ですから、本当に。何が起きても不思議ではないんですよ……あなたの人生にも」
それから、店主は改めて、ティラミスの足を持ち上げた。
「と、言うことで。教えておきますね。覚えておいて、恋人ができた時にやってもらって下さい。もちろん、自分でもできますよ。
花粉症に良いツボは、足に集中しています。
まずは、足の指をこう……、一本ずつ、よくもみほぐして下さい。こうやって、一本ずつ引っ張って。揉んで」
ぐいぐい。ぐいぐい。
「あ、あにゃ、はにゃ」
「鼻の通りを良くするツボは、足の親指にあります。引っ張ったり、爪の横を押したりして下さい。
リンパの流れを良くするのに、ここを……、こう揉みます。上下にこすって。
湧泉というツボが、ここ、土踏まずの辺りにあります。ここは、体力を上げるツボで。疲れた時にも、ここを揉むと効果的ですよ」
ぐいぐい。ぐいぐい。
「は、はわわ、ひわわ」
「痛みを感じたのは、ここですね。足首の前の骨と、くるぶしの間のくぼみ。
ここを揉んで、痛いと感じるのは、冷え性の人が多いんです。上下にこすって、……ゆっくり揉んで下さい。
このあたり、足三里というツボがあります。ここも、血行を良くします。」
ぐいぐい。ぐいぐい。
「ほ、ほにゃ、ひにゃ~~!」
ちょっと、痛かった。
「で、でもなんだか気持ち良いと感じている自分がいる……」
「あはは。もう片方の足も揉みますから、寝ちゃって良いですよ」
「うう……、ね、寝ません! 寝ませ……、寝、」
ぐう。
ハーブの香りが心地よく、体も程よく温まり。気がつけば、ティラミスは寝こけていた。