家臣は新たなる奈良漬けにがっくし。5
ひとしきり笑った後、黒衣の人物は、ウィルフレッドの方に向かって歩いてきた。互いの顔がわかる程度の距離まで来て止まる。
相手の見事な笑いっぷりに毒気を抜かれていたウィルフレッドだったが、その距離の取り方に、警戒すると同時に感心する思いを抱いた。相手の表情はわかるが、剣の間合いからは外れている。そういう絶妙な距離を取っていたからだ。
「ご婦人。何をそれほど笑っていた」
しばらく待っていたが、何も話さない相手に、ウィルフレッドは問いかけた。
「大したことではない。騎士どのの対応に、興を抱いたまで」
フードを深くかぶった相手の顔だちは、はっきりとしない。しかしその声は、張りのある、若い女性のものだった。言葉づかいにも淀みがなく、しかし、身分がわからない。彼女の言葉づかいは、平民ならば、ていねい過ぎた。さりとて貴婦人ならば、砕け過ぎている。
「俺の言動のどこに、興じるところがあった」
「主を笑ったわけではない。騎士どのは、まじめに相手に対しておったさ。見誤ったのはあちらじゃ。ただ、」
くっく、と肩を震わせてまた笑うと、その人物は言った。
「いかなる男も思いのままと、己が手管に自信満々であっただろうに……『ノミがいたりするからな』……ぶ、くくっ」
そのままぷるぷると震え、前かがみになって、また笑いだす。ウィルフレッドは自分の発言を思い起こした。
『サー・ウィル! あなたの言動、女性に対して気遣いがなさすぎるわよ。もう少し繊細さと言うか、デリカシーを持ちなさいな』
以前、レディ・アリシアにそう言われて叱られた。母や妹のローズからも、似たような事を言われた。
何か、まずかったのだろうか。
ウィルフレッドは窓から手を差し伸べていた貴婦人に対し、どんなことを言ったか思い返してみた。気遣いはできていたはずだ。敬意も表したし、相手の弱みにつけこむような真似もしていない。
では、あれか。
『ノミ』の一言がまずかったのか。
「デリカシーとやらのない発言だったか。しかし、女性にかゆいのだろうとは言えないだろう」
「まだノミだと思っておるし! うはははは!」
真面目な顔で騎士が言うと、ついには相手は地面に膝をつき、げらげらと笑いだした。そこまで笑う事もないだろうに。
自分の言動のどこがそれほどおかしかったのかと、ウィルフレッドは首をひねったが、これは若い娘なのだと思いなおした。
そうだ。若い娘とは、何もない所で突然、きゃらきゃらと笑い出したりするものだった。
「いや、主の考えておる事は、ちいとばかし違うからの」
するとなぜか、うずくまって笑っていた相手が突然、顔を上げて言った。
「違うのか?」
なぜ自分の考えていることがわかるのだ、と思いつつ言葉を返すと、よっこいしょ、と年寄りじみたかけ声と共に、黒衣の人物は起き上がった。
「言うたであろう、あれは見誤ったのよ。騎士どのは、ここに迷い込んだ当初、妙に殺気立っておったからな」
「殺気立つ……?」
そんな真似をしたか? と首をかしげる。
「どこぞの誰かに怨みを抱き、今にも剣を振りかざして駆け出しそうな様子であったわ。それで、あれは己が獲物と思ったのよ。
怨みを抱く者には、相応しき扉が開くでな」
「怨み……ああ」
ウィルフレッドには、相手の言葉の半分ほどは良くわからなかったが、『殺気立つ』の理由がそれなら合点がいった。
「わが君の事を思い出していたからな。無論、そうだろうとも」
うなずくウィルフレッドに、黒衣の人物は、不審そうな視線をよこした。
「わが君……ということは、仕える主君じゃな。なんじゃ。主の主君は、それほど非道な相手なのか?」
「領民に対しては公平だが、配下の騎士に対しては非道だ」
「普通、逆なんじゃが……いったい、どんな真似をするのじゃ?」
ぐっ、と拳を握ると、力強くウィルフレッドは言った。
「ロマンの追求をする」
「どんな非道なんじゃ、そりゃ」
呆れたように相手が言ったが、ウィルフレッドは真顔でそれに答えた。
「恐ろしく非道な行いだとも」
力強い一言だった。
しばしの沈黙。やがて、黒衣の人物は咳ばらいをした。
「そうか。ま、……色々あるわな」
この話題を突っ込むのはあきらめ、流すことにしたらしい。そのまま何事もなかったかのように、言葉を続けた。
「問題はじゃな。主がその非道な主君に対し、何らかの裏切りや、弑逆を企んだりしとらんか、という事じゃ」