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魔法小路のただの茶屋  作者: ゆずはらしの
2.騎士がやって来た日。
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家臣は新たなる奈良漬けにがっくし。3



 ゆらり。

 ゆうらり。



 腕が、揺れて手招く。

 人々のざわめきが、騎士を包んでいた。ざわめきにはどこか、嘲るような、誘うような響きがあった。


 それは、上品な女性の腕に見えた。

 すんなりとして白く、手入れが行き届いて美しい。影の中でひらひらと舞う様は、男を誘惑しているかのようにも見えた。

 ウィルフレッドの視線が、近くの窓から見える手に止まる。

 彼は、ゆっくりとそちらに歩み寄った。手招く腕は、ウィルフレッドが一歩進むごとに、なまめかしく、焦らすように動いた。


 ついに窓の近くで彼が立ち止まると、腕は、自身の美しさを見せつけるかのように、柔らかく、なよやかに動いた。すっ、と影の中から伸び、この手を取れと言わんばかりに宙で止まる。

 触れてみたいと思うような、淑やかな手。淑やかでありながら、誘うような色香が漂う。

 男が夢見る貴婦人の手であった。目の前にあれば、触れてみたいと手を伸ばさずにはいられないだろう。……通常の男ならば。


 しかし、忘れてはならない。ここにいるのは、サー・ウィルフレッド・ホーク。

 ミストレイクに名高い、朴念仁を究めた男であったのだ。


 ウィルフレッドは、自分に向けて伸ばされた手を見下ろした。そして、ふー、と息をつくと、



「ご苦労である。そなたらの任は果たされたゆえ、あとは安んじて帰られよ」



 と、言った。


 ざわめきが消えた。

 同時に、腕の動きも止まった。



「わが君が、どのような難題を押しつけたかは知らぬが。このような所まで来て働かねばならぬとは、申し訳ないことをした」



 真面目な顔で騎士は言った。ウィルフレッドの脳裏では既に、ここにいる住民たちは、ロード・アランに雇われた『ロマン追求の為の人員』に決定されていた。

 すんなりした手は手入れが行き届いている。農民や、職人の手ではない。

 そのような手を持つ女性は、身分の高い貴婦人。それぐらいは彼にもわかる。

 そうした女性を引きずり込んで、ロマンを追求するとなると、領主はいったい、どのような無理を押し通したのか。また、この女性たちにも、どのような葛藤があったのか。



(あれだ。きっと身分はあるが、金策に困っている領地の貴族の娘か奥方たちだ)



 そういう女性たちが、豊かな領の領主や奥方の縁故をたどり、行儀見習いと銘打った侍女奉公や、話し相手などを勤めることがあると聞いた事がある。

 その領の奥方にうまく引き立てられ、結婚相手を見つける幸運に恵まれることもあれば、弱い立場であることにつけこまれ、無理を通されることもあると。


 この手の持ち主も、そういう女性だろうとウィルフレッドは思った。


 ロマン追求にまっしぐらな領主には、女性の微妙な立場などわからない。まず自分の欲求が優先される。


 あの領主のことだから、『よし、ロマン追求するぞー』と叫び、(←いつもの事)

 人手が足りない、ああ、ちょうど行儀見習いでうちに女の人が来るじゃないかーと呑気に喜び、(←レディ・アリシアに見つかったら雷が落とされるのだが、思いついた時は大抵、忘れている)

 だったら頼んで良いよね、と、発揮しないで良い行動力を発揮し、(←これもいつもの事)

 何がなんだかわかっていない、貴族の女性たちに『これやって!』『あれやって!』と命じる。


 本人はただ頼んでいるだけのつもりだが、立場の弱いものからすれば、領の最高責任者の発言は、命令に等しい。


 その辺りの気遣いはしかし皆無。その結果、命じられた相手にすべてしわ寄せが行く。


 この女性もそうしたロード・アランの気まぐれの犠牲者だろうと、ウィルフレッドは思った。自分の経験からも、かなり詳細な想像までしてしまった。



「まことに、申し訳ない」



 それゆえ、彼の発言は、実感の籠もったものになった。ウィルフレッドにとってどれほど領主が信用がない、いや、ある方向に向けては、必ずやらかすだろうという、多大な信用があるのかがわかる。



「皆はしっかりと責務を果たしたと伝えておくゆえ、安心して帰られよ」



 真顔で騎士は言った。

 一方、慌てたのは腕の方である。

 窓から美しい女性の腕が伸び、それがゆるやかに男を差し招く、という状況は、少し考えればわかるだろうが、


 あきらかに誘惑である。


 であるのに、この男は、自分に触れようともせず。

 帰れと言った。二回も。

 かつてない事である。


 それでも、腕はがんばった。


 凍りついたように停止していたのが、気を取り直したのか、さらになまめかしく、あからさまな色香を放ちながら動いた。ウィルフレッドの歓心を買おうとでも言うように。


 ほうら。わたしの手はきれいでしょう? 触りたくならない? この手の持ち主もきっと、きれいだと思うでしょう?

 だから、ほら、わたしの手を取って。ねえ。あなたの好きにして良いのよ……?


 そのような言葉が聞こえてきそうな、露骨な媚態だった。

 しかし、くどいようだが、ここにいるのはサー・ウィルフレッド・ホークである。

 秋波を浴びせる娘たちのことごとくを、無意識に回避。と言うか秋波が浴びせられていた事すら気づかなかった男。

 まばたきをして見せる娘には、『目がかゆいなら洗った方が良いぞ』と助言し、

 体をくねらせる娘には、『腹が冷えたのか。くだす前に温めておけよ』と言ってのけた、ある意味最強の男である。


 そういう男に果たして、通じるだろうか。


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