家臣は新たなる奈良漬けにがっくし。2
一瞬で様変わりした周囲の様子に、ウィルフレッドは唖然として立ち尽くした。
先ほどまでは、廃村と思わざるを得なかった場所。それが今では、活気のある集落にしか見えない。
何が起きた。
頭の中にあるのは、その一言。しかし、それで何かがわかる訳でもなく。とまどいながらウィルフレッドは、話し声や笑い声、音楽の低く響く通りを見回した。
薄暗い夕闇の気配は、ともされた灯で追い払われている。どこからか、煮炊きをする食事の香りが漂ってくる。
そう言えば、空腹だ。ウィルフレッドは思った。しかし、こんな怪しげな場所で、何かを食べたり飲んだりできるのだろうか?
とりあえず、歩いてみようと思い、ふと横を見ると。
上げられた戸板の影から、こちらを手招く手が見えた。
家の中には、灯がともされている。だから明るいはずなのに、なぜか顔も体も見えない。
見えるのはただ、肘から先だけ。男の手か、女の手かは、影になって判然としない。その手が、ゆうらり、ゆうらりと揺れて、こちらを招いている。自分を凝視している気配と共に。
うそ寒い思いがした。
思わず見つめてしまったが、どうにか視線をそれから引き剥がし。別の家を見たウィルフレッドは、眉をひそめた。そこからも、ゆうらり、ゆうらりと、白っぽいものが動いているのが見えた。
手だ。それが自分を手招いている。こちらに来いと。
周囲を見回すと、そこにあったあらゆる家屋の窓が、戸板が上げられて光が漏れだしているのが見えた。
どの窓にも一本の手があった。
どの手も、ゆうらり、ゆうらりと揺れ、手招いていた。こちらに来い。こちらに来いと。
何だこれは。何の冗談だ。
ウィルフレッドは眉間にしわを寄せ、目を眇めた。
「斬新ではあるが。客の呼び込みにしては、いろいろと間違えてはいないか?」
揺れる腕たちをしばらく眺めていたが、やがてウィルフレッドは、ぼそりと言った。
家の外に出る事なく、窓から手をゆらゆらさせているだけのこれに、何の意味があるのか。
売り込みたい商品があるのなら、それを客に見せるのが商売人というものだろう。何を売り込みたいのかは知らないが。
それでいて、食い付かんばかりにこちらを見ている気配は変わらない。
これは、あれだ。
母と妹に引きずられ、買い物に出向いた先で、見た目は上品に笑顔をたたえていたが、売り込みたい商品やら布地やらを山ほど並べて見せた、商売人たちのぎらつく眼差しや気配にそっくりだ。
だからよほど、売り込みたいものがあるのだろうとは思うのだが。先ほどから、ただ手をふらふらと揺らしているだけで、それ以上の動きがない。
何がしたいのだ、とウィルフレッドは思い、揺れている腕を見つめた。そこで、はた、となる。
「まさか」
ウィルフレッドは、周囲で揺れる腕を睨んだ。
「わが君がまた癇の虫を起こして、商人を雇い入れ、ここでロマンの演出をはかったのではあるまいな?
探索の騎士に謎の出会いがあると、物語的に盛り上がるとか何とか言って」
ロマンの為なら無茶をも通す、ミストレイク侯ロード・アラン。
村一つを作り上げたあげく、人を雇い入れてロマンの演出をするなど、いくら何でも費用がかかり過ぎる。ただでさえ領地の運営に頭を悩ませているデイヴィッドやレディ・アリシアが許すわけがない。
ではあるのだが、如何せん、今までの行動が悪かった。あの領主ならやりかねない、とウィルフレッドが思うほどには、彼は配下の騎士に対して、実績を積み上げてしまっていた。
「騎士を何だと思っているんだ、あのクサレ領主は……」
据わりきった目でウィルフレッドがつぶやく。次第に、彼の周囲にどんよりと重いものが立ち込め始める。
すると、窓からのぞく腕の動きに変化があった。なぜか、いきいきとし始めた。喜々とした感じにも見える。
そうして、ぼんやりと浮かんでいた腕の形が、次第にはっきりとし始めた。