禍福は糾える縄の如し。3
「兄上。これでは、話が進まないではありませんか」
ため息交じりの声がそこで、割り込んだ。ウィルフレッドは、そちらに目をやった。
部屋に入った時から、静かにたたずんでいた青年が、あきれた眼差しで二人を見ている。
ジ・オノラブル・デイヴィッド・ウィリアムソン・ミストレイク(ウィリアムの息子、ミストレイクの侯弟デイヴィッド)。
ロード・アランの弟である彼は、すらりとした体躯の優男で、兄を助けて領の運営を手伝っている。暗い金髪に、灰色みの強い榛の目。兄と同じような色彩をまといながら、穏やかな印象を与える青年だった。
与えるだけで実際は、腹黒い愉快犯みたいな人物だが。
領地の運営は実のところ、彼とレディ・アリシアの手腕により成り立っている。
「デイヴィッドどの」
「サー・ウィルフレッド。兄の脱線ぶりを許してもらえるかな。君の気持ちもわかるけれど」
デイヴィッドはちらりと兄を見やった後、真面目な顔で言った。
「正直言って、兄のロマンに付き合ってくれる君には、多大な敬意を抱いているよ。僕なら三回に一回は、確実に死んでいる」
「そこまで無茶な命令は、出しておらんぞ」
困惑気味に言うロード・アランに、デイヴィッドは一見優しげ、しかしどことなく黒い笑みを向けた。
「兄上。ならば、兄上ご自身が、サー・ウィルフレッドのたどった、兄上自身の出された命令による旅路をたどってみられますか。僕は絶対に嫌ですけどね」
「いや……しかし。そんなにひどい旅ではなかっただろう、ウィルフレッド?」
振り返っておのが騎士を見たロード・アランは、青ざめて硬直した。
鬼がいる。
これ以上はないというほどの凄まじい目付きでこちらを睨む、鬼がいる!
「さささささ、サー・ウィル!?」
「無茶な命令は、出して、ない?」
ゆっくりと繰り返された自分のセリフに、ロード・アランは総毛だった。怖い。なんだ、この迫力は!
「だ、出しておらんだろう」
「言い切る根拠はなんですか」
「おまえはいつも、無事に戻って来るではないか!」
ウィルフレッドから殺気が放たれた。領主は縮み上がった。
「無事? 無事と言いましたか、今?」
うわー、という声がして、デイヴィッドがすすす、と後ろに下がった。
とことん荒みきった眼差しでおのが主を睨みつけながら、ウィルフレッドは静かに言った。
「ご領主。草の根を掘って食べながら、さまよう旅に出てみられますか。餓えで目の前が暗くなり、明日が来るのか信じられない気分が味わえますよ。
群れなす狼に追いかけられ、森をさまよう毎日をすごしてみられますか。死を覚悟する気分がおわかりになるでしょう。
行けども行けども先の見えない湿地で、沼ヒルに食い付かれ、肌がただれ、骨にまで痛みが達する日々を送りたいと言うのなら、俺は是非、供をさせていただきます。
なに。『無事』には過ごせますよ。ご領主の言われる『無事』が、命さえあればという意味なら。
俺が過ごした通りの日々を、実際に味わっても大丈夫でしょう。『無事』に生きて戻れますとも」
一言一言に、おそろしく重みがあった。
「兄上。早いとこ謝ってしまいなさい」
デイヴィッドが声をかける。ウィルフレッドの気迫に呑まれていた領主は、あわあわしながら、それでも自分を正当化しようとして言葉を探した。
「あ、う、その。そこまで、怒らずとも。心が狭いぞ、ウィルフレッド。ちょっとした、ロマンではないか……!」
デイヴィッドが、あちゃー、と言いつつさらに部屋の隅に下がる。それから彼は、自分の耳を素早く手で覆った。
ウィルフレッドは息を吸い込んだ。そして叫んだ。
「ロマンで人を死に追いやるな、どグサレヘタレ阿呆領主~~~~っっ!!!」
城中に響きわたる程の、大音量の叫びだった。
至近距離で聞いてしまったロード・アランは床に沈んだ。デイヴィッドは無理もないと同情しつつ、その声量にしばらく、気の遠くなる気分を味わった。
いろいろと規格外な実力と、風評を誇る男、ウィルフレッド・ホーク。
怒鳴り声の迫力と大きさもまた、規格外である。
ミストレイク侯は、伯爵より上の、辺境伯です。で、ロード(領主、城主)。
その弟のデイヴィッドは、オノラブル。次男なので、貴族ですが、ロードとは呼ばれません。
で、このオノラブルをどう訳すかで……日本語にないので、困りました。直訳すると、名誉ある人、とかいう意味なんですが。
当主の次男や、長男の息子や娘につきます。
口語ではしかし、普通にミスター、ミスらしいです。
なお、『ピーター卿の事件簿』というミステリでは、「爵子」と訳しているそうです。造語だそうです。
辺境伯は、
元はフランク王国の、軍務関係の身分。ドイツ語マルグレイヴ。
国境の領地で、普通の伯爵より強い権限を持っていた、司令長官みたいな役職です。
ドイツのみ、それが世襲制みたいになって残りました。
英国では、実力のある伯爵に与えられる称号みたいになりました。
なので、ドイツのみ、訳すときには辺境伯、
他の国は侯爵、と訳すようです。伯爵と公爵の間の身分です(公爵は王家の分家とか、縁続きであることが多い)。
基本的な身分は伯爵とさほど変わりませんが、敵国と接している事があったり、紛争地帯の近辺にいたりするので、
様々な所で、かなりの権限が認められている。
……と、考えて下さい。
この世界、一応、身分制度は、王の下、公、侯、伯、子、男、の順番ではあります。