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魔法小路のただの茶屋  作者: ゆずはらしの
2.騎士がやって来た日。
26/79

ミストレイク城の午後。2


「では、少し身ぎれいにしてから伺います。城主の部屋でよろしいのでしょうか」


 気を取り直してウィルフレッドが確認を取ると、奥方は「ええ」と言ってうなずいた。


「わかりました。しかし、この城の女主人であるあなたがわざわざ、一介の騎士を呼びに来るなど、あまり感心しません。次からは、侍女か小姓に申しつけて下さい」


 供も連れず、裏庭にやって来たレディ・アリシア。高貴な身分の女性が一人で歩き、半裸の男に話しかけるなど、あまり褒められた行いではない。

 しかも、彼女はまだ若く美しい。悪意ある目で見られたなら、どのような噂が流れるか、わかったものではないのだ。

 そう思ってウィルフレッドは忠告した。しかし、レディ・アリシアは軽く眉を上げると、きっぱりとした態度で言った。


「わたくしの振る舞いは、わたくしの決めること。それこそ一介の騎士であるあなたが決めることではないわ。

 わたくしは城の女主人として、またこの領の女主人として、采配を振るい、指示を出し、城に勤める女たちを率い、また村人たちの面倒を見ている。

 そのわたくしが、城に仕える忠実な騎士に声をかけたからと言って、身分に相応しくないなどとは言わせない。誰にも文句は言わせません。

 あなたにもです、サー・ウィルフレッド」


 その態度にも、言葉にも、女主人としての誇りがにじみ出ていた。この方は、確かに、言うだけの事はしている。そうウィルフレッドは思った。


 城と言うのは、ある意味、生き物だ。


 何十人、時には百人近い人間が城の中で働き、城を城たらしめる。

 男たちをまとめ、外敵に対するのが城主の役目なら、

 人間が暮らしやすい場所となるよう、城の中を整え、奥を取り仕切るのが城主の妻、女主人の役目だ。

 それは時に、鋼のような意志を必要とする。

 城で働く女たち……多くの部下を、従わせねばならないからだ。心の弱い女主人では、なめられる。

 そうして下のものが好き勝手をし始めれば、

 それは混乱となり、……領の中心である城の乱れは、やがては領すべての混乱となってゆくのだ。


 レディ・アリシアは、城で働く女たちを、実に見事に取り仕切っていた。


 また、彼女は、城下の村々にも良く顔を出した。貧しい者が暮らしてゆけるように気を配り、城で育てた薬草を、病や怪我に倒れた村人に渡しに行く事もしていた。

 それもまた、強い意志の現れだ。なよやかな貴族の姫君は、時に下々と関わることを嫌がる。

 着飾った姫君が、薬草を育てるために泥だらけになっていたレディ・アリシアを見て、嘲るような笑い声を上げたのを、ウィルフレッドは見た事があった。

 レディ・アリシアはしかし、頓着しなかった。はっきりとした意志を持って彼女は、『自分の』村人と関わりに行き、彼らを助け、

 今では、村人たちからの、絶大な信頼を勝ち得ている。


「侯が嫌がられるでしょう」


 それでも、女性の立場は脆い。レディ・アリシアの評判に傷がついてはならないと、ウィルフレッドはそう言った。すると彼女は、ふんと鼻を鳴らした。


「お馬鹿さんね、ウィルフレッド。わたくしが何をしているか、どのような人間なのか、一番良くわかっているのはあの人なのよ。

 あなたを呼びに行くとわたくしが言ったのも、ちゃんと聞いていたわ。知らないわけないでしょう? 頼むと言ったのも、あの人よ。どうしてそれで、あの人が嫌がるの」

「いえ……しかし。奥方さまは若く、……その。わたしのような男と、二人きり、では。妙な噂になったら……」


 何となく気押されて、しどろもどろになりつつ反論すると、レディ・アリシアは可哀相なものを見るような目つきになった。


「わたくしと、あなたが噂になるの。あらまあ」

「そうです。そうなってからでは遅いと……」

「あの人、面白がると思うわ」


 なぜに。


「だって、あなたってば、『あの』ウィルフレッドですもの」


 『あの』とは、どの『あの』なのだ。


「飛んだり跳ねたり奇声を上げて、相手を睨む男ですか」

「それじゃないわよ。それでも良いけど」


 どこが良いのだ。


「あのねえ。わたくし、アランを心から愛しているのよ。それは皆も知っているはずよ。そうでしょう? 違う?」


 腰に手を当て、呆れた顔でレディ・アリシアが言った。


「いえ……その通り、ですが」

「なのにあなたの方は、浮いた噂一つもない人間じゃないの、サー・ウィル。一度でも、恋人らしい女性ができた事があった?」

「それは……その通り、なのですが」

「だったら、噂はこうなるわ」


 レディ・アリシアはふー、と息をつくと、芝居の台本を読み上げるかのような口調で言った。


「今まで女に目もくれなかった、『あの』サー・ウィルフレッドが、美しく心優しいレディ・アリシアに身分違いの恋をしている。

 貞節なレディ・アリシアはしかし、彼を愛する事はない。

 かなわぬ恋心に身も心も焼かれ、気の毒に、サー・ウィルフレッドはやつれはててしまった」


 沈黙が落ちた。


「俺があなたに恋をしている云々はともかく……、最後の身も心も焼かれとか、やつれはてたとか言うのは、何の冗談ですか、レディ・アリシア」

「多少の脚色は、あった方が面白いじゃない」

「脚色してどうするんです。第一、誰が本気にするんですか、そんな話」

「アランは喜んで聞くと思うし、笑い転げてあちこちに触れ回ると思うわ」


 駄目だ。と、ウィルフレッドは思った。


 女性に口で勝とうなどと、思ってはいけなかった。母とローズの買い物に付き合わされた時、心の底からそう思ったではないか!


「そう言うわけだから、わたくしは大丈夫よ。むしろ、女が上がるわね」

「なぜですか」


 あまり聞きたくはなかったが、レディ・アリシアが満面の笑みを浮かべていたので、ウィルフレッドはつい尋ねた。

 そして、脱力した。


「だって、『あの』ウィルフレッドに懸想された女ですもの。この辺り一帯で、評判になるわよ。

 美しく慈悲深く、美徳にあふれたわたくし。そのわたくしに片思いをする騎士。

 吟遊詩人がきっと、美しい歌にして広めてくれるわ。楽しみだこと!」


 ほほほほほ! と高笑いをするレディ・アリシア。


 男とは、女に決して勝てないものであるらしい。

 いわく言い難い敗北感を味わいながら、ウィルフレッドはそう思った。


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